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驚くべし!動くべし!

28日はお不動さん、正五九法会にお参りされた各位には有り難うございます。
沈迷の端、驚かずんばあるべからず。
昇悟の機、仰がずんばあるべからず。(弘法大師)
鑑定とお祓いをご依頼の方。副住職が夢に見たので一寸気を付けて欲しい、と連絡をすると、ご自身不注意とはいえ危ない目が続いて先祖の夢も見た所でして、と急遽お出でに。鑑定ではどうもオカシイ、ご本人というよりご家族に問題では?と取り急ぎお祓いをされ。
先祖供養もちゃんとされていて、度々にお参りされておられるので、ご先祖さんも気がかりを示されたのかも。
信徒さんの夢を見た時には何かしあったりする場合もあるようなので、参拝祈願されている方には「一応留意して頂ければ」とお伝えしますが、今月も、実はご相談に行こうかと思ってました/実は連絡もらった後に入院しまして/仰られた話は腑に落ちます、など、ただの夢で終わって欲しいながら、何かの暗示であったりもで・・過日はネットお申し込みだけでお顔は写真で存じるだけの方の夢、お会いしたことないのに夢に見たので、とご連絡するとその日の午後に「親類の家が焼けてしまいました;」との返信もあったな・・
楽しい夢ならともかく、心配事の暗示かもはお知らせしておくも気の毒ですが、ソレが故に心当たりに対処して災いを逃れたり大難を小難にし得たならば、それに越したことは無いですから・・
弘法大師の言葉にこうあります。
「沈迷の端、驚かずんばあるべからず」
塞がりや迷いといった低迷の兆しや流れには、敏感でなければならない、ソレを放っておいてはならない、と。
流れには必ず前兆があります。その先なる異変を、これは変だ/マズいかも、と直ぐに対処に動きだせたなら、手を拱いていたのとは違う結果になるでしょう。大過に至らずに済む可能性も大きくなる。
いや、私達はそういうものだと本当は分かっているはずです。が、なかなか行動しない。でも、このままじゃダメだ、と対処に動いた人と、自分に籠るだけの悪癖を改めなかった人じゃ、そりゃ結果は異なります。
分かった気なんて何にもならん!だから「驚く位であれ!」と大師は喝を飛ばすのです。実際、吉凶の境はそんな所にあったりするものです。
見聞きしますに、一日何時間もスマホばかり見ているいわゆる「スマホ脳」、これが脳科学での知見では「脳内ゴミ屋敷」状態とかで、記憶や感覚などの障害へと繋がっているのだとか。
どうでもいい情報垂れ流しのシャワーに浸りっぱなしで、考える感じる働きが著しく削がれているらしい、ですね。生きる主体である自身の事すら考えられない感じられない生き様、それは人生と言えるのでしょうか?
正に「驚く」ことを忘れてはならない、と改めて思うのです。
そしてこの言葉に続けて大師曰く
「昇悟の機、仰がずんばあるべからず」
悟りの高みに至らんとする志は、常に心に留め置かねばならない。
願いや目標は、常に心に留めながら見聞きし行動する所には、その機縁となるものが得られよう、漠然とボーっとしていてはならない、と。
意識のアンテナのチューナーを目標に定めて行動してこそ、求める情報や縁にチャンスに出会えるものです。
そう言えば、私の母校の校歌には「崇高偉大の心持て」とありました・・
搾取政治の仕向けとはいえ生活に追われるだけに終始し、無意味な情報垂れ流しに身を任せるだけでは、人なんてそれこそお釈迦さまの言う「糞袋」でしかなくなってしまう・・
自身を高みへと向かわせるなら何でもイイ、常に心に留めておく【仰ぐべきモノ】、どうか見い出して保ちたいものです。それは各人の人生の「昇悟の機」となるはずですから。
正五九という一つの勝機、万障繰り合わせてお参りされた方々にはこれも「昇悟の機」となりますように!
知らずに積まれる功徳♪

大般若理趣分経、匿名様からご奉納を頂きました!ありがとうございます!
参拝の方にはお加持に用いておりますのでお馴染みのお経本。ですが、長年の使用にボロボロヨレヨレ・・
買い替えるにも、職人不足&金高騰とかで以前の倍の価格( ;∀;) 中の傷みは修理不能とのことで表紙だけ付け替えましたが、金額デカいし限界近いな~と寺報に書きましたところ、
匿名様から「奉納させて欲しい」とのお申し出が!当山では仏具も衣も常に自前購入、寄進したいと申される殊勝な人など稀であり、感謝に堪えませんm(__)m
新旧こうやって並べてみると、如何に拝み込んで来たかがクッキリ(^^;
16~17年ほど用いたかな。日々の護摩行にも転読し、お加持した人は延べ数千人か数万人か⁉ 理趣分さまお疲れ様でした~有り難う、です。
これからはピカピカの理趣分経で、皆様のご祈祷を行なってまいります>▽<ノ
経本には奉納された匿名様のご芳名を記し、末永く使わせて頂きます。
ふと、思い出した言葉があります。
「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」
天台宗の開祖、最澄上人の言葉です。生活や俗事を優先しながらの求道などありえない、行者なら求道を専らとせよ、さればそこに生活の糧も得られよう、という意でしょう。祈りに関わる以外の収入で食おうなど考えたら、坊さんとしてはアウトや、と。
私(副住職)も似たような言葉を言われまして。某大僧正さまから「祈祷寺は二足の草鞋じゃ務まらんぞ」と。それで教員兼業は諦めて行者一本で今に至る訳ですが・・でも祈祷寺なんて葬式寺の数十分の一の収入しかないのですけど;ま、余裕はないながらも、祈り込んで来ただけの験と深みは見せて与えて貰っていますので、まあ良し(^^;
で、この理趣分経は毎日の護摩祈祷にも転読してますし、信徒さんのご祈祷にも用います。
つまり、ご祈祷の度に、ご寄進された匿名様の功徳にもなるわけです。たとえ他者の祈願であっても。
匿名様は「いつもお世話になっている御礼で」との、報恩の思いだけで奉納されました。我欲など毛頭無い。
正に「道心」の思いだけで寄進された功徳は、ご本人は図らずとも「衣食=俗事=ご利益」にも繋がるものである、ということ。ましてや、日々の祈祷に用いる法具ですから、耳にする他寺で年に一度しか着ない百万の御衣寄付よりも生む功徳は大きいに違いありません。
己の願いが叶っても御礼参りすらしない人も多いですが、「道心の中に衣食あり」我欲に終始しない祈りを為す人は、本人が知らぬ所からも救いが巡らされるものだ、と知っておかれるとご自身を更に利すると思いますヨ。
インスタ、始めました~!

この度、ようやくインスタグラムに参入しました! @henjo_win
https://www.instagram.com/henjo_win/
私的にもアカウントを作ったことがないので、文字通りゼロからチェレンジ・・出来てしまえば何てことないのですが、プロフ書きは毎度シンドイ~
とりあえず初投稿しましたが、いまだインスタの仕様が何言ってるか分からない~
facebookもLINEもスマホではやらない同様に専らPCからですが、慣れるまではまだ時間がかかりそう( ;∀;)
気が付けば当ホームページには結構クドクド書いてしまってるので(/ω\) インスタは軽やかにやりたいなァ~デス。
ホッタラカシのfacebookの二の舞にならぬように、とは思っております・・(;'∀') フォロー頂けると嬉しいです>▽<
※インスタのDMやコメントには返信しませんのでご了承ください。お返事が要る方は、当サイトのメールフォームかLINEからお送りください。
正五九詣り!

盛岡別院の月例法会。
別院の参拝者には、四天王はお経に準主役として出てくるお馴染みの仏天でありますし、普賢延命菩薩の尊像と一体となってあるのですが、小さいし位置的に普段は見えにくい~
ですが正五九ですので、お護摩の後に特別内拝!間近で拝んで頂きました。
四天帝釈が閻魔帳片手に人界を巡回するというこのシーズン、足を運んで参拝された皆様には愛染王のご加護はもとより、四天王にも忖度をしてもらえますように(^^;
日本への仏教伝来と四天王は、聖徳太子に見えますように一心同体というべき関係ですが、その割に四天王とはどういう尊格なのか、については案外知られていないようです。
そこでこの機会にチョロっと解説させてもらおうと、話を始めてまもなく気付く・・この調子で話したら30分でも終わらないわ、という見立ての甘さに;
四天王を話すには須弥山の事は触れなきゃも、ハッと気づくと九山八海とか今要らん話してるし、一々の尊を話すと案外に長い!が、とある点は正五九に関係するのでソコは言わなあかんし~と、話すつもりを焦りながら端折って何とかまとめ上げ;話は先に文章にまとめておけよな、と相も変わらず反省(-_-;)
在家の人じゃなく行者向けか?の踏み込んだ話をしてしまいましたが、実はそういう⁉な正五九の持つ深みを知ってもらう、貴重な機会にはなったかも。
参詣者には、そういう知り得たことも活かされまして、更なる加護を受けられたいです>▽<q
四天王とは⁉

正五九月は三斎月といい、帝釈天や四天王が人間界を視察するので、身を慎んで仏事に励むに功徳が大きい時と申します
なんでも、帝釈天や四天王が人間界を視察して、私らの行ないをチェックしていく時なのだとか⁉
供養を始め、ご祈祷などの仏事を行ない、寺詣りをして功徳を積むには絶好の時です!
万障繰りあわせてぜひ、お参りください>▽<ノ
と当山の信徒さんには周知でありますが、四天帝釈について、ちょっと紹介しましょう。
帝釈天四天王はともに古代インド由来の神で、相当古くから守護神として仏教に取り入れられたとみられる天尊です。日本では聖徳太子が「この戦に勝ったら四天王を祀る寺を建てるので守護を!」と誓いを立てて、廃仏派の物部氏との戦いを制したのは有名ですが、その誓いに毘沙門天が出現したのが奈良の「信貴山」であり、戦に勝って建てたのが大阪の「四天王寺」。
聖武天皇の勅で全国に建てられた国分寺の正式名称は「金光明四天王護国之寺」。古代の日本仏教において四天王は、極めて重視されていた仏天であります。ちなみに、弘法大師が幼き頃に泥遊びをしていたのを見て驚愕して馬を降りて礼拝した視察の役人が語ったのは「あの子を四天王が守護している!」でありました(^^;
さて、帝釈天は、古代インドを代表する神インドラであり、詳細はググってもらったら早いでしょう(;'∀') 京都東寺の立体曼荼羅の帝釈天(国宝)は、日本一ハンサムな仏像とも言われてますね~、ぜひ一度は実物を見て欲しいカッコよさです。
ちなみに執金剛神や密迹金剛(いわゆる仁王像の一)はこの変化尊。また、密教で使う金剛杵の淵源はこのインドラの雷霆にある、とも目されます。
そしてこのインドラの配下にある実働部隊が四天王。
その筆頭が毘沙門天。四天王の一人としての場合は多聞天とも呼ばれます。戦の神、日本では北方の守護神として坂上田村麻呂の伝説と共に東北地方にも広く信仰が見られるに加えて、財福の神として七福神にも加わっており、名を知らぬ人はいないかも。
かの上杉謙信は熱烈な信仰を持ち、旗印を「毘」としていたのも有名。天部の中では異例の「成仏への導きも持つ」尊でもあり、真言密教では多くの口伝を以って尊崇する仏天であります。
甲冑に宝棒あるいは戟と宝塔を持つ姿が一般的。吉祥天という奥さん、禅膩師童子という子供がいるという、家族を引き連れているのも際立っていますね。鬼神衆を配下に従えます。
ついで持国天、ダイズラタ天王。刀を振り上げた姿(又は槍)で東方を守護。般若守護十六善神の筆頭にも名前が上がります。鬼神を眷属とします。
次いで増長天、ビルロクシャ天王。槍(又は刀)を持つ姿で、南方守護。眷属に死鬼霊を従えます。
最後に広目天、ビルバクシャ天王、西方守護。筆と巻物を持ちます・・こういう印はいわゆる閻魔帳というか、善悪の行ないを記する働きを意味するので、四天王の中では異質な感じです・・正五九の巡察はここに記されるのかも?!眷属には龍神を率いる、とこれも特異であります・・龍供の時には広目天真言唱えるのはこれですね。
今時の仏教では、四天王では毘沙門天以外は注視されることも祀られることも少ないですが、帝釈四天王は曼荼羅にもしっかり描かれておりますし、当山でお祀りしている太元帥明王の大陀羅尼にもその名は登場し、また普賢延命の脇侍として神呪を説くのはご存じの通り。祈祷の現場ではその働きを頼んでいるのであります。
当山信徒には周知のとおり、現世利益に働きをされる実働部隊は、仏菩薩明王の教勅に従うこれら天尊やその眷属です。そしてそれらは人間に近い感覚を持つとされます。仏は、我ら俗なる人間がどんな愚行を犯そうと影響されることなどありませんが、天尊はそうではない。我らの信仰の有り様は四天王らの天衆に見られ、決済されるのです。
お天道さまは見ている、とは今や死語同然かもですがこう記してきますと、そういう「貴方の生きざまは見られているぞ」の在り様を教えるのが正五九の三斎月、かもしれませんね。
まだやるべき仏事をしていない、仏参りをしていない、という人は急ぎやっておきましょう(^^;
ついでに、四天王は眷属も独特・・以前にご縁日に正五九のもう一つの由来をお話ししたことがありましたが、勘のよい方ならここから「あの話はそういう事か!」とお察しでしょう。正五九は在家の人こそ、常以上に祈るに如かずの好機です。