寺ブログ by副住職
ゼロまで引き上げよ!
ご祈祷は、その方向によって大雑把には4種に分けられます。それは、息災/増益/敬愛/調伏。
簡単に言えば、
息災は、マイナスをゼロに引き上げる。
増益は、ゼロからプラスを足していく
調伏は、プラスをマイナスへ引き落とす。
下図に示すのが、分かりやすいかも。
修行は原則、息災法で行なわれますので、普通に修行を終えただけでは息災法しか学びません。その他は、改めて明師を尋ねて授けてもらわないと分からない、手間もかかるし難しい、そもそもそういう縁がなければ叶わない法です。
こう書くと増益調伏のほうがスゴイように思えますが・・密教ではこの4種の内、『息災』を上とし、増益調伏を中下の法、とするのです。
儀軌にそう書かれているから、と言ってしまえばそうですが、そこには人の生きざまに照らして、まことに適った道理を感じるのです。
マイナスをゼロに持ってくる、とは言い換えれば、基礎の不利を埋める/弱点を補強する、こと。言うのは簡単ですが、実はこれこそがあらゆる事案の肝心かなめにして、最大の困難!だったりします。
そう、『弱さの穴埋め』ほど、難しいものは無い。
思い起こしてみてください、苦手科目の克服勉強にどれほど泣いたことか、手術から回復までにどれ程の時間と心労を要したか、好きな人に振り向いてもらう為にどれ程の陰なる努力とお金を使ったか・・(^^;
そして実問題がそうであるように、祈祷でもマイナスをゼロまで引き上げる、というのはなかなか至難なことです。自分のことですらそう、祈祷とは他人の事を扱いますから;
※溺れる人を助けに行った人が犠牲になるニュースはよく聞きますが、あれは溺れる人の力ってのは想像を絶する力で、掴まれると簡単に水に引き込まれてしまう、との記事を読んだことがありますが、祈祷も推して知るべし(;'∀') 鎮めの供養とはそういう次元です。
逆に、プラスマイナスゼロになれば、大体のことは何とか出来るようになるものです。そこから先の伸びるか留まるかは本人が決めるコト。弱さが埋まれば、自在が効く地平に立てる。
祈願となるとプラスを願う人が多くなります。それは自然なこと・・でも、自身の基礎の弱さを省みずにプラスばかりを願ったところで、そんなモノは得られない、間違って得られたってそんなプラスはすぐに失われるでしょう。奇跡的入学した大学で勉強についていけなくなるように、軟弱地に建てたこだわり住宅が傾くように。
土用に世間ではウナギうなぎと騒ぐ中、当山ではきうり封じをしました。ウナギは確かに精が付くかもしれませんがその一時のこと。きうり封じは業に踏み込む祈祷ですからその人の潜在的領域に関わること。例えるならウナギは「増益法」で、きうり封じは「息災法」と言えるかもしれません。
はみ出したプラスなど簡単に崩れやすいもの。己の抱えているマイナスや弱さを埋める在り様こそ、何よりも心得るべきコト。それは奪われることのない自身の強化。付け足しなんかとは質が違う。
ですから、肝心なのは『マイナスをゼロに』なのです。息災は行の基本の法と書きましたが、人生の基本基礎とも通じていますね。当山で増益祈祷には先に息災祈祷を条件とするのもそういうワケ。
釈尊は『この世は苦の娑婆である』と喝破し、説かれたのが仏教の原点です。まず苦へ引き寄せ留める自身のマイナスをどうにかする! 「頑張ってより以上」以前に大切なこと、振り返ってみた方が、前進は早いかも。
ついでに、アナタのその不足は「先祖」というのも多分に見受けます。そりゃ、先祖はアナタの根っこ=基礎ですから。ちゃんとした先祖供養を継続している人は、拝む気のない人は知らない得られない功徳利益がありますね。先祖が満たされないのに自分は富貴、なんて無い(笑
盆供にご供養された施主皆さまには冥護多からんことを。