google-site-verification: google03647e12badb45de.html 寺ブログ by副住職 > page 4 - 遍照院 へんじょういん  お護摩と占い鑑定【公式】

遍照院 へんじょういん 
お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

Welcome to "Henjouin temple"
お祈りごとも、お祓いも、
占いも、迷いごとの相談鑑定も、
丁寧な供養や鎮魂も
宗派が違っても、
檀家じゃなくても、頼りに出来る、
かかりつけのお寺さん
遍照院へようこそ。
2024-12-11 22:19:00

ソレ、餓鬼畜生道まっしぐら・・

挨拶はムダ、合理的じゃないから必要ない、仲の良い友達の間だけでイイ、という風潮が小学生の間で広まっている、とラジオ番組で聴いた。対するパーソナリティのコメントは肝心なコトには触れないでしまったと思う。「挨拶は人間関係の潤滑油だ」ということに。aisatsu_kodomo_otona.png

先の寺報に【感情論バカ】の話を書いた。感情論に終始する愚かな世情が、この息苦しく薄気味悪い空気感だ、合理性を声高に言う者がやってる行ないこそ、とことん感情論じゃないか、と。

 

挨拶は、動物から進化した人間が、社会的コミュニケーションを円滑にする術として手にした、簡易にして偉大なるアクションであろう。それだけで、他者との接触は一気にソフトランディングになる。社会を構築する動物として、極めて合理的かつ高度な智恵だ。

 

それを非合理だという。物事の分別もつかないような幼童がそんな言質を出来る訳もないから、その黒幕は親達だ。挨拶という行為が合理性の塊と言うことすら理解できない、感情と権利だけが絶対信者のスピーカー、それがかの小学生界隈なのだろう。

family_kyouiku_kahogo.png

そうして他者との接触が常にハードランディングとなるように仕向けられた子供たちの将来は、どんなものになるのだろう。礼節を欠いた彼らの未来は、どれほどその才能と引き立てを貶めることになるのだろう。その狭い校区の中で一生を過ごすなら別にいいだろうが。

 

そういえば、おはよう/行ってきます/ただいま/おやすみ、程度の挨拶すら無い家庭があるとは聞くが、各々がスマホを持ち、家に居ながらも外部と繋がる方が易く多ければ、家族というシステム自体が崩壊するのは、今騒いでいる法律の制定を待たずとも明らかだ。

 

既に命のよりどころとなる先祖も墓もいらん、葬式も要らん、という。時代の趨勢だろうが、切り離された個々が勝手に生きていけ、という時代は、人間にどういう在り様を示すのだろうか。

 

寺報には、不満だ面白くないという感情の赴くまま怒り争い→ただ本能の求める快不快を生きる基軸とし→満たされぬをひたすら他人に求めるばかり、という感情論世情の有り様は、修羅道→畜生道→餓鬼道と、六道の人界から堕ち往く過程、そのままではないか、と書いた。人品卑しくなるは動物への退化だったのね、と。school_gakkyu_houkai.png散骨が急激に流行って来ている、という。肉体が終われば全て終わり、終わらせたい、とは、生活と寿命に疲れた現代人の感覚、というのは分からないでもない。が、あなた方が感情論で放棄させた受け継がれ来た生きる為の合理性、それを欠かせるとは後世まで退化させる気か。

 

ちなみに、墓も要らん葬式も要らんとスマートぶって全てを終わらせた気になっても、全ては終わらないのをご存じか。釈迦の直弟子らが目指したのはいわゆる魂まで全てを滅する「灰身滅智」の境地。ここに至るには「修行して解脱」しなければならない、そうでなければ、身が滅んだ所でまた何かに生まれ変わって、再び苦を味わうのだ、と。monogatari_okikusan.png

弘法大師の曰く「死に死に死に死んで死の終わりに冥し」。幾度も輪廻を繰り返し、死を繰り返しているにも関わらず、性懲りもせずまた暗愚のまま輪廻の闇に堕ちいく愚かな我らよ・・

 

感情論で己の作る業も知らず、未来を担う者達の人品を貶め、自身の身勝手に先祖まで巻き込んで蔑ろにする・・感情論のその生き方は餓鬼畜生にも劣るのではないか、と言われているようではないか。

 

挨拶は言葉にすれば一瞬だが、人が人たる尊厳としての「愛情と敬意」が、いかんなく込められている。そのただ一言に、人はどれほど安心を得、安心を与えているか。aisatsu_sayounara.png

以前、ブログに施餓鬼の離怖畏仏について書いた。https://henjoin.info/diary/74903 恐れこそが餓鬼道の最大の足枷だ、と。挨拶や返事一つも離怖畏となる、相手を自身を有益たらしめるのだ、と。このページの閲覧数は結構なものの、全然理解されていないなァ~のメールやLINEにつけ、容易いようでさすが餓鬼道の最大障壁、と思いを新たにする・・

 

愛情の反対は無関心、とは夙に言う所だが、ロクな挨拶も返事もしないばかりかその無用を主張する大人たちは、子供に「あんたの事など無関心だ」と言っているようなモノだ。そういう環境の子供がどういう精神疾患を引き起こすかは、既に知られる通り。己が無関心扱いされるは自業自得だろうが、巻き込んだ後世への責任はタダでは済まない業となると思うが。bluebird_baka.png

「死んで死の終わりに冥し」手のひらのSNSで毎時他人の動向チェックに人生の時間を浪費しながら、かたや怖れを増長する現代、大師の嘆きは大概の人に当てはまるに違いない。せめて当山にご縁のあった方々の人生はこうあって欲しくないと拙くも話してきたつもりだが、果たしてどれだけ・・

2024-11-27 22:15:00

ずめチャンが⁉

施餓鬼に、今までに無い状況が。

夕方の早い時間にやったので、拝んでる最中に施餓鬼壇にスズメがやって来た。

 

早い時間にやるとたまにある光景だが、今日は違った・・

 

目の前で陀羅尼を唱えているにもかかわらず、ガキ飯をついばみ続けて立ち去らない⁉fukura_suzume.png

常には、飛んできても経も聞こえ私の姿を見てアッ!とビックリしたかのように立ち去ってしまうのに、声を出してる私の方を見ながらもしばらく食べ続け、お腹一杯になってか飛んで行った~それまで発遣待ちました(^^;

 

よっぽどお腹すいていたのか、それともただのスズメじゃなかったとか⁈

***

そうそ、待てと言われたから一か月待ったのに反映されてないじゃないか!とgoogleに改めて問い合わせると、返信が来た。

 

※私の送信↓

googleビジネスにログインしているクロームからですと、私の返信も表示されています。ところが、その他のプラウザでは、返信は反映されていません。あたかも返信が出来ているように見せかけるこの状態は、一体どういうことなのでしょうか?
googleポリシーとおっしゃいますが、この返信相手ykとt2人夫婦こそは、その口コミ内容は虚偽記述に事実歪曲に中傷ばかりなのに野放しとし、それに対する事実反論の私のコメントは掲載されないとは、何をもってgoogleポリシーとおっしゃっているのか理解に苦しみます。
※googleの回答↓

この度は、クチコミの返信の件につき、大変ご心配をおかけしております。

本件につきまして、担当部署へ確認をいたしましたところ、
現在発生しているシステムの不具合により、一部のビジネスにおかれましては、
該当の事象が発生しているとの回答がございました。
(同様の事象のご報告が多くあり、不具合の発生となっております。)

ご担当者様のアカウント自体に問題が発生しているという事ではございませんため、
その点については、何卒ご安心いただければと存じます。

この事象につきましては、担当部署にて早急に対応中ではございますが、
大変恐縮ながら、現時点で、問題の解決までにかかる時間の目処が立っておらず、
明確な期日をご案内する事が難しい状況との報告を受けております

したがって、本事象についてお問い合わせいただいたお客様へは、
問題の解決までお待ちいただくよう、ご案内をさせていただいております。

本件、お困りのところ申し訳ございませんが、不具合が解消され次第、
改めてご連絡させていただきますため、何卒ご理解いただけますと幸いです。

 

頼まずとも企業は勝手に掲載しておきながらコレか、googleよ(# ゚Д゚)

2024-11-09 19:13:00

恩に報いずどころか⁉

その老僧から、衝撃のメールが来たのは2年程前か。 computer_email.png

その内容は『寺を追い出された/住職と総代らが突然来て荷物をまとめていつまでに出ていけと迫り、寺の役員から勝手に解任され、今後お前はこの寺と縁はない、檀家が葬儀にお前を所望した場合だけ、客僧(他の僧侶)として呼んでやる、と言われた/檀家や寺の縁者には、自分を誹謗中傷する嘘八百の文書が撒かれたようだ』との旨。

 

どうしてそんなことに?住職退任のお話に不安と寂しさを申し上げたのが思い出されます、と返信すると「今、あの時に貴方から頂いたメールを読み返しておりました、私の見る目がなかった、と言うしかないです」と返って来た。

 

この老僧、4年前に住職を譲って今は名誉住職。その後継に指名したのが赤の他人。大学の講師とか何とかで老僧は存じていたらしいが。

 

その時に、たしかお子さんがいたはずだが、なぜ寺に関係ない他人を?〇〇寺さんが遠くなる思いです、という旨をメールしていた。

 

それには、後継は確かな人ですから大丈夫ですよ、私も引き続き奥に居りますから気兼ねなく、とのお返事だったが、この顛末。

 

しばらくして、周囲に撒かれていたらしい、老僧を誹謗中傷する文面が添付されて来た。 news_fake_dema.png

あまりにヒドい、絶句する内容。老僧曰く、事実無根、歪曲、捏造のオンパレードだと。その文面を私はじめ関係各位に見せて来たということは、まったく中傷でしかない証しだろう。

 

それにしても、名誉住職など隠居身分で寺の一役員に過ぎず、運営采配など出来ない。おまけに身体障害も抱えておられる。何が出来るわけではない立場なのは一目瞭然

 

何よりも、今の住職にとっては「縁のない歴史由緒ある名刹の住職に引き立ててくれた」という、何にも代えがたい大恩ある相手だ。どうすれば、そんな惨い仕打ちが出来るのか?サイコパスか?

 

法人規則に違反する手続きがなされた、とのことで、裁判所ならびに本山に訴えられてはどうか、とお話しした。他の方々からもそのように勧められているので検討しているが、とも後ほど、訴えることはしないと結論した、とのメッセージ。

 

この老僧の先代さまに、私は大変お世話になった。この方に出会っていなければ、教師兼業で坊さんをしていたはずで、仏道行の深みなど体験することもなかっただろう。

 

この老僧にではないが〇〇寺にはそういうご恩があるので、こうお困りになられている時に何か出来ることがあれば、恩返し出来るならば、と考えた。 tsurunoongaeshi.png

いうても、遥か東北にある田舎の骨山の若僧ごときがやれるとすれば、悪意よって寺を追われた老僧がいる、とネットに書いてご縁ある些かの方々に知ってもらう程度か・・その点、老僧はすでにフェイスブックで2000名以上のオトモダチがある様なのでやる気なら、メールで寄こした内容を晒してUPしたなら、位も高僧で本山布教師でもあるし、その影響力は私が案じる比でないはず。

 

だが、フェイスブックにもその事実は書いてないようだし、訴えない、とされたなら、外部の人間として何もしてあげられることはない。

 

であるがそれからこの老僧は、宗団機関誌に立て続けに投稿をされるようになった。 news_shinbunshi.png

「恩に報いぬ者は人に非ず」「虚言癖の人間がいる」「報恩の心を持ちましょう」・・おそらく今まで20回以上は投稿されていると思うが、その内容はこの3点の繰り返しだ。

 

しかし、どういう文脈で言っているのか、には一切言及されない。私のように事情を知っている人達なら譲った住職への当てつけね、と分かるが、知らない大勢の方々には、何を執拗に言っているのだろう?と思うに違いない。

 

も、これほど寄稿を繰り返してもまだ腹の虫が治まらなかったと見えて、先日の寄稿にはこう記述が・・

 

『恩を仇で返すは指弾されるべき/人の道に外れた言動/飼い犬に手を噛まれる/報恩は当たり前、亡恩は仏教徒に非ず/~は〇〇寺の法灯を継ぐ者で行じられる/(ご自身)に渡る〇〇寺の法灯は/嘘やごまかしは人として忌避されるべき/名刹とは長年の~住職の努力で得られた/(曾祖父)から(自身)3代百年の/是非を悔い改めて、』etc・・ pet_kamu_dog.png

今回も大半の読者にとっては、また同じこと言ってるねえ~何がどうしたのよ?だろう。

 

いっそ、ご自身が蒙った事実を、どれほどの誹謗中傷悪意がなされて寺を追われたか、そのままブチまけたらいいのに、と思う。

 

何を言われようと、事実を言うだけなのだから。もはや失うものもないお立場でもある。虚言を罷らせながら遠まわしの言いでは、今後も寄稿を繰り返したところで、はらわたの煮えくり返りは治まらないのでは

 

これまでのメールで、現住職はこれまで〇市から通っていた、と。便の不便な町の山上の寺だ、その市からは少なくとも1時間以上かかるはず・・また独自の修験組織をも持っていたほどなのに、これで真っ当な勤めなど出来ていたのだろうか・・? warumono.png

ともあれ、このお寺様とは私も縁が切れたことになる。先代さんが亡くなって1~2年後にお参りした際に「(先代)の弟子だと盛んに名乗る者は沢山いたが、死んでしまえば拝みにも来もしませんわ」とぼやかれていたのを思い出すが、この老僧は先代さんとのお墓にも入れなくなってしまったのか・・・どうしてこんな事に。

 

先代の葬儀時にとある状況があった、と修行友人から聞いた。まさか~と言ったが本当だ、と。それがひょっとして?と勝手に想ったり。

 

言いたいことをぼやかしては何度寄稿しようとも、ご自身スッキリされないに違いない。もうお歳もお歳なのに、と案じるが・・

 

なぜ今頃になって、こんな記事を書いたのか。

 

先日の寄稿が、ここにきてブリ返しか全然治まっていないなァ、が窺える文面であったのと、今月来たメール

 

(メールで配信した文章を勝手に)『私の文章として雑誌に投稿したり、適当に組み合わせて私の文章として雑誌に発表するのはお止めください/某雑誌に私の署名入りの文章が掲載されてると知り、違和感を禁じえない/正直、怒りの気持ち、そんなことまでして記事がほしいのか』と・・ idea_dorobou_touyou.png

⁉・・こんな狼藉を平気でする人間がいることに驚いた。悪意の嫌がらせを蒙るのは当山も幾度も経験はあるが、またしてもあり得ない様な目に合わされる老僧はお気の毒だ・・

 

老僧からのメールは、知己の人だけが対象だろう。私は「メルアド教えて」と言われてお教えしたので。

 

言うなれば、信の置ける人達だけのはずが、こういう常軌を逸した行為を平然とする人間がその中にもいた、と。

 

人間の質がおかしくなってきているのは、この記事をお読みの皆さまもきっとお感じと思うが・・

 

いや、大半は常識人なのだと思う。だがそれは、サイレントマジョリティだ。こんな閉塞世情なのに先の選挙投票率54%がそれを言う。まあ、選択肢の無さと諦めはわかるが。

 

しかし「言った者勝ち」の頭オカシイ世の中だから、虚言や悪意の輩も跋扈する。それを煽って騒ぐのもホントは少数に過ぎない。イカレた少数を目立たせてさも騒ぎに思わせるのはマスコミの罪であり、もの言わぬ大多数の常識人たちの罪ですらあろう。

usotsuki.png

 

マトモなほとんどが沈黙者であることをイイことに撒かれる嘘や悪意めいた情報の氾濫、皆疑ってかかるしかない

 

そしてマトモな人こそは、声を上げていかねばなるまい。声を上げなかった報いは、その身に返るのだ。 

figure_tekken3_seiron.png

 

私達一人一人が賢明になる、賢明であるように意識するしかない時代になった、と哀しく思う。

 

そして、義理は大切にとしてきたが《お互いさま》の気持ちすら無い者にまで心するなんてバカみたい、と思えるこの頃・・

2024-10-20 18:50:00

ソッポ向いてソッポ向かれる失笑

1020.JPG

↑画像は先日のスーパームーン、デカかったですね(^^

 

このところ仕事がみんな止まってしまって・・前に言われた先祖供養したらいいのかなと思って、との電話。

 

>前に言われた先祖供養、とは、お墓の古い塔婆の処分をどうしたらいいか、との以前の話。

 

お墓には古塔婆納めが設置されているから、そちらに納めてください、と言うと、菩提寺は焼却規制を理由に撤去して檀家各々が処分してください、と・・にしてもゴミに出来ないんだから、その寺も余りに無責任過ぎやしないか;

 osoushiki_sotoba_set.png

そうならば(その時は盆直前だった)、盆供養の時に合わせて焚き上げしてもいいが、施主さん皆が供養する時に、関係ない他寺の古塔婆しかも4~5本をただ受け入れる訳にはいかない、せめて先祖供養で盆供にお申し込みされるならば、古塔婆も受け入れましょう、とお伝えしたのでした。

 

その時は「う~ん・・お墓に行って拝みます」と言って、それっきり。からの冒頭の電話・・

 

もはや、恥知らずレベルの「困った時の神(ホトケ?)頼み」剥き出し(~_~;) money_megakuramu_man.png

そんな考えが通るわけないのは占うまでもなく自明ですが、それでも住職は、卦を立ててみますから、と立筮。

 

結果・・【欲の為なら何でも飛びつく愚か者め、手前勝手にも程を知れ!】が易の回答(-_-;) mark_face_angry.png

しかも複数占的にこの同一卦爻・・供養にソッポ向いた人は、今度は先祖にソッポ向かれたのが露骨でした・・案の定。

 

利益期待の供養などムダだよ、と言い、今行なえる策をアドバイスして終わりにしましたが・・まあ、この人は目先困った時オンリー&供養の無い人ですから、イザって時にも先祖の援けなどあるわけない、を如実に見た気がします。

 

そういえば、え~っ?と耳を疑うような事態の慌て電話が9月10月、数件かかって来ました。図らずもその人達に共通してたのは、今年のお盆供養をしていない、ってコト。

 

一例、ある方は旦那さん、一寸考えられないような事態をおこして地域の大病院に緊急搬送、も対処不能で医大へ再搬送。ところが医大でも当日処置が出来ずに待たされ、翌日にやっと手術という難儀だったそう。この方は毎年お盆は先祖供養をされていましたが、今年は申し込み無し。仏壇で拝んでおけば十分と思ったのかなァ。
kyuukyuu_hansou_tanka.png

こう聴くとバチが当たった、と思われるかもしれませんね。でも、バチじゃないでしょう。供養して得られていた功徳の加護を今年は失った、ことだと思うのです。

 

 ※ここには、先の寺報に記して法話でも申し上げている、今年の異様な霊的騒めきも相当な影響があろうか、とも思ってます・・

 

重ね重ねに、供養や施餓鬼に申し上げておりますので、ご理解し供養されている方には常識と存じますが、それほど陰に陽に供養の功徳力というものは侮れないものです。

 

お墓に手合わせますので~>そんなのは挨拶に過ぎない、仏壇拝んでますので~>それは修養に過ぎない、だから仏前「勤行」と言う、供養とは質が違う、とも口が酸っぱくなるほど言ってきましたが・・

 

失って、どれほど護られていたいたのかに気づくなら、それもまた逆縁の功徳かも、ですが・・

 

欲得はご勝手にですが、信仰というご縁がありますなら、このサイト内にも多分に記しています祈りの大事を知って、冥護という救いとガードも得て欲しいものです。我らが生きる世界とは、目に見えるばかりが全てじゃないのですから。 obake.png

2024-10-09 21:06:00

そういえば文字、書いてる?

思っていた以上のかなりの刺激でした~、と写経納経の方。

 

文字を書き写すというだけですが、実際にやってみると、想う以上の難しさながらもそれなりに書ける快感と、日常には無い達成感を感じられるよう(◎o◎)

1009.jpg

 

当山では4種類ございまして、般若心経は高野山奥の院版のほかに、弘法大師の書の師と目される人の筆による奈良時代の版も用意しました。現在使われていない異体字などが含まれており、何度も写経経験がお有りの方も、挑み甲斐があるそうです(^^;

 

写経が脳の活性化に役に立つ、とは以前から言われておりますが昨日、こんな記事を見つけましたのでご紹介を→

 

科学が証明 「手書き」の絶大なメリット、「脳全体が活性化する」 | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト

1009-3.png

 

 

日常をちょっと振り返ってみますと、文字を書くなんてほとんどない生活・・をしている人が多いのではないでしょうか。

 

打ち込むか、打ち込みすらせず喋って音声認識で用が足りちゃいますものね;

 

私は御札やトーバなど書かなきゃいけないので世間一般よりは書いてるかもですが、それ以外はメモ書きみたいにベラベラ書いてる程度だわ・・と愕然とします(;'∀')

 

しかし記事を読みますと、文字を書くという行為は、脳をフルに使う運動なのだとか!

 

楽して長生きが可能になりつつある時代ですが、それは思考と全身の機能を司る「脳」がハッキリしていてこその享楽、というもの。

 

写経は、印刷技術のなかった時代に必然要請されたものであり、また仏教を広めるという仏道修行でもありますが、古代の知識人集団であったお坊さん方の頭脳を磨いて来た術でもあった、のでしょう。 syodou_performance_woman (1).png

思いますに、(良くも悪くも)言葉がこの世界というものを構築している根底にある、というのは仏教に限らず世界の大宗教や哲学の突き詰めた先に共通する所です。人間の如何なる思考も必ず言葉によって行われます。その言葉を認識する形態は文字です。

 

その文字を書かなくなったというのは、頭が自ら思考するのを止めつつある、ことかもしれませんね・・四六時中動画を垂れ流して見てる、なんてその典型かも。

 

現代という文字を書かなくなった時代にこそ【意識して字を書く】とは、貴方が思うどころではない「脳の刺激と活性化」をいざなうアクションのようです!

 

一日一度はペンと紙をとり、小文でも書いてみる習慣を始めてみませんか? そして、機会には写経にもチャレンジしてみてください!それは脳活性化だけではない、功徳行にもなりますので>o<ノ

 

※当山での写経納経は今のところ、1年以内に祈願/供養/お供えのいずれかをされた方に限定しております。

 

*****************************

先月の風呂敷護摩の紙天蓋↓

922-o.png

 

いつもはお焚き上げしてしまいますが、何かに使えないかな?と考えて「御守りに加工してはどうだろう?」と占筮すると「天祐」と得卦!しましたので、作ってみました!

1009-2.jpg

 

太元帥明王のお加持をして、風呂敷護摩に参拝された皆様には贈呈します!

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 ...