寺ブログ by副住職
杖の効用
前回記事に書きましたが、行き当たりばったりで急遽お参りした、讃岐金毘羅宮。
ここで図らずも「杖の効用」を心底、思わされることに。
参道の店で「ここの石段、想像の上を行くから杖を借りてった方がいいよ」といわれ、レンタル杖を片手に785段を登る・・
GW始めということもあるのか、本当に人人人;
若い人ばかりじゃない、お年寄りもいれば、まだ入園前かと思われるような子供(*_*)の手をひく夫婦や、手をつなぐカップルも。いや、デートには酷すぎだろww、と歩いていて気づくのは【手すりが全然ない】!身体を預けられる場所がない、まさに山登り。
杖無しで登る人も多いですが、登るにつれて心なしか周りは牛歩的ペースの人が増え、中には座り込んで動けなくなってる人も(^^;
もうココで今日一日終わってしまうんじゃね?という焦りと疲れで、「もう止めて帰るか」という思いに何度も駆られつつも登拝達成、雨に濡れてきた帰りの石段を急ぎ下って来て、ホントにこの「レンタル杖のおかげ」としみじみ。
身体を預けられるモノがあるというのは、なんと有難いことか。
そういえば、お遍路では【金剛杖】という杖が必須です。長距離の山あり谷ありを歩むには【杖】は欠かせない。
そればかりか、この杖は単なる【杖】ではないのです。
同行二人という言葉、聞いた事お有りと思います。一人の遍路旅であっても二人旅だよ、と。もう一人は誰?・・お大師さんです。
それは、観念だけの言いでなく、この【金剛杖】がお大師さん、なのです。
だから、遍路した人には常識ですが、宿に泊まる時は先ずこの杖の足を洗い、部屋の上座/床の間に安置します。金剛杖は道中の【物心両面を委ねる】大切な依処なのです。
ところで、杖といいますと、膝や腰が痛んできて「歩くのが/起居が大変」という人には「杖を使った方が良いよ」と常々お話ししますが、実際使う人は少ないようですね。
そうこうしているうちに、歩き格好がおかしくなったり、歩けなくなりました、という人達もいます。
どうして使わないの?と聞くと「みだぐないから/恥ずかしいから」が多いよう。高齢の人ほど、杖は年寄りのつかうもの、というイメージが染み付いているようで。
でも杖があると、膝腰にかかる負荷が相当に軽減されるのは立証されていること。頭部という重量物を最上部に置いて二本足で立っているという人間の構造自体が、そもそも生体として無理が多いという論もありますし、やはり足は3本くらい必要なのかも笑
我慢して痛い部分をかばうようにしていると、他の部位にも過度の負荷がかかって健康な部位まで痛めるという悪循環になり、痛いから変な格好となり、変形し、終いに歩けなくなる・・躓いて転んでから寝たきり、なんて話も聞きますでしょ?
世間への体裁とか無意味なプライドのせいで、自身を無駄に傷つけて、人生の自由な時間を自ら縮める真似をしているんですね。
杖を使え、布団じゃなくベッドに寝ろ、と何度も言ってようやく取り入れて「こんなに楽だと思わなかった、もっと早くやればよかった」と仰った人も何人もいます。
あなたが気にする世間サマ/プライドサマは、貴方の心身が弱り困ったら助けてくれるのか、考えてみたらお分かりですね。心と身体を以って生きねばならぬのは【自身】でしょう?何を大切にすべきや。
杖を用いるのは、【寄りかかれるモノを用いる】というのは、何も恥ずかしい事ではありません。そのおかげで心身に負荷少なく、健康を保てるなら賢明な道具でしかない、でしょう?身体が心が弱ってくるとは、老いれば誰もが通らねばならぬ道、何を恥じらう必要があるのでしょう?
それこそ、あなたの身体を支えてくれるソレは「お大師さん」だ、と思うのもイイでしょうね。そうしたら、恥ずかしいとか遠慮なんか無用、かえって心強くすらあるかも。
ついでに【杖】は物ばかりではありません。
【鑑定や祈祷は、転ばぬ先の杖ですよ】とは昔から常々お話ししていることですが・・
しかし古くからの人でも、肝心な時に相談は無く、転んで大怪我をして、それから相談に来る人は未だにいます・・
杖は転ばない為の支えであって、転んだ時に起き上がる為の支えです。信仰とは【杖】たるべきもの。正しき祈りがある人は幸いというのは、ソコです。
願わくは、持ってるだけじゃなく、日頃動かして、しっかり活かされて欲しいと思うんですけれどもね。
困った時ばかり思考で祈りの杖はしまいっ放しで埃まみれや行方知れずでは、御仏も大師もイザの時、杖になってくれるには間に合わない、ことも往々でしょうから。
※5月28日法会の話の整理記載
タイト遍路!
善通寺法会でしたが、香川県なんてめったに来る機会がないので、車借りて88ヶ所可能な限り回るか!と翌日。
四国八十八ケ所は・・20年ほど前に高知と愛媛を100kmほど歩いたのと、その後何度か愛媛県内の何ケ寺か回った位ですから・・
レンタカーに乗ってさてどこから・・ちょっと待て、満濃池って香川だよな?と思い立ってナビ検索すると20~30分目安。雨予報だし88ヶ所じゃないけど、お大師さん語るにココは外せない~とGO。
善通寺市の南、満濃池。お大師さんが築いた、日本で初めてのアーチ型ダム。
何度工事をやってもダメで匙をなげた役所がお大師さんに委託した所、瞬く間に大勢の人が集まり、大師が持ち込んだアーチ技術でもって完成、1200年も讃岐の地を潤している。
大師は工事中、指揮をとりながらずっと池のほとりで護摩を焚き続けたという。八大竜王社の下には近年の吐水口工事で水没したが、平らに削られた巨大岩盤の吐水口があるそうで、そこも大師の霊石と呼ばれていたそうだ。
今も水不足は常態であるらしい讃岐の地。どれほどの人々の生きる糧の湖となって来たのだろうと、いにしえの景色を感じさせる風に想いを巡らして。
ほとりには神野寺、満濃池大師。88ヶ所ではないが、大師の真蹟として信仰されているらしい。丘の上には満濃池を見守る大師像。誰だか皇族(失念;)が訪れた旨が刻まれていた。
ナビを見ると、金刀比羅宮近いじゃん!ここまで来たら行っとかな!も、近づくにつれ渋滞;GWだもんな・・が、運よく門前の駐車場1台空き!
お店の人から「石段、想像の上いくから、杖借りてったほうがいいよ」と言われ100円レンタル・・凄いとは聞いていたけど何段だっけ、と検索すると785段!
が、ここまで来たら登るしかない!と腹を括り・・頂上本殿到着。それにしても歩いて登るしかない山の上なのに人多すぎw
ところで、金毘羅宮は全国の金毘羅さんの総本宮ですが(花巻の吹張にもありますね)、何の神様だか知ってます?
・・ワニの神様、なんです。インド由来の仏教守護の神。祭神「大物主神」ってのは明治のコジツケ。そう、ここも明治の神仏分離、廃仏毀釈の犠牲になったトコ。もとは真言宗のお寺で、金毘羅さんはその鎮守でした・・この程度は知っていましたが、戻ってから検索すると酷すぎる随分な事情があったよう;
お詣りしてるとパラパラと雨、雨予報がここまで持ち堪えたのも有難いが、一種の水神にお参りしてパラッと雨にあたるも、また有り難や。でも下り石段濡れたらヤバいと急ぎ、幸いにパラパラのまま下山。
次いで73番、出釈迦寺。善通寺の裏山を隔てたちょうど反対側にある。ここは、幼き日の大師/真魚クンが飛び降りたという、有名な山。
下画像のやじるしの建物がこの寺の奥の院、その更に奥に真魚クン(大師)が飛び降りた崖があるそうで。
この寺自体がもともと奥の院の地にあり、遍路もそこまで行ったそうだが、さすがに酷だとのことで江戸時代だかに現在地に移されたのだという。それでもここも結構な高地;駐車場からでも金毘羅帰りの足にはキますww
前日にテレビで放送されていたが、大師誕生記念で今まで非公開の仏像が特別公開中!これまた幸いと拝観。奥の院に祀られていたという釈迦如来像。年代不明だが全身キラキラ金色、大師を抱きかかえた伝説に相応しい柔和なお顔。
88ヶ所は香園寺など一部を除いて、お堂の内拝不能がほとんどですが、ここは特別拝観の一環で本堂も内拝。ありがたや。
山を下って72番、曼荼羅寺。出釈迦寺の麓。88ヶ所で一番古い寺なんだとか。かの西行法師もこの寺に何年か居候していたそうで、西行の昼寝石なんてあるww
そこから74番、甲山寺。凸っとある山の麓をグルっと回って到着。洞窟にある毘沙門天はお大師さん作らしい。
で、ウサギの石像と括りつけられた沢山のリボン・・?
ここはお薬師さんなので日光月光が脇侍。月天子の使いと言えば・・そう、ウサギさん、という繋がりらしい。ウサギといえば、因幡の白兎の物語でおなじみ「縁結びの使い」ともされますから、リボン結んで縁結びの願い、なのでしょうね。
さて次は71番、弥谷寺。待てよ、山の上っぽいぞ⁈・・と検索すると、五百数十段の石段って;金毘羅帰りじゃ絶対無理だ、と断念して検索してると「海岸寺」。
88ケ所じゃないけど、もう一つのお大師さん誕生地との伝説がある寺だよな?と、ちょっと遠回りなるけど車を走らせる。
歴史の古さを感じさせるお堂。隣は宿坊みたいな建物もあるけど大きいお寺なのかな?と検索すると、何と寺裏は砂浜まで繋がり、道路を挟んだ向こうの塔のある広大な林地もこの寺、そこで大師が生まれたと伝えるらしい。故如何?と検索すると、なんとここは大師の母、阿刀氏の邸宅地なのだという!
時間がないので本坊だけお参りして戻ったが、後で検索すると「もう一つの伝説」と笑えないのでは?な事実が・・大師誕生法会に出仕させてもらって、図らずももう一つの誕生伝承地もお参りさせてもらうとは、偶然か必然か?
引き続いて76番、金倉寺。立派な堂宇が立ち並んでいる・・そりゃそうだ、天台寺門宗の別格本山ですものね。天台寺門宗の祖・円珍さん(弘法大師の甥)が生まれた地であるそうだ。よって88ケ所でも珍しく大師堂の本尊は円珍さん、お大師さんは脇仏。本堂の鰐口にあたる物が大数珠で、引っ張るとカタカタカタ・・と数珠玉が落ちてくる軽快な音が静かな境内に心地よい。
あと一ケ寺行けるか!と77番、道隆寺。本尊さんは伝お大師さん作。ここは何が凄いって、初期住職が密教を知る人なら「おぉ~」と唸ってしまう顔ぶれ。
初代は寺の由緒となった領主、2代目はその息子がお大師さんから戒を受けて、3代目はお大師さんの弟の貞観寺僧正、4代目は先の智証大師円珍さん、5代目は大師の孫弟子で修験道中興の祖の聖宝尊師・・いやはや。目の神様もあるようだが、タイムオーバー間近でここまで。
飯も食わずに廻ってレンタカー6時間期限、ギリギリ返却(^^; 書き出してみると、半日でよくもまあ、これほど廻ったものだ、と我ながら(;'∀')
しかしまだ半分。そこから電車に乗り、高松へ・・お目当ては「香川県立ミュージアム/史上最強空海・特別展」。
駅から歩くこと700m、高松城遺構の一部にミュージアム。
特別展は・・凄い!(画像はパンプから)
伝説の三十帖冊子(お大師さんの入唐メモ、この所持を廻って高野山/京都/天皇を巻き込んだ大騒動が起きた/国宝)、初めて見た!おまけに、お大師さん直筆の施餓鬼儀軌のページが開かれていて(◎o◎;) 普段行じている根本を目の当たりにして、目が潤んできました。
そして、唐の書生の記と見られる華厳経、米粒ほどの極小感じがまるでプリンタ印刷のように美麗整然に書かれていて圧巻!どんな筆にどんな腕ならあんな文字を書けるのか、ホント不思議の域。
金剛般若経開題(国宝)、これは下書きか?と見られているらしいが、大師の書は本当に芸術。飾っておきたいと思わせるわ。※開題とはお経のタイトル(題目)に深意を読み解く論のこと。題目にも功徳が込められていると言い出したのは弘法大師その人で、後世のはその受け売りです。
龍智像(真言二祖/国宝)、大師の独特な揮毫もさながら、近くで見ると絵が本当に繊細!
板彫り曼荼羅(重文)、こんな小さな白檀の板に緻密に彫り込まれた曼荼羅・・レーザーも無い時代に、しかも印佛に用いる為にここまで作り込むとは・・古人の祈りの深さったら(◎_◎;)
善女竜王像(県文化財)、なんだか生生しい感じ、命が宿っていそうな雰囲気・・
愛染明王の図像、体の色遣いが絶妙なせいか、なんだか生きているように見えて衝撃(◎_◎;)
金毘羅宮出土の古式三鈷杵、ホントに武器だわww
他、寺外初公開という伝お大師さん作の観音像(デカい!)や、高野山教学に欠かせぬ道範さんの南海流浪記の実物とか、高野山霊宝館でも観た国宝など多々、大満足の特別展でした。そりゃ、大盛況なワケだよね。
ブースを出ると、こんな展示が。
コレは、展示されてる一字一佛法華経序(大師仮託作/国宝)を、香川県内21高校の書道部が再現したものだそう。一文字ごとに仏の姿が書かれているのですが、苦闘の跡が見えて微笑ましいww この中からも郷土の生んだ巨人の後を受け継ぐ逸材が登場してほしいネ。
そんなこんなで、香川を一日強行で廻りました。霊場寺社を回りましたが実はこれ、私一人の楽しみ功徳ではなく、当山に参拝される皆様にも、とある形で加持の一端となっていますよ・・分かるかな、気づかないかな(^^
※高松駅前
そして高松駅でうどんを食べ、JR特急かバスか迷い、高速バスに乗ったはいいが、デカすぎ淡路島で疲労困憊に追い打ちをかける羽目に・・;でもまた行くぜ、香川!
※道中の余計な記憶は、長くなるのでメモ記録かたがた別記
縁結びの究極!
明日まで、高野山で結縁潅頂が行われています。※画像は高野山サイトから拝借
コレは、言うなれば【在家の人にとっては、仏様との縁結びの究極儀式】。
老若男女も善人悪人も信心不信心も問わずに、誰でも曼荼羅に引き入れて仏様との縁を結ばせるもので、弘法大師の時代から行なわれ、江戸時代には皇族武家からエタヒニンと蔑まれた最下層の人々まで差別なく入壇させたという、完全無差別にして至高の厳儀です。
※この点だけでも真言宗が貴族仏教だったという教科書記述など、偏見で嘘だと知れますね。
その功徳は【密教の最高厳儀】である伝法潅頂を「在家向けに極略化しただけ」ですから、単純に仏に向き合って念仏や題目を唱える功徳などとは比にならぬ大功徳です。この身で直に曼荼羅に入るのですから、成仏への妙術です。ゆえに少なからぬ不思議の霊験談も伝わっています。
そこで、江戸時代に将軍の護持僧でありながら、幾度となく結縁潅頂を開壇して十数万人を入壇させた浄厳律師のお弟子さんが記述した【結縁潅頂の霊験談】から奇瑞をご紹介しましょう。長いので2つばかり。
※原文は長いので要約します/現代語訳です
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①天和3年3月に伊予の国の人、お伊勢参りに十数人で難波の港に来たが、病気発症したのでそこに留まり、2人を看病に残して他の人は伊勢に出かけた。看病続けたが4日目に死亡。
看病の2人は他の仲間にも亡骸を見せねばと入棺だけして待ち。戻って来た仲間らが涙が流しながら棺を開けると、生きてるが如し。しばらくすると息をし出した。蘇ったぞ!と服を替えて薬を飲ませて落ち着かせて話を聞くと曰く、
荒野を歩いて行くと種々の地獄のようなものがあって、叫び声が響いていて恐ろしいったらありゃしない。奉行所のような所に着くと役人が並んでいて、一人が「お前は今までどんな功徳を為してきたか?」と聞くので「とりたてて何も無いです。ただ、今年の春に讃岐で結縁潅頂があると聞いて有り難く入って来ました。その他は何も無いです」言った。
するとその役人曰く「まことに善きことだ、お前は如来内証の境地に入ったのだ、長く悪趣の苦をのがれるが良い、お前には寿命を与えて人間に還らせよう、ますます真言を受持しなさい」と。
嬉しくて小躍りしながら来た道を戻ると、大きな池に10歳ばかりの子供がいた。よく見ると1年前に死んだ我が子ではないか!どうしたことよ!と聞くとその子は「僕はこの池の底にいます、苦しくて苦しくて。今たまたま休憩をもらったので、このことを伝えたく来ました。お父ちゃんは帰るのですね、僕はいつか人間に出れるのでしょうか?」と抱きつき嘆き悲しむも、池から「早よ帰ってこいや!」と声がして、息子は波の下に沈んでいった。
道を進むと牛頭馬頭が取り囲む火の車がやってきた。そこから叫び声が「我は某と言う、よこしまな事ばかりで百姓を苦しめた罪でこんな目に遭っている、帰ったら我が子に告げて追善をさせる様にしてくれ、お願いだ」と。誰だ?とよくよく考えれば、村のお役人様だ。可哀そうに、と歩まんとしたら目が覚めた。死んで三日も経つのに、と皆不思議の思いをした。
薬など飲んで体調が回復してお国に帰り、この話などし役所を訪ねると、かの役人は死んだという。聞くと日にちは自分が死んでる日と合致してるし。かの旨を子に伝えて供養をさせた所、その子はますます功徳を積んで善人になったと。この話は確かなる人の聞き伝えを善を勧めるために書き残したものである。
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②高松城下に晩年出家した見性という坊主がいた。出来は悪いのに頑なだったから、仏教の「空」思想を聞いて邪見に陥ってしまった。そして結縁潅頂の話を聞いて嘲り笑い、人々を惑わすだけの興行等と罵詈雑言をいうので、天和3年正月26日友人たちがムリヤリ結縁潅頂に入壇させた。
かの者は、内道場が他言無用とは子供だましに決まってる、オレが入壇したら大日のドテッパラをぶち抜いたるわ!と小便して手も洗わず入壇、道場を出てから心地悪く知人の家で横になる。翌27日朝、起きると狂ったように大声を上げ舞い踊り「大日打た、見さいな見さいな」と叫び続け、友人たちが「未曽有の珍事」と群がって来ると唾を吐き散らす。そして「小便せん小便せん」とばかり言い、「すればよかろう」と言われると唾を吐く。人々は「手も洗わず潅頂道場に入った罰や」とささやき合った。
乱心止まず手が付けられないので故郷へ送り返すことに。篭に担いで行くも大声を罵り続け、行き交う人々は奇異の目で行列をなした。こうして11日間飲食もせず、2月6日の朝「深き坑に堕ちるわ助けよ助けよ」と叫んで死んでしまった。
これは驕慢不信の故に現身に地獄に堕ちた事例。直に見聞きしたことなれば、書き留めておく。
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また、法相宗(薬師寺とか興福寺)を極めた真興さんという坊さんは、真言宗は仏教の常理に違しているから自分が破ってやる、その為には法門を伺わねばならぬ、と結縁潅頂に入ったところが執金剛神にけり倒され・・悶絶の内に懺悔して「我こそは密教を興隆すべし」と誓願されて、後に子嶋流という真言宗の一流を築き上げるに至りました。そういう人も居ます。
※真興さんは子嶋荒神の話などもあるように霊覚のある人だったようです/おまけに密教のとある潅頂はこの子嶋流で行なわれることにまでなっています。
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そして
悪心ある者は罰せられ、浄心ある者は無量の功徳を得ること、明白である。無量の悪業と地獄の因を他の教えは救えない。ただ、金剛界大曼荼羅のみ救い得ると説かれているではないか。
在家の人は結縁潅頂があると聞けば、どんな遠くでも足を運ぶべきだ。億の金が手に入ると聞けば、誰しも地の果てまででも行くであろう。だが金はあの世には持っていけない。あの世に持っていけるのは戒と布施と不放逸(仏教修行)の功徳のみだ。潅頂に遇う者は現世にも来世にも苦を離れて成仏にいたるもの。距離を理由に行かざる者は信心の浅さを恥じるべきだ、
と記されています。
かくも大功徳の大霊威でありますが、その執行は非常に大がかりで、大道場と、膨大な什器と、大人数の阿闍梨が必要なため、容易に行なえるものではありません。
ですが高野山(東京別院も)では毎年2回、春秋に行なっております。コロナ禍で休みでしたが今年は復活しております。
東京別院でのご案内をLINE配信しました所、締め切り日だったにも関わらず数名様が入壇されたそうで、いたく感動したと報告を頂きました。何よりでございます。
高野山は明日が最終日。こちらは予約なしでもいけるようです。こちらからは飛行機+電車と非常に遠方ですが・・都合がつく方は飛んで、または秋の機会にでもぜひどうぞ。
しかし、なかなか叶わない・・という人への話もありますが、いい加減長文なので稿を改めて。
本当の御朱印
先日、弘法大師誕生所である香川の善通寺に於いて、大師誕生1250年慶讃法会に出仕、無事お勤めさせていただきました。
法会の報告は、後程改めてさせて頂きます。
50年に一度の機会という稀なる法会に出仕、という勝縁を頂いたので、当山信徒さんにも結縁していただきたく、善通寺に写経納経を勧募したところが多くの皆様からお申し込みを頂き、ありがたいことでありました。
お預かりした写経は副住職が善通寺に持参して、善通寺のメイン堂宇となる御影堂に納経料を添えて、しかと納めてきました。施主各位にはご安心ください。なお納経は、どうやら翌日の朝勤行の折に壇上に供え、導師が加持を行なった上で納められるようです。
また、御朱印も希望された各位には頂いて参りまして、郵送しました。
さて御朱印。昨今は何気にブームらしく、あちこちを巡り歩いて集めるコレクターや、寺社も特別や限定の名のもとに多種類とか高額朱印も販売し、モノによってはネットで高額取引されるという、ちょっと筋がずれた向きになってきているようで・・今やスタンプラリーと見られていますが、それは大間違い。
御朱印は本当は何というかご存じですか?
え?御朱印じゃないの?・・というあなたも、分かっちゃいない。
正確には【納経印】なのです。お遍路さんした方には常識ですけどね。
だからハンコを押してもらうのは、正確には【納経帳】という。
ここで「なぜ納経と言うの?」と気づかれたなら鋭い。
納経とは冒頭に記しましたね。写経を寺に納めることです。
そうです、この御朱印とは【寺にお経を収めた証】としていただくもの、が本来なのです。
ただ【ハンコください】といって、貰えるようなものではなかったのです。
ただ、写経自体が時間もかかるし、札所巡りには先ずその納める分量を書くことから始めねば、と手間が凄まじい。それじゃなかなか困難、写経じゃなく読経でも納めたことになろう、というような流れで、現代に至ったらしい。
ですから、お遍路さんには本堂と大師堂で必ず心経読経が課せられています。それは乃ち納経の代わり、遍路は廻りの証に朱印を頂くことが必須ですから、読経は端折ってはならないんです。
ところが巷では、ただ来ただけで【御朱印ください】という人があります。が、上述の観点から拙寺では【最低限、本堂でお参りをされないと御朱印は差し上げられない】とお話しています。経を本尊に納めてこそ、御朱印にも功徳が宿るというものです。スタンプじゃ功徳など無い。
そういう点からも今回、善通寺のご朱印を頂いた皆様は【本当の意味での納経印を頂いた】ことになります。大師の勝縁年にまことの積善を為されたことをお慶びしますと共に、吉祥をお祈りします。
※神社でも御朱印をしていますが、牛黄宝印など古来より有している社以外は、寺の朱印に寄せて近年行われるようになったもので、経はそもそも関係ないし、どのような根拠づけをしてるのでしょう?もっとも、私は神社でも心経や立義分などあげて参拝しますけれどネ。
一知半解
topページにしているbingに、東洋経済オンラインの「お寺の中核は法事と祈願と思い込む人の盲点 二大事業が重視されるようになった歴史的経緯」という、記事が表示されたので読んだ。
が、コレは酷いとしか言いようがない。行動経済学の視点から書かれたものとはいえ、俗の知識を根拠にしているとしか思えない。こんなの書いた中島氏って誰?と検索すると、慶応義塾大学商学部の教授とのこと。
内閣府にも関わっていたらしい日本の頭脳とも目される社会的信用のある人間が書けば、こんなデタラメな記事でも世間の人々は信用するだろうし、日本の仏教を貶めるに一役買うことになろう。
そこで、著者とは比較にならぬ浅学菲才ながら一矢報いておかねばと、記す。文章化すべきだが整理が手間ゆえ記事を引用のつど反論する。
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※>以下は記事の引用部分
>このように祈願と法事はお寺の二大事業なのだが、驚くべきことに、これらの儀式は仏教の開祖である釈迦の教えに基づくものではない。
>恵まれた環境で育ったが(略)苦しみから解脱する方法を探し始めたとされる。(略)たどり着いた結論は「こだわりを捨てる」というものだった。
>煩悩を消し去るには(略)、いずれ消えてなくなる運命にあるという「無常」の概念を理解するしかない。これが釈迦の教えの基本である。
先に、基礎知識を。仏法とは、釈迦の言葉に近いとされる原始仏典に依れば【推論の領域を超えた微妙(繊細極まりない)もので、智者のみに知り得るものだ】とある。ゆえに説法をためらうが梵天が来りて【煩悩の汚れの生まれつき少ない衆生もいる、彼らなら法を説けば理解する】と説得し、これによって釈迦は説法に踏み出したと。
厳しい話だが、釈迦本人の悟った仏法とは「誰でも救われる法」ではない。資質のある者ならば、修行で得られる解脱への道筋を説いたものだ。その修行に専念するには「労働と生殖」という「人間が社会を作り生きていく必須要件を一切放棄」するということが前提となっている。自給自足すらも許さない。だから釈迦自身が【世の流れに逆らうものだ】とも言っている。
人間離れした教えを実践して解脱に至る、これが仏教の原点だ。
釈迦滅後、弟子らが結集研鑽を重ねるうちに、己の解脱の優先を踏襲するグループと、【苦を免れる】法味を民衆にも得さしめる、というグループに教えは分かれ、ここに仏教のいわゆる上座部(小乗)と大乗が誕生する。
大乗は【釈迦が現法涅槃から説法へ=再び世俗の中に戻って来た】ことに重きを置く。そして大乗の門において解脱を果たした修行者らは、得た生死の世界を超えた体と智慧通力で追随する眷属らを率い、泥の中で遊戯するが如く、様々な手立てによって俗世の衆生苦を済度しながら、仏法へ誘うというスタイルを用いる。
そうした大乗の説法と救済の手立て=方便として誕生したのが、いわゆる法事と祈願だ。
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というわけで、
>これらの儀式は仏教の開祖である釈迦の教えに基づくものではない
そんなことは自明だ。仏教の原点は「解脱の為に非人間的な生活と修行」をせよ、である。だがその原理主義を貫き通していたら、現在に仏教など存在しないだろう。地域や時代の変化に合わせた大衆化によってこそ、広まり伝え来たのだ。
そもそも原始仏教には、法事や祈願など儀式を行なえなかった、深刻かつ決定的な事情が存在する。後述する。
>たどり着いた結論は「こだわりを捨てる」というものだった
アホである。釈迦自ら【推論の領域を超えた微妙なもので、智者のみに知り得るもの】と言っているではないか。仏教の原点においては解脱とは、俗世の基本的生活を一切断じて得る【認知の根本的な転換】ともいえるものだ。「こだわりを捨てる」そんな教えだったら日本に伝わるも無く滅んでいただろう。今の断捨離と同じって話か⁈
>いずれ消えてなくなる運命にあるという「無常」の概念を理解するしかない。これが釈迦の教えの基本である
ほんまにアホ、思考じゃないから【推論の領域を超えた微妙なもの】というのに。解脱智とは行によって直観と言うか直覚というか、全身を以って認知の根幹が変容する智慧である。「理解」と言ってる地点で論外だ。
>宗教評論家のひろさちやは、これを以下の簡単な数式で表現している。 幸せ=充足/欲望
>(略)この欲望と充足の無限ループこそが釈迦のいう煩悩だ。この数式が理解できれば、煩悩から解脱するための方法も簡単に見つかるだろう。
仏教を語るにひろさちやを持ち出した地点でたかが知れてる、と公言したようなものだが・・だから、人間らしい生活を一切放棄して、実覚智として身に体現する難思の法だ、と釈迦が言ってるのに。人間だれしもがその【生存認知に練り込まれた欲、それによって構成されている】生きているこの世界、その世界の束縛=存在から【超越した覚智】だってのに。
十大弟子の一人、阿難を見よ。彼は長年釈迦に侍り、最も教えを聞いた弟子であったが、釈迦入滅までに解脱することは叶わなかった。【多聞第一】と称された者にしてそうなのだ。断じて理解の問題ではない。この教授は何をもって簡単と言い切ったのか?失笑しかない。
>(略)釈迦がたどり着いた悟りは、「信じれば救われる」といった宗教的な意味合いよりも、時代を超えすべての人に通じる人生哲学に近い
難思の法であるがこれは「来てみよ、と示されるもの」=「私の説くところを信じて修行すれば、貴方にも得られるところだ」と釈迦は言っている。その法を信ずべきところから仏教は始っている。信じぬ所に宗教は存在しえない。
ついでに文面からにじみ出る、今の仏教が【冥衆や死者や不思議の力などを説き、相手にしてるのも釈迦と違う】感についても話しておく。それらの存在や釈迦の神通力は原始仏典で何度も言及されている。自称理性的な研究者がそんなことは無いはずだ、と勝手に除外した経典解釈を鵜呑みにするようでは、文献研究からも不誠実とのそしりを免れまい。
だいたい、仏教を「人生哲学」というような言い方をする人の著に、腑に落ちる論など読んだ記憶が無いが。
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>なぜ仏教が祈りと葬儀に関わるようになったのか
>(略)解釈をめぐって弟子たちの間で論争が勃発した。そのなかで最大勢力となったのが「説一切有部(せついっさいうぶ)」と呼ばれる部派で、悟りを開き仏になるためのハードルを高め、出家者のみにその資格があるとみなした。すなわち、参入障壁を設けて教団を専門家集団としたのである。
>この戦略は仏教の権威を高めはするが、信者が減るという弊害をもたらしたため、それに反対する新興勢力を生むこととなった。その新しい教えは、出家者だけではなく一般の人たち(衆生)も救いの対象とするもので、(略)「大乗仏教」と称される。
>参入障壁を設けて教団を専門家集団とした
だから~もともとの仏教は【出家修行者のもの】だっての。専門家集団というのが、本来の姿なの!
>威を高めはするが、信者が減るという弊害をもたらしたため、それに反対する新興勢力を生むことと
仏教が分裂したのは「釈迦の教えの解釈」が主原因だ。大雑把に述べれば上座部の説一切有部は「人空法有」を主張し、大衆部は「人法二空」を取る。ここから更に方向性の違いが広がっていった、である。「ハードルを高め」だの「参入障壁」だの「信者減の弊害」だのと思考が俗、まさか大学内の学閥争いと同じと思ってるの?
※ちなみに、読んで字のごとく有をも主張する説一切有部の教義は「釈迦の意に違背するもの」との批判に堪えず、宗としてはたしか消滅したような?でも、その微にいり細に入る精緻で膨大な仏法論考(アビダルマ)は、しっかり大乗仏教の基礎ともなっている。お馴染み百八煩悩というのも、ソコから来ている。
>ただ、衆生は実社会で生活しており(略)、そこで考え出されたのが衆生でもできる解脱の方法である。
>①坐禅を通じて仏心があることを仏に認めてもらう方法 ②経典の力によって仏の世界に飛び込む方法 ③仏を念じて仏の候補生になる方法 (略)①と③は作法に従って実践すればよいだけなので、時と場所に縛られることはない。
>したがって、①と③が教団として生き残るには、何らかの専門性を有する祈りの作法を取り入れる必要がある。そこで目をつけたのが人間の死を扱う葬式である。
>考え出されたのが衆生でもできる解脱の方法である。
解脱への修行はかくも日常生活の延長では困難であるが、その功徳に与る術として釈迦は布施を説いた。更にそこからもう少し仏法へ親近させる/功徳を得る向きに展開されたのが大乗だ。が、それは解脱へのいざないであって、衆生に出来る解脱の方法などではない。だから原始仏典では、釈迦は在家に対しては【功徳を積んでの生天】を説くのが主なのだ。
原始仏教の性質からして、教団はそのままでは維持どころか修行僧が生きることすらままならない。稼いではならない、ってんだから。ではどうやって生きるのか?釈迦の答えは【布施】である。修行する僧には解脱へと向かう行力が生じる。修行出来ぬ民衆は、布施で修行僧の生活を支えることで「解脱へ向かう力の一端に与れる」という功徳を得る。修行僧は布施を得る事で「生きて修行する」行力を得る。修行僧が解脱を果たしたなら、布施を行なった民衆も解脱力による功徳に与ることが出来る。wiinwinだ。
ゆえに、脱社会性という仏教の中ながら民衆にどう見られ/どう思われるかは一大事であり、釈迦がそのことに神経を砕いていたことは多く知れる。戒律(厳密には戒と律は別だが)の中には「どうしてこんな定めが?」というものがあるが、「民衆からどんな目で見られるか」のエピソードや視点だと納得いくのも少なくない。人は食わずには生きられない。収入を禁じながらも業を穢さぬように収入を得る、それだけでも容易ではない行みたいなものだが。
それを、>教団として生き残るには >そこに目を付けたのが
収入を得るという面をさも醜悪な属性とでも言いたげだ。釈迦自身が布施=収入を得る為の規律を弟子らに教えていたとか、在家には修行僧には衣食住を布施するべきだとか、説法を受けるために修行者数百人分の食事だとか、土地建物の寄進に注文とか、知ったらビックリ仰天かもね。
そもそも原始仏典には現在の感覚からは、やり過ぎとしか思えない苛烈な釈迦の言動がいくつも出てくる。世間的な優しさの人だと思ったら大間違いだ。比すれば日本仏教などはるかに優しさに溢れている、それが解脱の視点から正しいのかどうかは別として。
それを知った上で>釈迦の教えではない、と批判しているなら、この教授は【仏教は、素質ある一部の者だけが救われる差別的な教えであるべきだ】と主張しているのでしょうね。
ついでに、明王の厳しさとは仏法に臨む釈迦の厳しさの反映ではないかとも考える。
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>そこで目をつけたのが人間の死を扱う葬式である。
>なぜ仏式葬儀が広まったのか
>(略)死に対する恐怖は時代を超えた人間特有のものだろう。(略)信仰を前提とする宗教にとって、人間の死は格好の「商売道具」なのである。こうした経緯を踏まえれば、教団が生き残るための道として、葬式を主たる事業とするのは当然の流れだった。
>それは、念仏を奨励する浄土宗や浄土真宗は当然ながら、他宗も積極的に葬儀を宗教活動に取り込んでいったことからも明らかだ。
当記事批判のメインといきますか。
まず、この教授は原始仏教と大乗の、目指す境地の違いすら分かっていないようだ。
皆さんにも聞きます。原始仏教の解脱である【阿羅漢】と大乗の【仏】の違いって分かりますか?
・・・
分からぬのに、成仏したとか簡単に言うんじゃないよッ!
って言いたいですけどね。そこらの寺にも。
同じなはずの悟りに仏と阿羅漢、何が違うのか。
仏は【一切智】と【大悲】を具している、端的にはそこが違う。
一切智とは、全てを見通すあらゆる知恵のこと。すなわち、世俗のあらゆる知恵にも通じていることをいう。
大悲とは言うまでもなく、衆生の苦しみを除かんとする働き。
解脱した世界には、束縛をはなれた風景だけがあるらしい。釈迦が始めに「自身が煩うだけだ」と説法をためらった点からもそこは窺える。解脱から慈悲を起こすかどうかはまた別の話だ。一見冷徹に思える三解脱門はその裏づけだろうし、大乗の諸師が二乗に「陥ってはならない」と口を酸っぱくするのもそこだろう。悟りと慈悲とは本来「別問題」なのだ。
智には悲が伴う、と言うのは大乗の論理であって、ゆえに大乗は【一切智】をも仏の条件とする。知る知恵と対処する知恵を有するからこそ、苦しみの世界に戻って大悲を起こし得る。
解脱から慈悲を起こして立ち上がった者達と随伴者達によって構築されたのが大乗。悟りに与れぬ者まで救いとりたい、がポテンシャルにある。
衆生世間を救うには、当然ながら衆生世間の智恵がいる。あらゆる衆生に見合った世間の智恵までも包括する所に、悟りの極致はある=これが「菩提」を超えた「無上菩提」の姿であり、これこそを【仏】と呼ぶ。・・しかしコレでは全知全能のスーパーマンでしかない;
阿羅漢に留まってはならない、という大乗の運動は、ここに至って【そんな超人はどう考えてもムリっぽいから、悟りは果てなき時間の先に先送りということで、菩薩となって大悲を基調に修行しましょうか】となった。真言密教が現れるまで、成仏論が輪廻の果ての理想に形骸化した、というのもここにある。
※余談だが、一切智とは理想論となるも無理ない話だが、民衆にも学習で得さしめようとしたのは弘法大師であった。彼は唐の国を立つ前に、福州の観察史(県知事的な)に【人の役に立つあらゆる物を持って帰りたい、協力して欲しい】と宛てた手紙が残っているし、日本初の誰にでも差別なく教育を施す私学校を作り、そこでは仏教に限らずあらゆる学問が教授されていた。もとより、弘法大師自身が数多の伝説を生み出すほどに、あらゆる世俗智にも通じていたのは事実としてある。日本においては、仏教専門バカとならずに正しく【一切智と大悲】を兼ね備えていたのは、後にも先にも弘法大師だけだ。
さて、衆生を仏教という教えに引き入れるには、どういうキッカケなら適切か。仏法自体が【苦】への認識からスタートしているのだから、【苦への対処】が一つの契機となるのは自然である。
また、教授の言うように「死に対する恐怖」は苦の最たるものだろうから、そこへの対処こそは【大悲の術(すべ)】として然るべきとなろう。
※インドでは宗教を問わず死よりも【輪廻】が恐怖である、とも。
その対処の顕現は如何なる形になるか?そう、祈願と葬式である。大乗の宗教からすれば、大悲の実践として祈願葬式を担うのは自然な展開でしかない。
そもそも日本に仏教がもたらされたのは、仏の威力に期待し、その鎮魂力に期待して、とのことを知らぬわけではあるまい。目を付けたの/格好の商売道具だの、と、後にはそういう輩も出てこようが、そういう視点でしかないのは自らのゲスっぷりではないか。
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そして原始仏教が祈願葬式をしなかった決定的な訳がある。
「インドではカーストが絶対だ」ということ。
だいぶ前の記憶で名前は失念したが、インド宗教の専門家の著書で目から鱗。
インドにおいてはカーストという制度が根底にあることを忘れてはならない、それは日本人には想像も出来ないほど、過酷なものである、と。
簡潔にはカーストとは生まれながらに規定された、その人の生きる階層の制度。その枠組みの中で、そのしきたりに添って生きることが求められる、これを超えようとすることは最悪、死をも意味する、らしい。インド圏には逃れられぬ地盤。かのガンジーですら、カーストの撤廃には首を縦に振らなかったことは有名だ。
釈迦の教団自体はこれを否定し、どのカースト出身であっても修行僧に差別はなかった。解脱智が世間の枠外であるように、仏教教団もカーストの枠外だったようだ。しかし、外部世間と関わる時にはカーストという社会を無視するわけにはいかない。
先述のようにカーストとは「その人の人生のしきたり」を規定するものだ。生まれから成人、仕事から結婚から子育て、おいては死まで。
お気づきであろう、インドではカーストの中で人生の通過儀礼を行わなければならないのだ。そして、通過儀礼とは宗教によって行われるものである。逆に、通過儀礼を行なう宗教はインドにおいては「カーストを形成する組織」とみなされる、と。
仏教教団に於いて葬儀や祈願を行なうことは「仏教カースト」を形成した、と見做されるにイコールなのだ。カーストを否定する釈迦にとって、それは何としても避けなければならない。世俗の認知を断滅し/人生に物語を持つ事を否定し/子孫など持たぬ事を前提とする教えであるから、そのこと自体は難なくだろうが、布施という生きる為の資を得ねばならぬ=世俗との関わりも死守せねばならぬ。宗教としては教えと儀礼こそが布教であるのに、社会によって儀礼をもぎ取られている、そのことを考慮せずに原始仏教を論じては見誤る、と。
インドで仏教が滅亡したのはイスラムの侵攻とされるが、バラモン教がヒンズーとして復活したのに対し、仏教が復活不能だったのはこの「宗教として通過儀礼に関わらないで来た」=基盤に於いて根無し草状態であったが大きな原因、との指摘には納得するしかない。
かたや日本では、カーストのような社会基盤に気を遣う必要はない。しかも大乗である。堂々と民衆の通過儀礼に添うことは、双方にとって利がある在り様といえよう。
記事からはまるで仏教が安定基盤を有することが害悪のような印象を受けるが、安定基盤を持たぬ仏教は彼の地で滅んでしまったのだ。どんな集団や企業でも、その存続に安定した収入基盤を確保する努力は道理に違わぬ限り、褒められこそすれ、なんら責めを受ける謂われなど無い。それを「聖たるべきものが」と金のイメージで悪印象を強調しようとする、そんな文面としか思えない。
葬儀の引き合いにそういうインドの過酷な社会制度や原始仏教の過酷さや教えの差も知らず、単純に日本の仏教を比較する自体がナンセンスだ。少なくとも学者さんのやり方として認められるものではないはずだ。
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>江戸時代になって幕府が、すべての国民に仏教寺院の檀家となるよう強制したことにより、
これは寺が役所の出先機関を担う故である。当時としてはまことに効率良き行政構築であろう。これで信仰の自由が実質奪われたままに今日に至っているのは甚だ問題と思うが。
>このままでいいのか?
>仏事の教義上の根拠は何なのだろうか。
>(略)「悪いことをすると地獄に落ちるよ」とか「嘘をつくと舌を抜かれるよ」などと言われた経験をお持ちの方もいると思うが、仏事の根拠となる『往生要集』の内容はそうしたもの
>「地獄に落ちるぞ」と言われれば、誰しも震え上がったに違いない。
故・細木かず子かよ(失笑) そんな教えで仏事やってる寺なんかあるの?逆に見てみたいわ。まあ、仏の話も教えも説かずにただナムナム拝んでハイ終わり、という教えも何にもない流れ作業な寺は多いようだが。
>同じような儀式を同じように続けているのが日本の葬式仏教である。
まあそれは上述の通り同感。
>安定的に布施を提供してくれる檀家を抱えているため、自分たちのやっていることが時代に合っているかどうかの検証もなされないように見える。
祈願寺は結果を出さねばならぬから毎座真剣勝負だが、食うに困らぬ寺ならそうなのかもね。
>この「茹でガエル」状態を続けていれば、いずれは仏像や伽藍を残して日本から仏教は消え去ってしまうことにもなりかねない。この危機意識の欠如こそが日本仏教の抱える最大の問題なのである。
まあ、それは分かりますわ。
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で、全体を通してこの記事は何を言いたいのかは、全く分からないのですけど。
仏教界に対する提言でもないし、コロナ禍で略する一方でクソ高い布施や寄付を要求する寺に不満悶々の民衆を煽ってやろう、悠遊自適な寺を追い詰めてやろう、という行動経済学に基づいた言質でしょうか?
主張は勝手ですが学者たるもの、誤った情報による批判話など、許されることではないと存じますが?影響力の無い庶民がネットにデタラメを書き散らかすのとはワケが違うお立場の人、なのですから。
この記事にタイトルを付けるならば【お寺の中核は法事と祈願と思い込む人の盲点】じゃないね。
【仏教の中核を原点との差を考慮せずに思い込む人の盲点】が正解でしょうに。
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それでも、
>現在でも、祈願を主体的に扱う寺院は存在するが、祈願一本で経営を成り立たせるのは至難の業である。
よく分かってるじゃん!
葬儀と違って結果を見せねばならぬ祈祷や祓いは、その為す所も負う所も経費も葬式の比ではない。なのに葬式にはベラボウな布施が当然とされ、祈祷には微々たる料しか容認されぬ文化風潮が根付いている。中身に添えば逆たるべきなのだ。祈願一本で経営を成り立たせるのは本当に至難。
おまけに、葬式仏教に不満を持つ捌け口が新興宗教となり、新興宗教がヤラカして宗教不信を興すと、そのトバッチリを喰うのも葬式寺ではない、檀家も持たず【祈願や相談で現世に向き合っている】祈祷寺だ。檀家寺は痛くもかゆくもない。宗団機関紙などによると、コロナ禍で法人解散する小さな寺教会は少なくなかったようだ。原始仏教のように【通過儀礼に関わらぬ】祈祷寺は、信仰を束縛しない不安定な基盤の中で菩薩行を行じている。
>仏像や伽藍を残して日本から仏教は消え去ってしまう
祈願で経営を成り立たせるのが至難とも存じていて本当にこう思ってるなら、こんな駄文より、仏法実践の場で奮闘している祈願寺の価値認識を高められるような、行動経済学に基づく指南を書いて欲しい所だわ。門外漢が口出しして恥をかくより、得意技で提言する方がお互いにとってウィンウィンじゃない?日本仏教の危機を思われるなら、その方がよっぽど有意義ではないか。
思うままに記したのを更に極力詰めたつもりが、読み返すと結構な文量;だが、そういう仏教への誤った偏見を正すには、これくらいは必要となった。ご了承いただきたい。
読まれた人にはお付き合いありがとうございますm(__)m
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追記 昨日、高野山元管長の松永有慶猊下の訃報の通知があった。私的には専修学院や講伝でお世話になったくらい。
であるが、著書に「明治から戦後までの人間釈迦/哲学仏教/悲哀ある宗教家だのが一知半解な偏向文化人に持ち上げられる一方で貶められてきた真言密教、その復権というものを私的に課してきた」的な記述を読んだ気がするが、まことに、真言宗の意義と価値の宣揚に尽力された第一人者であられたと思う。
この記事を書いている最中に訃報を受け取ったが、この文も些かでも松長師の意に添うところがあるなら、微力ながら報恩の回向としたい。哀悼。