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寺ブログ(法話系)の新規移行
この度、副住職による寺ブログ(法話系)の更新を外部サイトに移行することにしました!
*****
現場の坊さんブログ
今のブログは寺サイト内なので、知ってる人だけの目立たなさ、&整理せずに書いたので収拾がつかない、&もっと外部に発信するべき内容とのお声、これらに鑑みまして、法話類の整理ブログとして新たに立ち上げました。
新ブログは、今までに副住職が書いた記事を整理しながら寺ブログと同期並行していく予定でしたが、重複記事はSEOで禁忌の典型と知り、この寺サイトはhtml操作が不能なテンプレートで作成しているのでリダイレクト処理も出来ず、どうしたらいいものか・・長期ブログするならwordpress一択だ、と言われるのはそのことだったか、と今更ながら;
そこで、このサイトで「お知らせ」記事にUPした法話の類は新ブログへ移行し、寺ブログの記事は新ブログへ転載しつつ寺ブログも残したままとし、法話系の更新は新ブログで行なう、とします。
そしてこの寺ブログは、お寺の日常系へとシフトしようと思っています(^^
またしても扱うサイトを増やしてしまい、どうすんのヨですが~( ̄▽ ̄;) これを機にまたまた気合を入れ直します!新ブログもよろしくお願いします。
不穏は打ち破れ!
※↑画像は今月のご縁日
何かがオカシイ・・
今年の下半期になってから、調子が狂いだしたとか、散々な思いをした、そんな話をかなり耳にしています。ここ9~10月は余計に、な感じ。かく言う私も例に漏れず( ;∀;) 
とにかくスムーズに行かない、不可解な出来事、普通にはありえないような事態まで起こりetc、言っても書いてもなぜ分からない、無料占なのに苦しめられるだけで反応もないLINE占に独りブチ切れ(※コレは手を挙げた人限定に切り替え)、そういえば過日のブログに書いた危機一髪も、とただでさえこの物価高不景気に茶番政局で腹立ってる所によ!と滅入ってしまいそう・・
いや、個人的に祈祷された方々からは、自分を苦しめてきた人が急に退職したとか、願うのと違う展開になったがそれで本当にイイ思いをしているとか、言われた通りにしたら思いがけずトントン拍子にとか、採用が決まったなど、御礼報告も相次いで頂戴しているので、然るべきを行なった人は好転してるんですけどね~ 
自分の事なら我が問題を考えますが、信徒外の方々にもイキナリなトラブルに見舞われたような話が多いので、この下半期、何がどうしたのか・・
今年の星供時の年運占の多くの方に、厳しい暗示傾向が見られたのでコレは変だ、と住職が「今年の日本国運」と占いました。
无妄六三・・成り行きに従うしかないが、思いがけない災いに遭うのは必至。トランプによる押し付けを丸呑みする政府のせいで国民がまた苦しむ羽目をみるか、天変地異の自然災害で泣くのか、と話しましたが、それ以上は深堀りしなかったので米騒動までは思い至らず(たしかに米の意もある)。
ちなみに石破首相占(当時)も一筮だけやったら「お子ちゃまか?言いなり、何も出来ない、やる気もないな」と節分に話しましたが完全的中でしたね(~_~;) 
思いがけぬ災いが国運に示唆されているのでその影響もあるかもですが・・他、拙い私見は先のご縁日にお話しした通り。でも実際の所は分かんないよね。
このまま様子見じゃ自分、ダメだなと思い立ち、祈願など住職に任せて数日間、太元堂に籠って自身の事だけを祈祷しました。
愛染王にて、我が業苦罪障怨敵を除かんことを祈願した折、凄まじい破裂音が(@o@;) 
その日の夜、とある梵字と不可解な夢を見る。一体なんの意味だ~?
と翌日、普賢延命を行じていると、唐突にかの夢の意味する所がほどけて来た!そういうことか、愛染さんが摧破に動かれた証だったか、と。 
次の日、太元帥を行じて占筮すると「復活への道に戻ったゾ」の得卦(^^;
個人的ないろいろに加えて、過日のブログに記したような、割に合わない仕事ばかりで負い過ぎたものも相当あったか・・それが、何か不明だが不穏な時流に煽られて強く現れたのか、と思いつ。
もはや自身、常の寺の行としての「不特定多数を祈願する」お護摩に加えて己を祈る程度では、どうにもならないレベルまでなっていたよう・・既述のように他人を祈祷するとはそういうこと(;'∀')
そして、祈祷とは「己の為に仏を供養させてもらう」が本義であるのを、再認識しました。 
私事、失礼しました。
ともあれ調子が崩れてきている人は、事物には然るべき対処を、不明にはお祓いなどして、速やかに転換を図るべきです。
何度もお話していることですが、この年末近くの運の流れは、そのまま来年の運の傾向に繋がるものです。
ここ最近、右肩上がりになって来た感じのある人はgood!その調子を維持して年を越せたら、来年も期待出来ます。
低迷が続いているとか下降気味の人は、何としても年内に上昇の兆しを掴みたい。
年が明けてから切替を考えては遅いのです。
残り二か月、人心も経済も格差拡大で荒んできているこの国の世情には、運気の下支えなど期待出来そうにありません。
時の流れに期待するでなく、自分の流れは自分が動いて自分で作っていく。
今年は干支では「ケリをつける年」と申しました。
あと二か月、ボーとしている場合じゃありません。しっかりとケリをつけて、来年を笑える年へとシフトに動きましょう!
カルチャースクール感覚で?
お坊さんになりたいのですが、得度や四度加行はしていただけるのでしょうか?との電話。
S県の50歳女性という。何故にはるばる岩手の拙寺に?
申し訳ないですが、ウチではお受けしておりません、と返すだけだが、一言添えた。
「得度して修行したいとのことですが、『坊さんになりたいので、成らせてください』と言って、マトモなお寺でハイどうぞ~と言う所など、どこにも無いと思いますよ。
得度とは、そのお寺坊さんの弟子になるということ。
その前提には、そのお寺の信者であることが最低の必須条件です。
通い詰めた上でその熱意がホンモノと、その住職に認められればこそ叶うというもの。
坊さんになりたいという程ならば、熱心に信仰しているお寺があるはずですよね?ソコに頼み込むというのが筋というものです。
そして加行がしたいとのことですが、本山に準じる規模の大きなお寺じゃなきゃ、加行の受け入れなどほぼ無いと思います。修行道場に入るのがスタンダートでしょう。
でもそこに入る為には、何かあった時に貴方の責任を負う「保証人」となる道場の僧侶も必要です。そして修行には膨大な費用もかかります。
信用も人脈もコネも金も時間も要ることです。
なりたいと言って簡単になれるものではありません。そう思われたご自身の信仰の原点に戻って、お考えされたらどうですか」
と申し上げた。
*******
この程度で切りあげたが、本音は「貴方にはムリでしょうよ」。カルチャースクールとはワケが違う、お客様扱いじゃない世界であるのを理解していないようで。
ちょろっとだけ書くと、加行に入る前には受戒をしなければならない。そこでは3日間で三千回の五体投地礼をクリアしければならない。
また、加行前に仏頂尊勝・宝筐印・無量寿の三陀羅尼を暗誦できなければならない。※現に私の同期に暗記できずに退学した人がいた
行は一日3座、十八道が終わるまでは毎座百八回の五体投地礼をしてからの行法。
1座2~3時間の行中にトイレに立った場合は、水行をしてから戻らねばならない。
加行中(高野山の場合は百日間)、一日でも休んだら行は全リセット、始めからやり直し。
コレに加えて、朝夕勤行施餓鬼と壇の片付け&準備と掃除等作務は常の如し。
と、加行部分だけでもこうであるから、だいたい男50歳/女40歳以上など受け入れないのは普通。アスリート上がりなどならこなせるかもしれないが( ̄▽ ̄;) 
まあ、昨今は少子化&人口減少&厳しい=パワハラ扱いの時代の波に抗えず、道場や行の在り方もだいぶ崩して来ているらしいが~
本山や道場がユルユルならばともかく、四度加行と一口に言っても気持ちだけで乗り越えられるようなもんじゃないぞ、と。
在家にありながらも信者以上に行者として信仰を高めたいという人は、本山絡みでの正規の得度じゃなくても、篤信寺院での半僧半俗的な修験得度などで仏門に入り、正規の修行じゃなくても身の丈に合った行で信仰を磨いていくというのでも十分すぎるのではないか、と思ったりするが。 
そもそも、見ず知らずの寺にいきなり電話で「坊さんになりたいんだけど」な地点で「坊さんの器じゃない」のは、知れた様なものだが・・最低限の礼儀は仏門以前の問題(◎_◎;)
喜びの効用
驚きで、不思議が、圧倒され、身体が軽く、スッキリと等々、風呂敷護摩に参列された方々からお声を頂戴しました>▽< 
にしても今回は、昨日までの病状が解消した/軽くなった、とのお声を数名様から頂いておりまして、不思議であると共に、仏さまの加持力を改めて見せつけられた思いです。
こういうスマートな喜びのお声は、嬉しくも励みになりますね♡有り難い限りです。
仏教には「随喜」という教えがあります。これは一般的には「他者の善き行いや福徳を心から喜ぶこと」。 
でありますが、厳密には、
【仏菩薩の教えと善行と功徳を、また、悟りへ向けて行なわれる精進努力や邁進する修行者を、心から喜び讃嘆し、人に伝え、自らもそうあらんと願い、行なうこと】。
その功徳は、「善を行じた当人にも勝る/周りの者まで徳を積む」等、お経に説かれます。そう、功徳を積むに大きな手段、でもあります。
***********
何故にそこまでの功徳が説かれるのか?・・おそらくこれは、人は相対≒比較≒優劣を見てしまうことを免れ難い生き物で、そこに多少なれども怨憎を感じ易い、それが他のみならず実には自己否定へと暗示をかけている・・そのことを教えるモノではないか、と思うのです。
※参考までに
>比較して自分が優位でありたい思い
≒相手が劣位である願い
≒自身に等同する者の否定
≒自身の否定
と裏返すと、恐ろしい暗示を自分にかけている、ことだったりするワケ((((;゚Д゚)))
(我欲の絡んだ憎しみを含む)怒りは、積み重ねた福徳の山を一時に焼き尽くすというのも、人を呪えば穴二つの事実も、このシステムが人の心底にあるから、といえば分かりやすいですね。
そしてこの上述した構図は、思いの向きが逆であっても、また然り。
無心に他を喜ぶことは、その根底では己を喜ぶに等しい、のです(◎o◎)! 
ちなみに、真言宗の「三平等」の強調も、戒の本質も、「この構図」にあろうかと・・またいずれ。
*******
ちなみに、他寺の法会に出仕することも専門的には「随喜する」と言います。<悟りへ向けて行なわれる精進努力>=法会、ですので。仏事はお仕事として呼ばれても、世間のお仕事に向かうのとは全然別なスタンス。
とお読み頂くと、お気づきですね⁉
何気に法会に参拝すること、も「随喜」になっている、のです!
ただ願いを叶えるためだけ、とか 法事だから仕方なく、では随喜にならんでしょうけれどもネ。
万障繰り合わせて参列するところには、それだけ得られる福徳が確かにある、のです。 
いわんや、自らも仏道行の実践に参加するなど【随喜】の至り、と言えましょう。
***********
随喜といいますと、真言宗の常用の回向文「五悔/ごかい」の五段目がパッと出てきます。「さんがいずいき~」と普段お参りの方は聴き馴染みのアレです。 
その冒頭、こうあります。
「懴悔随喜勧請福 願我不失菩提心」 懺悔して随喜して勧請したてまつる福をもって、願わくは我、菩提心を失うことなく・・
>懺悔は、無量の過去世に積み重ねた知ると知らざるとの罪過を、仏菩薩がなされたように自身も懺悔する、
>随喜は、先述の如し、
>勧請は、迷いの闇を破り全てを照らす諸佛をお招きし、我らが衆生の為に法輪を転じ給えと願うこと、
>この3種の福行の功徳を以って、以下~。
そうです、懺悔/随喜/勧請は「福なる行」である、というのです。 
素直に喜べる、というのは如何に難しいことか。
他人を素直に喜べる、とは、修行が進んだみたいなものか。
仏道に参座して心底喜べるとは、機縁までも整ってのことで選ばれたようなもの、なのかも。
素直に喜ばれ言葉にもする、更には身を以って実践も、とそういう方々は、仰られるようなおかげを頂くも然りだよな、と書きながら思う今日でした。
**********
関わるなら、どちらの人が好いですか?
で、好ましいと選んだ人の方を、ご自身は他人への態度として出来ていますか?
スタンプという、言葉を考えずともワンクリックで返事を返せる今にもかかわらず、それすらもやらないなど、相手を慮れない/人との距離感を弁えられない、それでいて自分は人からどうしてそんな扱いをされるのか分からない、そんな人が少なくない気がします。 メールやLINEが主流となって、思いがけずその人の社会性が露わになりやすくなったのは時代の功名か。
距離だけはやたら近いのに心は遠い、そんな今に、素直な喜悦のもたらす他者そして自身への効用は小さくない、はず。お盆に参列された方は、なぜ地蔵なのかの話も思い出されると、より得心されるところもありましょう。
先日の風呂敷プレゼント当選発表へのイイね!3件は、ご自身が当選したわけではないお三方でした。
素直なお気持ちでこう出来るような人を、御仏は微笑んで見ているに違いありません( •͈ᴗ•͈)
※追記 先の護摩のお声からなんとなく書きましたが、彼岸施餓鬼の施主には大いに気づきになる文かもです⁉












