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遍照院 へんじょういん 
お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

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2023-06-15 18:23:00

出来すぎな転生⁉

6月15日はお大師さんの誕生日

 

お母さんの玉依御前が、【天竺(インド)のお坊さんが懐に入る夢を見て】懐妊したと伝えます。

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であるから生まれた時から【貴物とうともの】と呼ばれていたそうで。マジか~

 

聖者が生まれる時には、洋の東西を問わずに奇瑞がありますね~ 生まれてからも数々の奇瑞、伝説になってますね。

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さてご存じの通り、海を渡った大師は大唐帝国の密教を率いる恵果和尚のお目に適い、

 

汝を待つこと久し、来ること何ぞ遅かりつる、生期まさに終えなんとす、早く受けよ

《汝をずっと待っていた、来るの遅すぎやで!ワシにはもう寿命がないんじゃ、早く我が教えを受けよ》

 

と告げられ、瞬く間にその全てを受け継ぐことになります。

 ※格調高い文章に触れて頂きたく、大師の原文を【】に記します。続く《》の、品の無い現代語訳は私訳;漢字は現代語。

 

そしてその年の12月、恵果和尚は大師に対し

 

わずかに汝が来れるを見て、命の足らざらんことを恐る。今則ち法の在るとし有るを授く。経像の功も畢ぬ。早く郷国に帰り、以って国家に奉り天下に流布して蒼生の福を増せ。然れば即ち四海泰く、万人楽しまん、(中略) 汝は其れ行矣く之を東国に伝えよ、努めよ努めよ

 

《汝が来て、我が余命が間に合うか心配したが、密教の全てを授けることが出来た。汝に持たせる経や仏像仏具も出来上がった。かくなる上はすぐに日本に帰り、この教えを朝廷に奉っては天下に広めて、衆生の福益を大いに増せ。されば天下は穏やかに、全ての民衆は生きるに喜び楽しみを得るであろう/ それ行け!早く日本に伝え、広めよ!》

と告げ、入滅してしまいます。

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大師が出会ってからわずか半年。今やって来たばかりの異国の若僧に、己の死期を察しながら和尚自ら死力を振り絞って全てを託した思いは、一方ならぬものがあったでしょう。

 

それは恵果和尚の入滅の日、大師が蒙った以下の告げにも伺えます。

 ※境界(=三昧)の中に告げて、とありますが、入滅当日は泣き腫らしているに加えて寺内慌しく、瞑想や睡眠など不能かと思しきより【夢うつつに告げられた】と読むのが宜しきかと。

 

汝未だ知らずや、我と汝と宿契の深きことを。多生の中に相い共に誓願して密蔵を弘演す。彼此代わるがわる師資となること只一両度のみに非ず。この故に汝が遠渉を勧めて我が深法を授く。受法云に畢ぬ。我が願いも足んぬ。汝は西土にて我が足を接す。我は東生して汝が室に入らん。久しく遅留すること莫れ。我、前に在って去なん、と】

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《お前はまだ気づかぬか、私とお前には過去世の約束があることを。輪廻転生を繰り返す中で、互いに誓って密教を広めて来たのだ。お互いに師となり弟子となるのは今回限りではない。だからお前を遠き国まで引っ張って我が法を授けたのだ。法をお前に託し、我が願いは達成された。お前は唐に来て我が弟子となった。我は日本に生まれ変わってお前の弟子となろう。この地に留まっていてはならぬ。我は先に行っておるぞ》

 

いかにも不可思議な告げとは言え、我が事であるから公にするには大師も躊躇ったようです。しかし「最勝王経」の妙幢菩薩の夢見金鼓故事のように仏教は不可思議を認めているに引き寄せて、同門の人々に示そうと考えた、とあります。

 

ところで、この告げには壮大なプロローグがありました

 

恵果和尚の師である不空三蔵(真言第6祖/大唐3代の国師と称された/日本の全宗派で唱える舎利礼文の作者)は、唐の代宗大暦9年6月15日に入滅しています。

 ※この時皇帝は喪に服す為3日政務を休んだという(◎o◎;)

 

ん・・この日は日本では宝亀5年6月15日⁉

 

そうです、不空三蔵の命日に大師が生まれているのです!

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大師の誕生日を聞いた恵果和尚は、おそらく驚愕したに違いありませんオマケに、噂に違わぬ非凡なる才を備えている。この者は、わが師不空の生まれ変わりに違いない、と。

 

であるからこそ千人の弟子をさておいて、大師に【東国で密教を】託したのでしょう。恵果の慧眼に狂いはなく、大師は日本史上屈指の偉人となり、真言密教は日本においてこそ命脈を保っているのであります。この告げは、大師の夢うつつでは済まない真、でありました。

 

ついでに、不空三蔵は南インドの生まれ、と見られています。(中東生まれ説もあり/父は北インドのバラモン、母はソグド人と云々)

 

さて、大師懐妊の際、大師の母はどんな夢を見ましたっけ?

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・・天竺(インド)のお坊さんが懐に入って来た、でしたね。そう、こんなところまで符合しているのです!なんとまあ~

 

 

仏教における輪廻や解脱の話を持ち出すと長くなるので止めますが、密教にいたってはこの【済世利人の仏法】を世に留め広める為、普賢行願の一術として、濁世の目指す所にあえて転生してくると言う次元まで、悟りが深化しているのであります。

 

袖触れ合うも他生の縁、という言葉があります。鑑みますと、同じ時代の環境に生まれてくると言うのは、知れずの共業に引き寄せられてくるものもありましょうし、一切は縁によって形作られるという観点からも、近しい関係に生じるとは前世で何らかの繋がりがあったのでしょうね。

 

ことに、存在の深み(魂)や神仏など「時空を超越した」絡みの縁とは、恵果-大師の「相誓願して」には到底及ばずとも、過去世に何かそういう縁があったと思うが自然でしょう。

 

さすれば、本日お参り頂いている皆さま方と私も、前世では何かしの縁がきっとあったのでしょうし、お大師さんはもとより、愛染さんや太元帥明王という珍しい仏さんとも今今に限らぬ、過去世でも多分出会っているのだろう、と思います。

 

だからどうこう、ではないのですけれど(^^;それはそれで終わり。ただ、そういう知り得ぬ不思議な縁もある、という事。ソレを知った風に言う奴とかソウルメイトだのと言うのは大体、イカレた向きですけど(笑

 

でも、目の前の仏縁が前世でも出会っている神仏ならば、自身に秘められている仏神とのパイプは他の人以上に大きいはずです。

 

ご縁があることに感謝し、足を運ばれてその縁を祈られますなら、貴方と仏を繋ぐパイプはより強く太く、そしてそれ自体が己自身を救い得る柱にまでなるでしょう。

 

また、【この故に汝が遠渉を勧めて我が深法を授く】この言葉を受けて大師はこう記しています。

 

進退我が能くする所にあらず

《唐に来たのも帰るのも、私の意思に似て私の意思ではなく、恵果和尚の計らいに過ぎなかったのだ》と。我を引き寄せ引き戻すは、大いなる力によるものだったのだ、と。

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仏縁とは、そういう一面もあるものなのでしょう。現に、太元帥明王に関しては非常にソレを感じる所が多分にございました。

 

お参りされます時は、願いも結構ですけれども、自身の持っている仏縁もお考えされて、ヒョっとしたら前世から頂いてる縁かも、私がじゃなく、仏さんが私を引っ張り寄せた縁かも、と思案もされてみて、お大師さん仏さんとのパイプを太く、生死を超えた支えとまで大きくしていただきたいなと思います。

 

※6月11日別院法話の整理掲載

恵果和尚の臨終に、大師の原文を載せました(私の駄訳は不要だったかも;)。格調高き文筆を味わって頂きたいに加えて、今際まで己が使命と後世の為に死力を尽くした「恵果和尚」の生き姿に、老いてなお案じるは目先のみとか後生すら考えぬ今時の老いの様を憂い、読まれる縁があった人には生き様への一刺激となれば、と記しました。

 

2023-06-07 22:35:00

形にしなきゃダメ!

この御幣は・・地鎮の幣。

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ご覧の通り、一般的な御幣と違って手間がかかります・・

 

密教の地鎮祭では、様々な供物を地面に埋めるのですが、この御幣も最終的に埋めてしまいます。

 ※設計上などで難しい場合は、別の方法を用いたりもしますが。

 

初めて仏式の地鎮祭をされたという工務店さんには、「全部埋めるんですね~!」と驚かれた人もおられましたが

 

え、埋めなきゃ意味ないでしょ?というのが、正直な感覚、ですけれども・・

 

だって、地鎮祭とは【大地の神様の供養】ですよ?大地に供養しないでどうする?

 

そうそう、余談ですが地鎮祭は【お祓い】ではありません。勘違いされている人多いですが仏式だろうと神式だろうと【地の神を供養して鎮める】ものです。お間違いございませんように。

 

密教では【事作法】という、実際に事物を用いる作法も重要視します。ですから密教寺院は、様々な荘厳具や法具で溢れている。断じて、気持ちや心だけで良し、とはしません。

 

この点、密教第6祖の不空三蔵※の弟子の飛錫さんが、名言を残しています。

 ※密教の祖師というと関係なく感じるかもしれませんが、玄奘や鳩摩羅什と並ぶ四大訳経家の一人で、浄土真宗以外の皆さんの菩提寺でも行なっている施餓鬼はこの人が構築したもの。唐の3皇帝に仕えて三代の国師と言われ、その命日6月15当日に弘法大師が誕生している。

 

腹が減ったからと心で満腹を想い、寒いからと服を着た気持ちになったところで、寒さをしのげるわけもなく、空腹が満たされるわけもない。およそ世の中のことは、理(理論/筋道)と事(物理的作用)が伴わざれば、何事も成就などするものではない

 

大地の神を供養するのでしたら、まさに「大地を供養する行儀」が無ければならないのです。それでこそ、真の地鎮といえましょう。

 

ですから、密教の地鎮祭は施主さん/工務店に準備してもらう点も、随分手間がかかります。ですが、そこまでするのでしっかり「供養」になる。地神は財をも司ると言います、と聞けば、地鎮の作法が如何なるべきか、皆さん考えるかもですね(^^;

 

また、神仏のこととなると往々にして「心はあります/合掌してます」というセリフを耳にします。が、「気持ちだけなんぞ、何の働きにもならぬ自己満足に過ぎぬもの」であり、事物と実際の行ないがあってこそ、初めて供養は実になるものなのだ、ということ。霊供養には塔婆を立てよ、も然り。

 

気持ちだけで済まそうなんて浅はかな心、神仏はお見通しです。やれるだけのことは「行動として」やる・・祈りを叶えたいなら、ぜひ覚えておいて欲しいところです。

2023-06-02 20:43:00

錦袋の糞⁉

青葉の時節の言い通り、草木は若芽が茂って来ました。高野槇もこの通り↓

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一方で若芽が伸びてくるということは古葉は傷むわけで・・樒も、傷み葉&ふにゃ新葉で買った半分は捨てる状態;

 

しかし、どんなに天然水でこまめに水替えして栄養剤を尽くしても、新芽はそのうちグニャっとなってしまうのです( ;∀;)・・こればかりは仕方ないのですが、安くもないので毎年この時期は嘆きが(~_~;) ま、普通の花は1週間持たないので、比べたらマシですけどね。

 

ところが、枯れない萎れない高野槇なんてモノもあるのです!枯れない供花や、そればかりか何時までもみずみずしい果物まで

 

って何のことは無い【プラ製】ww 今は技術が進んでいるようで【本物そっくり】が売りww

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でも、コレってどういうこと? そう、仏前の花や供物が【張りぼて】ってこと。生ものと違って取り替える必要なし!かつ、檀家や参拝者には本物の供物にしか見えません!って・・

 

ありえないでしょ笑、ご祈祷する寺でソレをやったら一発アウト、仏さん完全にソッポ向いちゃうよね、と思っていたのですが、現状は用いている寺が少なくないよう・・

 

高野山での伝授の折に、大阿闍梨様の話【最近出回っているプラスチックの花や果物、皆さん用いてないでしょうな?あんなモンは仏を欺き、己を欺き、信者さんを欺くもの、使ったらあかんですよ】

 

この時の受者は大半が高野山の山内住職方、そこに唐突にお話・・まさか高野山内でとは思いたくないですが、10年も前にこの話でしたから、今では全国蔓延しているかもですね。現にソレな寺も存じていますが;

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そんなじゃ仏の加持力なんか得られんだろう、と思うのですが、名が知れて黙っていても参拝客が来るとか葬式法事だけなど、仏の体裁だけでやっていける寺ならば問題ないんでしょうねぇ(失笑)

 

ともあれ、ウチの信徒さん方には周知なことですが、お仏壇にお供えするのも【プラ花は絶対ダメ】です!

 

何がって【本物に似せている】のが悪い!

 

本物そっくりで、手入れ不要なプラ】と言う地点で、先の大阿さまの言う【仏を欺き、人目を欺く】モノ証明、です!

 

造花を供えるならば、明らかに造花と分かるもの、しかも高価なモノを供えるべき、です。ならば欺くに非ず、供物として堪えますから。

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確かに、お寺では供物経費はシャレになりません。当山のように護摩を常に焚きますと傷みも早い・・昨今の物価高騰は本当に泣きです。ですが、仏は寺族にとっては生体という形ではないだけで、家族も同じ。皆さん家族やペットに空腹や気分をプラで紛らわしとけ、とやれますか?逆に自分がそうされたら、そんなで合掌されたところでどう思いますか?

 

こんなメチャクチャな物価高、皆さん厳しいのも分かります。でも厳しいなりに、一輪でも生花、賞味期限長いけど一寸お高い物、おやつは食べる前に先ずお供えなど、わずかながらも欺かない供え方はあるでしょう。

 

菩提寺の真偽を知る術はないでしょうけれども、せめてご自宅では、自分が食えない楽しめない物など、供えてはダメ。巡り廻っては先の大阿さんの言う【己を欺く】ツケも、いずれ蒙ることにもなりかねない。

 

こんな偽りのザマ、弘法大師に言わせれば【表は虎皮の文の如く、内は錦袋の糞に同じ】現代語訳するまでもないですね;

 

 ※己を欺く意は、密教行者なら如何に深刻な事態か存じているはずなのですが・・

 

節約を先ず考えるのもよく分かります。が、そういう中でも心を遣ったやり方はあるものです。

 

そして、苦しい時勢だからこそ、心を致すものには余計に応じるものがある、もまた道理ですよ。

 

 

2023-05-29 19:03:00

杖の効用

前回記事に書きましたが、行き当たりばったりで急遽お参りした、讃岐金毘羅宮。

 

ここで図らずも「杖の効用」を心底、思わされることに。

 

参道の店で「ここの石段、想像の上を行くから杖を借りてった方がいいよ」といわれ、レンタル杖を片手に785段を登る・・

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GW始めということもあるのか、本当に人人人;

 

若い人ばかりじゃない、お年寄りもいれば、まだ入園前かと思われるような子供(*_*)の手をひく夫婦や、手をつなぐカップルも。いや、デートには酷すぎだろww、と歩いていて気づくのは【手すりが全然ない】!身体を預けられる場所がない、まさに山登り。

 

杖無しで登る人も多いですが、登るにつれて心なしか周りは牛歩的ペースの人が増え、中には座り込んで動けなくなってる人も(^^;

 

もうココで今日一日終わってしまうんじゃね?という焦りと疲れで、「もう止めて帰るか」という思いに何度も駆られつつも登拝達成、雨に濡れてきた帰りの石段を急ぎ下って来て、ホントにこの「レンタル杖のおかげ」としみじみ。

 

身体を預けられるモノがあるというのは、なんと有難いことか

 

そういえば、お遍路では【金剛杖】という杖が必須です。長距離の山あり谷ありを歩むには【杖】は欠かせない。

 

そればかりか、この杖は単なる【杖】ではないのです。

 

同行二人という言葉、聞いた事お有りと思います。一人の遍路旅であっても二人旅だよ、と。もう一人は誰?・・お大師さんです。

 

それは、観念だけの言いでなく、この【金剛杖】がお大師さん、なのです。

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だから、遍路した人には常識ですが、宿に泊まる時は先ずこの杖の足を洗い、部屋の上座/床の間に安置します。金剛杖は道中の【物心両面を委ねる】大切な依処なのです。

 

ところで、杖といいますと、膝や腰が痛んできて「歩くのが/起居が大変」という人には「杖を使った方が良いよ」と常々お話ししますが、実際使う人は少ないようですね。

 

そうこうしているうちに、歩き格好がおかしくなったり、歩けなくなりました、という人達もいます。

 

どうして使わないの?と聞くと「みだぐないから/恥ずかしいから」が多いよう。高齢の人ほど、杖は年寄りのつかうもの、というイメージが染み付いているようで。

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でも杖があると、膝腰にかかる負荷が相当に軽減されるのは立証されていること。頭部という重量物を最上部に置いて二本足で立っているという人間の構造自体が、そもそも生体として無理が多いという論もありますし、やはり足は3本くらい必要なのかも笑

 

我慢して痛い部分をかばうようにしていると、他の部位にも過度の負荷がかかって健康な部位まで痛めるという悪循環になり、痛いから変な格好となり、変形し、終いに歩けなくなる・・躓いて転んでから寝たきり、なんて話も聞きますでしょ?

 

世間への体裁とか無意味なプライドのせいで、自身を無駄に傷つけて、人生の自由な時間を自ら縮める真似をしているんですね。

 

杖を使え、布団じゃなくベッドに寝ろ、と何度も言ってようやく取り入れて「こんなに楽だと思わなかった、もっと早くやればよかった」と仰った人も何人もいます。

 

あなたが気にする世間サマ/プライドサマは、貴方の心身が弱り困ったら助けてくれるのか、考えてみたらお分かりですね。心と身体を以って生きねばならぬのは【自身】でしょう?何を大切にすべきや。

 

杖を用いるのは、【寄りかかれるモノを用いる】というのは、何も恥ずかしい事ではありません。そのおかげで心身に負荷少なく、健康を保てるなら賢明な道具でしかない、でしょう?身体が心が弱ってくるとは、老いれば誰もが通らねばならぬ道、何を恥じらう必要があるのでしょう?
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それこそ、あなたの身体を支えてくれるソレは「お大師さん」だ、と思うのもイイでしょうね。そうしたら、恥ずかしいとか遠慮なんか無用、かえって心強くすらあるかも。

 

ついでに【杖】は物ばかりではありません

鑑定や祈祷は、転ばぬ先の杖ですよ】とは昔から常々お話ししていることですが・・

 

しかし古くからの人でも、肝心な時に相談は無く、転んで大怪我をして、それから相談に来る人は未だにいます・・

 

転ばない為の支えであって、転んだ時に起き上がる為の支えです。信仰とは【杖】たるべきもの。正しき祈りがある人は幸いというのは、ソコです。

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願わくは、持ってるだけじゃなく、日頃動かして、しっかり活かされて欲しいと思うんですけれどもね。

 

困った時ばかり思考で祈りの杖はしまいっ放しで埃まみれや行方知れずでは、御仏も大師もイザの時、杖になってくれるには間に合わない、ことも往々でしょうから。

※5月28日法会の話の整理記載

2023-05-23 17:24:00

タイト遍路!

善通寺法会でしたが、香川県なんてめったに来る機会がないので、車借りて88ヶ所可能な限り回るか!と翌日。

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四国八十八ケ所は・・20年ほど前に高知と愛媛を100kmほど歩いたのと、その後何度か愛媛県内の何ケ寺か回った位ですから・・

 

レンタカーに乗ってさてどこから・・ちょっと待て、満濃池って香川だよな?と思い立ってナビ検索すると20~30分目安。雨予報だし88ヶ所じゃないけど、お大師さん語るにココは外せない~とGO。

 

善通寺市の南、満濃池。お大師さんが築いた、日本で初めてのアーチ型ダム。

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何度工事をやってもダメで匙をなげた役所がお大師さんに委託した所、瞬く間に大勢の人が集まり、大師が持ち込んだアーチ技術でもって完成、1200年も讃岐の地を潤している。

 

大師は工事中、指揮をとりながらずっと池のほとりで護摩を焚き続けたという。八大竜王社の下には近年の吐水口工事で水没したが、平らに削られた巨大岩盤の吐水口があるそうで、そこも大師の霊石と呼ばれていたそうだ。

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今も水不足は常態であるらしい讃岐の地。どれほどの人々の生きる糧の湖となって来たのだろうと、いにしえの景色を感じさせる風に想いを巡らして。

 

ほとりには神野寺、満濃池大師。88ヶ所ではないが、大師の真蹟として信仰されているらしい。丘の上には満濃池を見守る大師像。誰だか皇族(失念;)が訪れた旨が刻まれていた。

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ナビを見ると、金刀比羅宮近いじゃん!ここまで来たら行っとかな!も、近づくにつれ渋滞;GWだもんな・・が、運よく門前の駐車場1台空き!

 

お店の人から「石段、想像の上いくから、杖借りてったほうがいいよ」と言われ100円レンタル・・凄いとは聞いていたけど何段だっけ、と検索すると785段!

 

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が、ここまで来たら登るしかない!と腹を括り・・頂上本殿到着。それにしても歩いて登るしかない山の上なのに人多すぎw mi.jpg

 

ところで、金毘羅宮は全国の金毘羅さんの総本宮ですが(花巻の吹張にもありますね)、何の神様だか知ってます?

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・・ワニの神様、なんです。インド由来の仏教守護の神。祭神「大物主神」ってのは明治のコジツケ。そう、ここも明治の神仏分離、廃仏毀釈の犠牲になったトコ。もとは真言宗のお寺で、金毘羅さんはその鎮守でした・・この程度は知っていましたが、戻ってから検索すると酷すぎる随分な事情があったよう;

  

お詣りしてるとパラパラと雨、雨予報がここまで持ち堪えたのも有難いが、一種の水神にお参りしてパラッと雨にあたるも、また有り難や。でも下り石段濡れたらヤバいと急ぎ、幸いにパラパラのまま下山。

 

次いで73番、出釈迦寺。善通寺の裏山を隔てたちょうど反対側にある。ここは、幼き日の大師/真魚クンが飛び降りたという、有名な山。

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下画像のやじるしの建物がこの寺の奥の院、その更に奥に真魚クン(大師)が飛び降りた崖があるそうで。

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この寺自体がもともと奥の院の地にあり、遍路もそこまで行ったそうだが、さすがに酷だとのことで江戸時代だかに現在地に移されたのだという。それでもここも結構な高地;駐車場からでも金毘羅帰りの足にはキますww

 

前日にテレビで放送されていたが、大師誕生記念で今まで非公開の仏像が特別公開中!これまた幸いと拝観。奥の院に祀られていたという釈迦如来像。年代不明だが全身キラキラ金色、大師を抱きかかえた伝説に相応しい柔和なお顔。

 

88ヶ所は香園寺など一部を除いて、お堂の内拝不能がほとんどですが、ここは特別拝観の一環で本堂も内拝。ありがたや。

 

山を下って72番、曼荼羅寺。出釈迦寺の麓。88ヶ所で一番古い寺なんだとか。かの西行法師もこの寺に何年か居候していたそうで、西行の昼寝石なんてあるww

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そこから74番、甲山寺。凸っとある山の麓をグルっと回って到着。洞窟にある毘沙門天はお大師さん作らしい。

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で、ウサギの石像と括りつけられた沢山のリボン・・?

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ここはお薬師さんなので日光月光が脇侍。月天子の使いと言えば・・そう、ウサギさん、という繋がりらしい。ウサギといえば、因幡の白兎の物語でおなじみ「縁結びの使い」ともされますから、リボン結んで縁結びの願い、なのでしょうね。

 

さて次は71番、弥谷寺。待てよ、山の上っぽいぞ⁈・・と検索すると、五百数十段の石段って;金毘羅帰りじゃ絶対無理だ、と断念して検索してると「海岸寺」。

 

88ケ所じゃないけど、もう一つのお大師さん誕生地との伝説がある寺だよな?と、ちょっと遠回りなるけど車を走らせる。

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歴史の古さを感じさせるお堂。隣は宿坊みたいな建物もあるけど大きいお寺なのかな?と検索すると、何と寺裏は砂浜まで繋がり、道路を挟んだ向こうの塔のある広大な林地もこの寺、そこで大師が生まれたと伝えるらしい。故如何?と検索すると、なんとここは大師の母、阿刀氏の邸宅地なのだという!

 

時間がないので本坊だけお参りして戻ったが、後で検索すると「もう一つの伝説」と笑えないのでは?な事実が・・大師誕生法会に出仕させてもらって、図らずももう一つの誕生伝承地もお参りさせてもらうとは、偶然か必然か?

 

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引き続いて76番、金倉寺。立派な堂宇が立ち並んでいる・・そりゃそうだ、天台寺門宗の別格本山ですものね。天台寺門宗の祖・円珍さん(弘法大師の甥)が生まれた地であるそうだ。よって88ケ所でも珍しく大師堂の本尊は円珍さん、お大師さんは脇仏。本堂の鰐口にあたる物が大数珠で、引っ張るとカタカタカタ・・と数珠玉が落ちてくる軽快な音が静かな境内に心地よい。

 

あと一ケ寺行けるか!と77番、道隆寺。本尊さんは伝お大師さん作。ここは何が凄いって、初期住職が密教を知る人なら「おぉ~」と唸ってしまう顔ぶれ。

 ※ここは写真撮ってなかったので霊場会サイトから拝借 shikoku88-77doryuji.png

 

初代は寺の由緒となった領主、2代目はその息子がお大師さんから戒を受けて、3代目はお大師さんの弟の貞観寺僧正、4代目は先の智証大師円珍さん、5代目は大師の孫弟子で修験道中興の祖の聖宝尊師・・いやはや。目の神様もあるようだが、タイムオーバー間近でここまで。

 

飯も食わずに廻ってレンタカー6時間期限、ギリギリ返却(^^; 書き出してみると、半日でよくもまあ、これほど廻ったものだ、と我ながら(;'∀')

 

 

しかしまだ半分。そこから電車に乗り、高松へ・・お目当ては「香川県立ミュージアム/史上最強空海・特別展」。

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駅から歩くこと700m、高松城遺構の一部にミュージアム。

 

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特別展は・・凄い!(画像はパンプから)

 

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伝説の三十帖冊子(お大師さんの入唐メモ、この所持を廻って高野山/京都/天皇を巻き込んだ大騒動が起きた/国宝)、初めて見た!おまけに、お大師さん直筆の施餓鬼儀軌のページが開かれていて(◎o◎;) 普段行じている根本を目の当たりにして、目が潤んできました。

 

そして、唐の書生の記と見られる華厳経、米粒ほどの極小感じがまるでプリンタ印刷のように美麗整然に書かれていて圧巻!どんな筆にどんな腕ならあんな文字を書けるのか、ホント不思議の域。

 

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金剛般若経開題(国宝)、これは下書きか?と見られているらしいが、大師の書は本当に芸術。飾っておきたいと思わせるわ。※開題とはお経のタイトル(題目)に深意を読み解く論のこと。題目にも功徳が込められていると言い出したのは弘法大師その人で、後世のはその受け売りです。

 

龍智像(真言二祖/国宝)、大師の独特な揮毫もさながら、近くで見ると絵が本当に繊細!

 

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板彫り曼荼羅(重文)、こんな小さな白檀の板に緻密に彫り込まれた曼荼羅・・レーザーも無い時代に、しかも印佛に用いる為にここまで作り込むとは・・古人の祈りの深さったら(◎_◎;)

 

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善女竜王像(県文化財)、なんだか生生しい感じ、命が宿っていそうな雰囲気・・

 

愛染明王の図像、体の色遣いが絶妙なせいか、なんだか生きているように見えて衝撃(◎_◎;)

 

金毘羅宮出土の古式三鈷杵、ホントに武器だわww

 

他、寺外初公開という伝お大師さん作の観音像(デカい!)や、高野山教学に欠かせぬ道範さんの南海流浪記の実物とか、高野山霊宝館でも観た国宝など多々、大満足の特別展でした。そりゃ、大盛況なワケだよね。

 

ブースを出ると、こんな展示が。

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コレは、展示されてる一字一佛法華経序(大師仮託作/国宝)を、香川県内21高校の書道部が再現したものだそう。一文字ごとに仏の姿が書かれているのですが、苦闘の跡が見えて微笑ましいww この中からも郷土の生んだ巨人の後を受け継ぐ逸材が登場してほしいネ。

 

そんなこんなで、香川を一日強行で廻りました。霊場寺社を回りましたが実はこれ、私一人の楽しみ功徳ではなく、当山に参拝される皆様にも、とある形で加持の一端となっていますよ・・分かるかな、気づかないかな(^^

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※高松駅前

そして高松駅でうどんを食べ、JR特急かバスか迷い、高速バスに乗ったはいいが、デカすぎ淡路島で疲労困憊に追い打ちをかける羽目に・・;でもまた行くぜ、香川!

 ※道中の余計な記憶は、長くなるのでメモ記録かたがた別記

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