寺ブログ by副住職
そういえば文字、書いてる?
思っていた以上のかなりの刺激でした~、と写経納経の方。
文字を書き写すというだけですが、実際にやってみると、想う以上の難しさながらもそれなりに書ける快感と、日常には無い達成感を感じられるよう(◎o◎)
当山では4種類ございまして、般若心経は高野山奥の院版のほかに、弘法大師の書の師と目される人の筆による奈良時代の版も用意しました。現在使われていない異体字などが含まれており、何度も写経経験がお有りの方も、挑み甲斐があるそうです(^^;
写経が脳の活性化に役に立つ、とは以前から言われておりますが昨日、こんな記事を見つけましたのでご紹介を→
科学が証明 「手書き」の絶大なメリット、「脳全体が活性化する」 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
日常をちょっと振り返ってみますと、文字を書くなんてほとんどない生活・・をしている人が多いのではないでしょうか。
打ち込むか、打ち込みすらせず喋って音声認識で用が足りちゃいますものね;
私は御札やトーバなど書かなきゃいけないので世間一般よりは書いてるかもですが、それ以外はメモ書きみたいにベラベラ書いてる程度だわ・・と愕然とします(;'∀')
しかし記事を読みますと、文字を書くという行為は、脳をフルに使う運動なのだとか!
楽して長生きが可能になりつつある時代ですが、それは思考と全身の機能を司る「脳」がハッキリしていてこその享楽、というもの。
写経は、印刷技術のなかった時代に必然要請されたものであり、また仏教を広めるという仏道修行でもありますが、古代の知識人集団であったお坊さん方の頭脳を磨いて来た術でもあった、のでしょう。 
思いますに、(良くも悪くも)言葉がこの世界というものを構築している根底にある、というのは仏教に限らず世界の大宗教や哲学の突き詰めた先に共通する所です。人間の如何なる思考も必ず言葉によって行われます。その言葉を認識する形態は文字です。
その文字を書かなくなったというのは、頭が自ら思考するのを止めつつある、ことかもしれませんね・・四六時中動画を垂れ流して見てる、なんてその典型かも。
現代という文字を書かなくなった時代にこそ【意識して字を書く】とは、貴方が思うどころではない「脳の刺激と活性化」をいざなうアクションのようです!
一日一度はペンと紙をとり、小文でも書いてみる習慣を始めてみませんか? そして、機会には写経にもチャレンジしてみてください!それは脳活性化だけではない、功徳行にもなりますので>o<ノ
※当山での写経納経は今のところ、1年以内に祈願/供養/お供えのいずれかをされた方に限定しております。
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先月の風呂敷護摩の紙天蓋↓
いつもはお焚き上げしてしまいますが、何かに使えないかな?と考えて「御守りに加工してはどうだろう?」と占筮すると「天祐」と得卦!しましたので、作ってみました!
太元帥明王のお加持をして、風呂敷護摩に参拝された皆様には贈呈します!
符号じゃないことを願いたい~
宮崎空港滑走路で爆発事故のニュース。人的被害が無かっただけ幸いだったが、そこを2分前に飛行機が通ってた・・って;
この空港は戦時中の海軍基地の跡らしいが、不発弾がまだあると見られてる云々って・・は?
国道や県道などは地下構造までやかましく、歩道のわずかな縁石の撤去工事にもバカみたいな大金がかかり、何の利権だよと疑いたくなる念の入れようであるが。
ましてや滑走路など、それ以上のやかましさを以って作られているはず。不発弾が埋まってました、なんてあり得るのか?
それはそうとして、また明日からというこのタイミングよ・・
信徒さん方には年頭からお話しし、先日もお知らせしたところであったが・・このニュースを聞いてハッと思われた信徒さんもおられると思うが・・こういうあり得ないような事態の発生おまけに飛行機絡みとあっては、やはり少なからずそういう影響があるのか?と思わずにもいられない・・
に続けてこんなニュースも。
彗星は天空の一大ロマンであるが、一方で密教占星術では妖の代表格であり、計都星ってのはコレのことだったりする;
ハレー彗星は、災難や疫病や飢饉をもたらすとして古今東西を問わずに恐れられていたのは有名な話であるが、地球上のそういうタイミングと何か符合する周期があるのかもしれない⁈
そして今、宿曜で懸念されるこのタイミングに・・中東の止まらぬ応酬戦局、懸念の声が大きいコロナ新ワクチン、身近なマイコプラズマから世界的脅威のサル痘など拡大してる疫病etc・・かつて彗星がもたらすと恐怖された事案が揃っているのも嫌;
記事によると、このアトラス彗星は肉眼でもかなり見えるらしい。宇宙の大スペクタル劇場として楽しむのは、何も悪くない。宇宙の神秘に想いを馳せるも大いに健全だろうし、精神衛生上も望ましいと思う。
ただ願わくは、占星術でいう災禍の予兆であって欲しくは無いなぁ~
更に、岩手限定だがこんなニュースも。
活火山だから致し方ないことだけども~
にしても重ね重ね思うのは「今のタイミングって・・」
自然の運行と変化には従うしかないが、ヤバがちな時流にはせめて巻き込まれぬように、最低限の備えと留意は頭の片隅におかれたし。あと星供/厄除け、ね。
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※4日追記
と書いたばかりだが、今日のネットにはこんなニュースが・・
日食月食も彗星同様に宿曜では妖であり、災禍の暗示でありラゴウ星のこと。
日本からは見えなかったが・・宿曜の問題時期に、宿曜の不吉祥が重なって起きるとは・・
宿曜は名の通り天体になぞらえて鑑るわけで当然、太陽も含まれる。そこも地球にトラブルが派生するレベルのフレアときた~ 宿曜的にはこんな事象連発はヒドいんじゃないか⁈
オマケに、
ふと思ったが、彗星ってのは見ようによってはミサイルに見えるねぇ・・ミサイルなど存在しない時代に説かれた宿曜だが、現代人には知り得ぬ古代人の先見が込められているのかも。
にしても未公表兵器ってなに⁉ この戦を鎮めたい一枚岩ではないらしい関係諸国の思惑の交差もある、世界を巻き込む事態にならぬ事を願うしかないが・・
バッタバタながらも~
太元堂恒例ですが・・
月例の準備してると真っ先にお参りに来るのが虫サン(^^;
今年は今も夏だか秋だか分からん気候ですが、虫さんも何かとタイミング難しいよね~ww
頼める=出来る人がいないから風呂敷護摩準備は全てを一人でやるしかないのですが、もうバタバタ・・ここ数日で花巻盛岡何往復してんだか;
おまけに常とは全く違う護摩だから、感覚を掴んでおかないと自身も不安・・紙天蓋を100回焼けば自信が付くと言われながらも、幸か不幸かまだ一回も焼いたこと無いし;で、今日ムリヤリ時間を作って習礼。何とか上手くやれまして、一安心(;'∀')
本番は風呂敷の上だし、護摩木も大量に使う上に添え護摩も結構ある、更に神経使うどころでないお加持があるので、緊密度やリスクは習礼じゃ済まない、のですけれども~(^^;
とりあえずここまで来れば、明日花巻の所用が済んでからでも慌てず準備できそう。頑張ります!
参拝ご予約の方々は、気合を入れてお参りをp>o<q お待ち申し上げます!
餓鬼道なめんなよ⁉
彼岸施餓鬼へのお問い合わせがありまして、これまでも何度も話しておりますが、ご理解にはいまだ不十分な点があるようですので、簡単でございますが改めてこの機会にお話ししておきましょう>o</
施餓鬼供養と申しますと、先祖は餓鬼道なんかに堕ちてないはずだ/施餓鬼なんか関係ない、と言う方がたまにあります。
アナタの先祖が浮かばれて極楽に行ってるのなら、霊現象や災いが多発してる訳などないでしょ、って(失笑
また一方で「供養したい先祖が餓鬼道にいなかった場合、施餓鬼の意味はあるのですか?」という疑問が出るのは、自然なことですね・・
では、餓鬼に施すとはなんぞや?
そもそも餓鬼道とは、インドの原義では【彷徨える死霊の次元】に過ぎません。餓鬼という言いでは、死んだら成仏を信じたい日本人にはショックが大きすぎると考えたのかどうか、俗にいう冥界・霊界、現世に重なっている霊的次元にとどまっている幽霊のこと。※禅宗などで施餓鬼でなくあえて施食と言うのは、そんな感覚が窺えます;
障りとして現れる霊とは、ハッキリ言ってしまえば餓鬼道に堕ちている魂、ということ。
生前に積んだ、或いは残された親類の積む功徳力によって解脱への道へ進入するか/神仏に導かれるか/転生するか、または地獄行きか、のいずれにも該当しない魂はこの餓鬼道にいる、と思ってよいでしょう。
ちなみに、この餓鬼の中にも多くのレベルがあり、鬼神に等しい自在力を持つ餓鬼から、ただひたすらに他の餓鬼に虐げられる弱餓鬼まで、あるのだと・・人間界と変わりないですねぇ;供養を施してくれる人がないと所謂浮遊霊とか、執着が酷いと所謂地縛霊というレベルか。
それはそうと【餓鬼供養】という典拠は、仏教では釈尊の時代にまで遡るものです。お釈迦さまの直弟子である阿南目連の両尊者に由来する話は、あまりに有名ですので端折りますが(これは中国で作られた話だとの説もありますが)、釈迦の言葉に一番近いと目されている原始仏典の中にも、餓鬼に関わる話がいくつも出てきます。
その中に、あるバラモン(古代インドのバラモン教の僧侶)との問答があります。
餓鬼供養の意義を説くお釈迦さまに、それでは?それでは?としつこく食い下がるバラモンは、最後にこう問います。
「亡き親類縁者が誰も餓鬼道にいない場合、施した功徳は誰が受けるのですか?」
お釈迦さまは答えます。
【亡き親類縁者が誰一人として餓鬼道にいない、なんてことはあり得ない。その餓鬼道にいる者が、享受するのだ】そして【しかもバラモンよ、施主もまた、その果報を必ず受けるのだ】と。
これが施餓鬼の疑義に対する全ての答えといえます。凡人の思考では窺い知れぬ、巡り廻って彼此が救われる霊的施しがあるのだ、と。
それでも後世は不安があったのでしょうねww ここから密教の施餓鬼は(というか日本仏教各宗での施餓鬼は、真言密教第六祖不空三蔵の本に基づいています)、個別の餓鬼指定よりは広く有縁無縁の餓鬼衆に施し、その功徳を縁故の精霊に向ける、という方法論で行なっております。
これによって「供養したい先祖が餓鬼道にいなかった場合」も「功徳はその精霊に向けられる」システムになってます!その死者が餓鬼道にいるかどうかは関係ない、のです。ご安心を(^^;
そしてまたこの精神に基づき、密教行法では必ず最後に【回向】を行ない、祈りの功力を施す範囲を広く指定して振り向けることになっています。たとえ個人の為の祈祷であろうとも。その功徳のおこぼれにでも縁じて、救われる人や霊や鬼神がありますように、と。
&かくなる言葉がございます。「回向せざるは魔業なり」と。成道した後もお釈迦さまは「私ほど功徳を求める者はいないであろう」と申されたそうですが、その感覚ではこういうことに関心も行ないも無い人は魔業にしか見えない、かもですね。
施餓鬼という行について、その外郭を簡易に解説してみましたが・・分かったかな?
にしても、上述の釈尊の言葉・・直葬墓じまい念仏で成仏したはず、と言うメデタイ日本人にこそ浴びせるべき言葉のようです(;^_^
ローソク占い⁉
今日のお護摩で、祈願護摩木が焼け残り・・こういうことは滅多にないのですが。
それは先日お参りされた方が、奥さんの名義で書かれた護摩木。
まあ~この方の奥さんは当山との約束を破った人で、本人はそれ以来、お出でになっていない・・
何気なしにお不動さんはちゃんと見てるのね~、です。
それを思いますと、当山の仕事は全て【仏さんの力を頼んで】のことですから、お客さんは私ら寺の者にご依頼されているつもりでも実には、その地点で当山のお不動さんお大師さんに声をかけているに等しい、のでしょう。
とすれば、お参りに来ての態度言動はもとより、電話かけた地点から【当山の仏さん方には見られてる】と思っておくのが、たぶん正解。
当山では、ご参拝者に立てていただけるように祈願ローソクを用意していますが・・ここには不思議が見られます⁉
同時に並べて立てたローソクでも、普通に燃えるのと一気にダラダラと溶け切ってしまうのと、あからさまに差が出ることが多分にあります・・どうやら、急激に溶け切ったローソクの願意が、その人への警鐘や問題であるようで。
何が不思議って、扇風機や暖房をつけていようと、お勤めの時などはほぼ変に溶けることはありません。誰か死にホトケが来てるな~と感じる時などを除いては。
ところが、お客さんがいらした途端にベロベロ溶けだしたりもします・・無風状態だろうと。
経験された信徒さんは多いのでご存じでしょうし、あまりの有り様にショックを受ける方もおられますが・・作為な事象ではないもので;
正にお参りされた地点で、お不動さんが参拝者を見ている証拠でしょう。
そして、燈明を献じただけで、その方への注意喚起のサービスまでされている⁉のです(^^;
お釈迦さまは「我が滅後に遺骨をストゥーパ(塔)として祀れ、さればその塔を見た人に【これは如来の在ました証なのだ】と浄心を起こさしめ、解脱への誘いとなる」と申されたそうです・・
が、大乗の仏の働きは起浄心に留まらず、殊に当山の御仏は当山へ縁じただけでも何らかの示唆まで与えてくださるらしい⁉
と、そういう示しがあっても、ソレを活かすか殺すかは本人次第ですけどもネ。逆に理に適わぬことをしている人には、冒頭に述べたように見てらっしゃるんでしょう~(((;゚Д゚))
また、足を運んで参拝する人には、来ない人には得られぬ救いがプラスして向けられている、実例とも言えるのでは。焼香や献燈明すらしない人は知らんですけど。
正五九は四天王帝釈が見て歩いて閻魔帳に書いてるってよ!とは申しましたが、当山の仏さん方は、信徒さんをいつも見ているようです。その意識を頭の片隅に置いておくと、頂ける験もまた違ってくると思いますよ。





















