寺ブログ by副住職
ローソク占い⁉
今日のお護摩で、祈願護摩木が焼け残り・・こういうことは滅多にないのですが。
それは先日お参りされた方が、奥さんの名義で書かれた護摩木。
まあ~この方の奥さんは当山との約束を破った人で、本人はそれ以来、お出でになっていない・・
何気なしにお不動さんはちゃんと見てるのね~、です。
それを思いますと、当山の仕事は全て【仏さんの力を頼んで】のことですから、お客さんは私ら寺の者にご依頼されているつもりでも実には、その地点で当山のお不動さんお大師さんに声をかけているに等しい、のでしょう。
とすれば、お参りに来ての態度言動はもとより、電話かけた地点から【当山の仏さん方には見られてる】と思っておくのが、たぶん正解。
当山では、ご参拝者に立てていただけるように祈願ローソクを用意していますが・・ここには不思議が見られます⁉
同時に並べて立てたローソクでも、普通に燃えるのと一気にダラダラと溶け切ってしまうのと、あからさまに差が出ることが多分にあります・・どうやら、急激に溶け切ったローソクの願意が、その人への警鐘や問題であるようで。
何が不思議って、扇風機や暖房をつけていようと、お勤めの時などはほぼ変に溶けることはありません。誰か死にホトケが来てるな~と感じる時などを除いては。
ところが、お客さんがいらした途端にベロベロ溶けだしたりもします・・無風状態だろうと。
経験された信徒さんは多いのでご存じでしょうし、あまりの有り様にショックを受ける方もおられますが・・作為な事象ではないもので;
正にお参りされた地点で、お不動さんが参拝者を見ている証拠でしょう。
そして、燈明を献じただけで、その方への注意喚起のサービスまでされている⁉のです(^^;
お釈迦さまは「我が滅後に遺骨をストゥーパ(塔)として祀れ、さればその塔を見た人に【これは如来の在ました証なのだ】と浄心を起こさしめ、解脱への誘いとなる」と申されたそうです・・
が、大乗の仏の働きは起浄心に留まらず、殊に当山の御仏は当山へ縁じただけでも何らかの示唆まで与えてくださるらしい⁉
と、そういう示しがあっても、ソレを活かすか殺すかは本人次第ですけどもネ。逆に理に適わぬことをしている人には、冒頭に述べたように見てらっしゃるんでしょう~(((;゚Д゚))
また、足を運んで参拝する人には、来ない人には得られぬ救いがプラスして向けられている、実例とも言えるのでは。焼香や献燈明すらしない人は知らんですけど。
正五九は四天王帝釈が見て歩いて閻魔帳に書いてるってよ!とは申しましたが、当山の仏さん方は、信徒さんをいつも見ているようです。その意識を頭の片隅に置いておくと、頂ける験もまた違ってくると思いますよ。
不動金縛⁉
そういう事もあるのか⁉~とお不動さんの力を見せられた先日の話。
過日に、泥棒に入られてお祖母さんのカバンが盗まれた、と。いわゆる偽点検詐欺で目をそらした隙にやられたらしい。
そういう訳で、家にお祓いに来て欲しい、とのご依頼。
その状況では現金は諦めるしかないにしても、免許証悪用されてはまずいし、せめて犯人は捕まって欲しいと思い、家祓いの依頼を受けたことでもあるしと急遽、不動金縛りを行じました。願主には告げずに。
それから少し経って、捨てられていた空の財布と免許が見つかった、と報告。悪用されずによかった;
しばらくして、犯人が捕まったとの報告>▽<ノ そういう被害に遭われた思いは消せないでしょうけれども、一応の区切りがついて私共も胸をなでおろし。
そして先日、「犯人から詫び状と盗まれたお金が送られて来たんです・・」って⁉⁉ ご本人たちも喜んでいいのか当惑しきりであられたよう(◎_◎;)
しかし、人に迷惑をかけても謝罪すらないような「人でなし」が蔓延している現代に、そんな事もあるのねぇ・・と驚き、
また、ひょっとしてソコには、犯人が詫びずにはいられない事態を蒙ったのかも(((;゚Д゚))⁉
普段には物理的な動きとしては見え難いですが、祈りの験力は厳然とある。信心の通じている先には必ずや威力を示してくださるなぁ~と、ウチのお不動さまの霊力を改めて思わされました。
にしても、岩手のような田舎でもそういう犯罪は横行しているようです、現行法はとかく罪が軽すぎのようですから・・皆さまも「自分は関係ないわ」と思わずにご注意を。
ゼロまで引き上げよ!
ご祈祷は、その方向によって大雑把には4種に分けられます。それは、息災/増益/敬愛/調伏。
簡単に言えば、
息災は、マイナスをゼロに引き上げる。
増益は、ゼロからプラスを足していく
調伏は、プラスをマイナスへ引き落とす。
下図に示すのが、分かりやすいかも。
修行は原則、息災法で行なわれますので、普通に修行を終えただけでは息災法しか学びません。その他は、改めて明師を尋ねて授けてもらわないと分からない、手間もかかるし難しい、そもそもそういう縁がなければ叶わない法です。
こう書くと増益調伏のほうがスゴイように思えますが・・密教ではこの4種の内、『息災』を上とし、増益調伏を中下の法、とするのです。
儀軌にそう書かれているから、と言ってしまえばそうですが、そこには人の生きざまに照らして、まことに適った道理を感じるのです。
マイナスをゼロに持ってくる、とは言い換えれば、基礎の不利を埋める/弱点を補強する、こと。言うのは簡単ですが、実はこれこそがあらゆる事案の肝心かなめにして、最大の困難!だったりします。
そう、『弱さの穴埋め』ほど、難しいものは無い。
思い起こしてみてください、苦手科目の克服勉強にどれほど泣いたことか、手術から回復までにどれ程の時間と心労を要したか、好きな人に振り向いてもらう為にどれ程の陰なる努力とお金を使ったか・・(^^;
そして実問題がそうであるように、祈祷でもマイナスをゼロまで引き上げる、というのはなかなか至難なことです。自分のことですらそう、祈祷とは他人の事を扱いますから;
※溺れる人を助けに行った人が犠牲になるニュースはよく聞きますが、あれは溺れる人の力ってのは想像を絶する力で、掴まれると簡単に水に引き込まれてしまう、との記事を読んだことがありますが、祈祷も推して知るべし(;'∀') 鎮めの供養とはそういう次元です。
逆に、プラスマイナスゼロになれば、大体のことは何とか出来るようになるものです。そこから先の伸びるか留まるかは本人が決めるコト。弱さが埋まれば、自在が効く地平に立てる。
祈願となるとプラスを願う人が多くなります。それは自然なこと・・でも、自身の基礎の弱さを省みずにプラスばかりを願ったところで、そんなモノは得られない、間違って得られたってそんなプラスはすぐに失われるでしょう。奇跡的入学した大学で勉強についていけなくなるように、軟弱地に建てたこだわり住宅が傾くように。
土用に世間ではウナギうなぎと騒ぐ中、当山ではきうり封じをしました。ウナギは確かに精が付くかもしれませんがその一時のこと。きうり封じは業に踏み込む祈祷ですからその人の潜在的領域に関わること。例えるならウナギは「増益法」で、きうり封じは「息災法」と言えるかもしれません。
はみ出したプラスなど簡単に崩れやすいもの。己の抱えているマイナスや弱さを埋める在り様こそ、何よりも心得るべきコト。それは奪われることのない自身の強化。付け足しなんかとは質が違う。
ですから、肝心なのは『マイナスをゼロに』なのです。息災は行の基本の法と書きましたが、人生の基本基礎とも通じていますね。当山で増益祈祷には先に息災祈祷を条件とするのもそういうワケ。
釈尊は『この世は苦の娑婆である』と喝破し、説かれたのが仏教の原点です。まず苦へ引き寄せ留める自身のマイナスをどうにかする! 「頑張ってより以上」以前に大切なこと、振り返ってみた方が、前進は早いかも。
ついでに、アナタのその不足は「先祖」というのも多分に見受けます。そりゃ、先祖はアナタの根っこ=基礎ですから。ちゃんとした先祖供養を継続している人は、拝む気のない人は知らない得られない功徳利益がありますね。先祖が満たされないのに自分は富貴、なんて無い(笑
盆供にご供養された施主皆さまには冥護多からんことを。
咸!
窓を開けると、朝なのに熱風~
も、自分一人で拝む&換気扇まわすのに、高電気代かけてエアコンなどかけていられぬ;;
6月からそうだが、如何に夏衣だろうと全く涼しいなんてことは無い・・半袖短パンでいる時期に重ね着ですから・・ホノルル以上の気温だってのに仏教会には衣を何とかせねば命がヤバい、なんて提言はないのか・・他宗はやらんでも護摩焚く我ら密教界はホント、袈裟一丁のインドスタイルへの回帰が必要だろう~
そんな熱風に加えて日輪観想の護摩ww物心両面の灼熱のせい?か卒然、氷解したことが。
供養に用いているとあるやり方、どうしてその真言にその書き様を用いるのか、長年行じつつも理解できなかったが、それが今日の護摩中にいきなり諒解した・・愛染法とは関連ない作法なんだがww愛染さんありがとう、だ。
と、自身もきうり封じをしたおかげかも。
きうり封じほうろく灸第一弾は一昨日行じたばかりだが、願主さんからは早くも、痛みが気にならず/和らいだ/驚いた/不思議なことが/祈祷の有り難さを痛感、などお蔭を頂いた報告を相次いで頂戴している\(◎o◎)/有り難い限りだ。
また、そういう変化をたまたまとか偶然とせずにお蔭と受け止められる人は、そういう加護も頂きやすいというもの。
かたや病気だ不調だとグチグチ言うくせ、案内を受け取りながらこういう祈願をしない人もいる。アホやと思う、己の身体以上に大切なモノなどなかろう。やれることをやってみる気もないなら、感応などある訳もない。
易に「沢山咸」という卦がある。向き合えば激しく動き出すのに背中合わせのままで鈍感、という意を持つ。チャンスに動かぬ失機ともいえる。神仏とは、己から向き合ってこそ感応するものだ。向こうから動いてくるのではない、こちらから向き合ってナンボだ。向き合い続けて機が調ったならば、何らかの感応は必ず頂ける。
祈りでも何でもやれる事はやってみる、と向き合う人にはお蔭が多きことを>o<ノ
呪術怪戦⁈
ここ最近、祓うに供養に一筋縄では行かない事案が多くなってきている気がする。
普段用いて来たやり方ではスンナリいかない・・医療で例えるなら投薬や注射では済まない、手術とか入院が必要なレベルばかりが増えているというか。それでも当の本人は大概、市販薬で済むもんだと思っているような(~_~;)
こちらがどれ程の思いで心身をすり減らして立ち向かってるか、どれほどの施主さんが分かっておられるのやら;
葬式でいけるんだったらこんな戦い続けの行者道じゃなくお気楽人生があったんだろうけどねぇww 再三の資具値上げも安布施に授与品つけて成果も顕せねばならぬ祈祷寺の苦闘運営なんて、同じ祈祷寺じゃないと分かんないか・・市井の人達とのケモノ道を選んだのはウチの寺と私なんですけどね(^^;グチすみません;
心霊祈祷事例としては幾つもの新しいネタではあるが、そのまま公に言えるようなモノではないし、話せるレベルに落とす編集を考えるの自体も苦しい・・ただでさえキツさにアテられ気味なので、話すもおろか書く能わず・・
所謂奥伝の駆使とか重ね祈祷をしないと難しい案件が増えている最近の異常事態については、今回の寺報に些か考察を書いたので、お読みいただきたい。
言える事は、根本的に日本国の霊性そのものの変性というか関わっている問題があるのではないか、と。そして、ますますヤバくなるのではないか、と。一証拠には、月参りされていたり折々にお祓いをされる方には、そこまでのキツイ事案はほぼ無い、ということ。
呪術廻戦という(作者は何と岩手県人!)という大人気漫画があるそうだ。読んだことないので内容は不明だが、ググってみると呪霊や化け物を呪術で戦うものらしい。そういうアニメに世間は夢中、戦って退治するってそりゃカッコいいんでしょうけど、現実世界ではシャレにならんです・・
ウチのお不動さんは一度で解決が多いが、本当は世間的には例外な状態。真言密教の法は正式には21座を行じて結願とする。21座でも他教に比して「神通乗」と呼ばれるほどなのだ。この何だか難しくなってきた時勢は逆に、拝めばすぐ何とかなるという、よく見られがちな即物的信心への甘さ安易さを戒めるには、いい機会なのかもしれないww
お祓いや供養を蔑ろにして見えないモノと嘲る人は、己の抱え込んでいるマイナスが何と引き合うか、事が起きるまで考えもしないのだろう。まあ、転ばぬ先の杖の大切さを見て見ぬ振りし、何度も過ちを繰り返す人達もいるから、懲りない解らない人というのもいる。それは仕方ないね。
新暦では明日から盆となる、今年の盆は日本人は本当に考え向きあわねばならないだろう、と思う。先祖そして自身そして子孫の為にも。ソレを笑っていて、ホント大丈夫か。