寺ブログ by副住職
雨にも風にも負けずの!
昨日は太元堂の月例法会。
盛岡は朝から豪雨・・この時期は灼熱お護摩で自身危さを含むので涼しいのは助かる~ですが、
こんな雨じゃお参り来れないって( ;∀;)
しかし雨にも風にも負けず、大勢の方がお参りくださいました!有り難しです!
お護摩も善い祈祷が出来まして、法会終わって下供を食べてのお帰りの時間に限って雨も止むという・・土砂降りの中をご足労された参拝各位に、愛染王も感応されたよう(^^
荒天をものともせず参拝されたので、特別に祈りの深めのキーポイントの話をさせて頂きました。大雨でも足を運ばれた甲斐として、活かして頂ければ嬉しいです。
参拝された皆様に、功徳力と愛染王の加護をお祈り致します。
看板修理→リニューアル♪
花巻の表看板を修理しました!
3階の位置にあるので普段は気にかけないのですが、先日ふと見あげた所が腐食して大きな穴が開いてる⁉
急遽、看板屋さんに依頼して調査・・修理せざるを得ない;
こんな高所だから足場代だけでも泣く・・
高所作業車でやりますので、とのことで助かり(^^; ※作業車代も高額ですが足場より大幅に減額
仕方ない~、この機会なので文面も作り直そう。
という訳で、先日リニューアル工事が完成しました!
思えば、高所にあるので常に風雨に晒されるはもとより、毎日昼からは強烈な西日にずっと照射される状態、
おまけに花巻は冬は-15、夏は35℃まである温度差といい、
過酷な環境は想像以上の金属疲労となってました・・長年お疲れさん~
作り直しついでにURLも入れて、菊紋も新しく。
心機一転としたいです!
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ちなみに、外玄関周りも先日修理を行ない(かなりの工事費がかかりましたが変化が見えないのが涙)、トイレの電気工事も近日中。
壊れる時は一斉に、は皆様も仰る通りのあるあるですが笑、このムチャクチャな高騰時勢にあんまりな( ;∀;)
即事而真
護摩壇に安置している五宝包。
皆様には知るも見ることもないものですが、中身を新調する機会ですのでお見せしようかと。
五宝とは読んで字の如く、貴石の類。金/銀/瑠璃(ラピスラズリ)/真珠/水晶、を包みます。※中身は変わる場合あり
その他に、漢方薬の類や香木なども。
それを中瓶に結び付けます。
中身は封じてしまいますので、皆さんに見せる用のモノではありません。が、その質は細かく規定されています。
なぜか?
それらの物に秘められている「力」や「働き」が、護摩の修法には必要である、からです。それら事物に潜んでいる力は、修法に力を加えるものでありますゆえ。
真言の肝となる教えの一つに「即事而真」という言葉があります。
事に即して真である、と。
存在している事物の中にこそ、真実は潜んでいる。事物の中には、窺い知れない力も秘められている。
体裁以外は「気持ちの問題」などと片付けては、得られたはずの力もモノも手に入らないでしまう。
見かけじゃない、その物が持せる力を引き出せたなら、我らが得る所は甚だ大いとなる、のです。
祈りは「気持ちの問題」じゃない。用いる事物の「真」も通して、功徳も利益も発揮されるのであります。
弘法大師曰く「医王の目には道に触れて皆薬なり、解宝の人は礦石を宝と見る、知ると知らざると誰が罪過ぞ」
/医術の心得がある人には、道端の雑草は薬となるだろうし、見る眼のある人ならは道端の石ころにも宝石を見出すだろう、然るにそれは本人の見る眼の問題である・・
物事、何もない所から生み出すのではありません。存在している物から価値や力を「引き出す」のです。それこそが全て。
その物の真を見出して引き出せる、容易ではない修練の賜物でしょうけれども、そんな慧眼を磨きたいものです。
↑薬包に畳んで完成
衣替えと風
↑画像は6月の月初祈祷
文字通りの衣替えとなり、季節替わりを実感する時節ですね。
冬衣で30℃越えはさすがにキビシイ・・5月28日は汗だくでの法会からの~夏衣は軽くて涼しいワ~、と思いきや一転、20℃を切る気温に夏衣寒いわ~と再びヒートテックを取り出して、と拝むのにもウエアに右往左往する今日。落ち着かないのは世情だけでもう沢山ですのにね~
5月は太元堂法会があんまりに酷だったので、やはり後七日や初大師が酷かったのと連なっているか⁉と懸念しましたが、28日はとてもよく出来ました🌸で一安心。そういえば後七日の懸念はまだ書いてなかったね・・やはり皆さんが感じているこの世情の行く末の暗示かと思えますが、そのうち書いておきますか。
それにしてもここ毎日、やたらと風が強すぎる気がしませんか。こんなに強風続きの日ってあまり記憶にないような。
で、なんだか「風」が心に引っ掛かってます。と言うのは、某通販「かぜとゆき」の広告をやたら見聞きするから、じゃなくて笑、【風】とは仏教でも易でも、言うなれば古代のインドや中国という二大思惟大国の中でも極めて重要視されたエレメントでもありますので。単に空気の流れというでなく、存在に潜み存在を動かす背後の存在、として。思えば風についてはまだ書いたことがない気がします、いずれ書きましょう。
で、この詰んで殺伐感の進む世情とか、先の太元堂月例に障りを持つ人がやたら多かったなど、この異様な強風続きの天候ともなんだか重なり合っているような感じでイヤだなぁ、と。
ともあれ、この気候乱高下ですので皆様には風ならぬ風邪などひかれぬ様、ご自愛を。といえば、障礙を感じながら気のせいにして放っておくのは全く自愛じゃないですよ。身体のこととなると直ぐ病院に駆け込むのに、身辺の不調は構わずにトラブルが深刻化してから駆け込み、という方々が多いのは何故なんでしょうね・・それもメンタルの病ってことか?
百鬼夜行かよ⁉
あまりに障りの数が多すぎた・・
三斎月の一である五月、常とは趣を少し変えて愛染明王の鳴動護摩を行じることに。
しかし今回の鳴り護摩は、、初っ端から音がヘンだ・・今まで何十だか何百回だか行じて来た中でも、異様な類の鳴り。
何と表現すればいいか、極端にうねり続けるような、というか。私だけじゃなく、住職もこの鳴りは何?と感じていたようだ。
途中で参拝者のお加持に回ると、その理由が判明。
釜鳴りが止まる人ばかり・・なんじゃコリャ、今日は一体なに⁉(@_@;)
お葬式に関わってまだ日が浅いとか、ご家族に生死の際があったなど当山も事情を存じている方は已む無しだね~で、そういう人達は祓いをかけたら解消したのでいいのだが、祓いをかけても解消しない人達よ・・何をやらかしてんだか。
それにつけても、あまりに障りのある人達が多すぎた、それが釜鳴りの異音の原因だ、おそらく。
そんな状況だったので、祈祷したお米を下供にさし上げる事は止めた。
不可抗力の不祥事態に関わるのは仕方のないことだが、かたや自身の不始末の障りを自覚もせずにいるのは由々しき事態じゃないか? 前者の障りはおおかた即座の加持で祓えるが、後者はそう容易くいかない・・いかに本人が認めたくない信じたくなくても、鳴動はその障りを如実に見せてくれる。
一方で、我らが負う疲労も大きい。今朝は登壇しても頭のモヤツキが取れず、色々工夫して護摩を焚くもスッキリせぬまま下礼したが、時計を見ると2時間半超・・そんなに拝んでいたとは、如何に昨日が酷だったか。愛染さんにも相当な負荷をかけてしまったと詫びるしかない。
それにつけても、長年の信仰に一体何を学んでこられたのかと、情けなくも問い直さねばならぬような人よ・・人間の性格など変わるもんじゃないとは身に染みているが、拙僧の不甲斐なさ不徳の致すところか・・







