寺ブログ by副住職
錦袋の糞⁉
青葉の時節の言い通り、草木は若芽が茂って来ました。高野槇もこの通り↓
一方で若芽が伸びてくるということは古葉は傷むわけで・・樒も、傷み葉&ふにゃ新葉で買った半分は捨てる状態;
しかし、どんなに天然水でこまめに水替えして栄養剤を尽くしても、新芽はそのうちグニャっとなってしまうのです( ;∀;)・・こればかりは仕方ないのですが、安くもないので毎年この時期は嘆きが(~_~;) ま、普通の花は1週間持たないので、比べたらマシですけどね。
ところが、枯れない萎れない高野槇なんてモノもあるのです!枯れない供花や、そればかりか何時までもみずみずしい果物まで⁉
って何のことは無い【プラ製】ww 今は技術が進んでいるようで【本物そっくり】が売りww
でも、コレってどういうこと? そう、仏前の花や供物が【張りぼて】ってこと。生ものと違って取り替える必要なし!かつ、檀家や参拝者には本物の供物にしか見えません!って・・
ありえないでしょ笑、ご祈祷する寺でソレをやったら一発アウト、仏さん完全にソッポ向いちゃうよね、と思っていたのですが、現状は用いている寺が少なくないよう・・
高野山での伝授の折に、大阿闍梨様の話【最近出回っているプラスチックの花や果物、皆さん用いてないでしょうな?あんなモンは仏を欺き、己を欺き、信者さんを欺くもの、使ったらあかんですよ】
この時の受者は大半が高野山の山内住職方、そこに唐突にお話・・まさか高野山内でとは思いたくないですが、10年も前にこの話でしたから、今では全国蔓延しているかもですね。現にソレな寺も存じていますが;
そんなじゃ仏の加持力なんか得られんだろう、と思うのですが、名が知れて黙っていても参拝客が来るとか葬式法事だけなど、仏の体裁だけでやっていける寺ならば問題ないんでしょうねぇ(失笑)
ともあれ、ウチの信徒さん方には周知なことですが、お仏壇にお供えするのも【プラ花は絶対ダメ】です!
何がって【本物に似せている】のが悪い!
【本物そっくりで、手入れ不要なプラ】と言う地点で、先の大阿さまの言う【仏を欺き、人目を欺く】モノ証明、です!
造花を供えるならば、明らかに造花と分かるもの、しかも高価なモノを供えるべき、です。ならば欺くに非ず、供物として堪えますから。
確かに、お寺では供物経費はシャレになりません。当山のように護摩を常に焚きますと傷みも早い・・昨今の物価高騰は本当に泣きです。ですが、仏は寺族にとっては生体という形ではないだけで、家族も同じ。皆さん家族やペットに空腹や気分をプラで紛らわしとけ、とやれますか?逆に自分がそうされたら、そんなで合掌されたところでどう思いますか?
こんなメチャクチャな物価高、皆さん厳しいのも分かります。でも厳しいなりに、一輪でも生花、賞味期限長いけど一寸お高い物、おやつは食べる前に先ずお供えなど、わずかながらも欺かない供え方はあるでしょう。
菩提寺の真偽を知る術はないでしょうけれども、せめてご自宅では、自分が食えない楽しめない物など、供えてはダメ。巡り廻っては先の大阿さんの言う【己を欺く】ツケも、いずれ蒙ることにもなりかねない。
こんな偽りのザマ、弘法大師に言わせれば【表は虎皮の文の如く、内は錦袋の糞に同じ】現代語訳するまでもないですね;
※己を欺く意は、密教行者なら如何に深刻な事態か存じているはずなのですが・・
節約を先ず考えるのもよく分かります。が、そういう中でも心を遣ったやり方はあるものです。
そして、苦しい時勢だからこそ、心を致すものには余計に応じるものがある、もまた道理ですよ。
杖の効用
前回記事に書きましたが、行き当たりばったりで急遽お参りした、讃岐金毘羅宮。
ここで図らずも「杖の効用」を心底、思わされることに。
参道の店で「ここの石段、想像の上を行くから杖を借りてった方がいいよ」といわれ、レンタル杖を片手に785段を登る・・
GW始めということもあるのか、本当に人人人;
若い人ばかりじゃない、お年寄りもいれば、まだ入園前かと思われるような子供(*_*)の手をひく夫婦や、手をつなぐカップルも。いや、デートには酷すぎだろww、と歩いていて気づくのは【手すりが全然ない】!身体を預けられる場所がない、まさに山登り。
杖無しで登る人も多いですが、登るにつれて心なしか周りは牛歩的ペースの人が増え、中には座り込んで動けなくなってる人も(^^;
もうココで今日一日終わってしまうんじゃね?という焦りと疲れで、「もう止めて帰るか」という思いに何度も駆られつつも登拝達成、雨に濡れてきた帰りの石段を急ぎ下って来て、ホントにこの「レンタル杖のおかげ」としみじみ。
身体を預けられるモノがあるというのは、なんと有難いことか。
そういえば、お遍路では【金剛杖】という杖が必須です。長距離の山あり谷ありを歩むには【杖】は欠かせない。
そればかりか、この杖は単なる【杖】ではないのです。
同行二人という言葉、聞いた事お有りと思います。一人の遍路旅であっても二人旅だよ、と。もう一人は誰?・・お大師さんです。
それは、観念だけの言いでなく、この【金剛杖】がお大師さん、なのです。
だから、遍路した人には常識ですが、宿に泊まる時は先ずこの杖の足を洗い、部屋の上座/床の間に安置します。金剛杖は道中の【物心両面を委ねる】大切な依処なのです。
ところで、杖といいますと、膝や腰が痛んできて「歩くのが/起居が大変」という人には「杖を使った方が良いよ」と常々お話ししますが、実際使う人は少ないようですね。
そうこうしているうちに、歩き格好がおかしくなったり、歩けなくなりました、という人達もいます。
どうして使わないの?と聞くと「みだぐないから/恥ずかしいから」が多いよう。高齢の人ほど、杖は年寄りのつかうもの、というイメージが染み付いているようで。
でも杖があると、膝腰にかかる負荷が相当に軽減されるのは立証されていること。頭部という重量物を最上部に置いて二本足で立っているという人間の構造自体が、そもそも生体として無理が多いという論もありますし、やはり足は3本くらい必要なのかも笑
我慢して痛い部分をかばうようにしていると、他の部位にも過度の負荷がかかって健康な部位まで痛めるという悪循環になり、痛いから変な格好となり、変形し、終いに歩けなくなる・・躓いて転んでから寝たきり、なんて話も聞きますでしょ?
世間への体裁とか無意味なプライドのせいで、自身を無駄に傷つけて、人生の自由な時間を自ら縮める真似をしているんですね。
杖を使え、布団じゃなくベッドに寝ろ、と何度も言ってようやく取り入れて「こんなに楽だと思わなかった、もっと早くやればよかった」と仰った人も何人もいます。
あなたが気にする世間サマ/プライドサマは、貴方の心身が弱り困ったら助けてくれるのか、考えてみたらお分かりですね。心と身体を以って生きねばならぬのは【自身】でしょう?何を大切にすべきや。
杖を用いるのは、【寄りかかれるモノを用いる】というのは、何も恥ずかしい事ではありません。そのおかげで心身に負荷少なく、健康を保てるなら賢明な道具でしかない、でしょう?身体が心が弱ってくるとは、老いれば誰もが通らねばならぬ道、何を恥じらう必要があるのでしょう?
それこそ、あなたの身体を支えてくれるソレは「お大師さん」だ、と思うのもイイでしょうね。そうしたら、恥ずかしいとか遠慮なんか無用、かえって心強くすらあるかも。
ついでに【杖】は物ばかりではありません。
【鑑定や祈祷は、転ばぬ先の杖ですよ】とは昔から常々お話ししていることですが・・
しかし古くからの人でも、肝心な時に相談は無く、転んで大怪我をして、それから相談に来る人は未だにいます・・
杖は転ばない為の支えであって、転んだ時に起き上がる為の支えです。信仰とは【杖】たるべきもの。正しき祈りがある人は幸いというのは、ソコです。
願わくは、持ってるだけじゃなく、日頃動かして、しっかり活かされて欲しいと思うんですけれどもね。
困った時ばかり思考で祈りの杖はしまいっ放しで埃まみれや行方知れずでは、御仏も大師もイザの時、杖になってくれるには間に合わない、ことも往々でしょうから。
※5月28日法会の話の整理記載
タイト遍路!
善通寺法会でしたが、香川県なんてめったに来る機会がないので、車借りて88ヶ所可能な限り回るか!と翌日。
四国八十八ケ所は・・20年ほど前に高知と愛媛を100kmほど歩いたのと、その後何度か愛媛県内の何ケ寺か回った位ですから・・
レンタカーに乗ってさてどこから・・ちょっと待て、満濃池って香川だよな?と思い立ってナビ検索すると20~30分目安。雨予報だし88ヶ所じゃないけど、お大師さん語るにココは外せない~とGO。
善通寺市の南、満濃池。お大師さんが築いた、日本で初めてのアーチ型ダム。
何度工事をやってもダメで匙をなげた役所がお大師さんに委託した所、瞬く間に大勢の人が集まり、大師が持ち込んだアーチ技術でもって完成、1200年も讃岐の地を潤している。
大師は工事中、指揮をとりながらずっと池のほとりで護摩を焚き続けたという。八大竜王社の下には近年の吐水口工事で水没したが、平らに削られた巨大岩盤の吐水口があるそうで、そこも大師の霊石と呼ばれていたそうだ。
今も水不足は常態であるらしい讃岐の地。どれほどの人々の生きる糧の湖となって来たのだろうと、いにしえの景色を感じさせる風に想いを巡らして。
ほとりには神野寺、満濃池大師。88ヶ所ではないが、大師の真蹟として信仰されているらしい。丘の上には満濃池を見守る大師像。誰だか皇族(失念;)が訪れた旨が刻まれていた。
ナビを見ると、金刀比羅宮近いじゃん!ここまで来たら行っとかな!も、近づくにつれ渋滞;GWだもんな・・が、運よく門前の駐車場1台空き!
お店の人から「石段、想像の上いくから、杖借りてったほうがいいよ」と言われ100円レンタル・・凄いとは聞いていたけど何段だっけ、と検索すると785段!
が、ここまで来たら登るしかない!と腹を括り・・頂上本殿到着。それにしても歩いて登るしかない山の上なのに人多すぎw
ところで、金毘羅宮は全国の金毘羅さんの総本宮ですが(花巻の吹張にもありますね)、何の神様だか知ってます?
・・ワニの神様、なんです。インド由来の仏教守護の神。祭神「大物主神」ってのは明治のコジツケ。そう、ここも明治の神仏分離、廃仏毀釈の犠牲になったトコ。もとは真言宗のお寺で、金毘羅さんはその鎮守でした・・この程度は知っていましたが、戻ってから検索すると酷すぎる随分な事情があったよう;
お詣りしてるとパラパラと雨、雨予報がここまで持ち堪えたのも有難いが、一種の水神にお参りしてパラッと雨にあたるも、また有り難や。でも下り石段濡れたらヤバいと急ぎ、幸いにパラパラのまま下山。
次いで73番、出釈迦寺。善通寺の裏山を隔てたちょうど反対側にある。ここは、幼き日の大師/真魚クンが飛び降りたという、有名な山。
下画像のやじるしの建物がこの寺の奥の院、その更に奥に真魚クン(大師)が飛び降りた崖があるそうで。
この寺自体がもともと奥の院の地にあり、遍路もそこまで行ったそうだが、さすがに酷だとのことで江戸時代だかに現在地に移されたのだという。それでもここも結構な高地;駐車場からでも金毘羅帰りの足にはキますww
前日にテレビで放送されていたが、大師誕生記念で今まで非公開の仏像が特別公開中!これまた幸いと拝観。奥の院に祀られていたという釈迦如来像。年代不明だが全身キラキラ金色、大師を抱きかかえた伝説に相応しい柔和なお顔。
88ヶ所は香園寺など一部を除いて、お堂の内拝不能がほとんどですが、ここは特別拝観の一環で本堂も内拝。ありがたや。
山を下って72番、曼荼羅寺。出釈迦寺の麓。88ヶ所で一番古い寺なんだとか。かの西行法師もこの寺に何年か居候していたそうで、西行の昼寝石なんてあるww
そこから74番、甲山寺。凸っとある山の麓をグルっと回って到着。洞窟にある毘沙門天はお大師さん作らしい。
で、ウサギの石像と括りつけられた沢山のリボン・・?
ここはお薬師さんなので日光月光が脇侍。月天子の使いと言えば・・そう、ウサギさん、という繋がりらしい。ウサギといえば、因幡の白兎の物語でおなじみ「縁結びの使い」ともされますから、リボン結んで縁結びの願い、なのでしょうね。
さて次は71番、弥谷寺。待てよ、山の上っぽいぞ⁈・・と検索すると、五百数十段の石段って;金毘羅帰りじゃ絶対無理だ、と断念して検索してると「海岸寺」。
88ケ所じゃないけど、もう一つのお大師さん誕生地との伝説がある寺だよな?と、ちょっと遠回りなるけど車を走らせる。
歴史の古さを感じさせるお堂。隣は宿坊みたいな建物もあるけど大きいお寺なのかな?と検索すると、何と寺裏は砂浜まで繋がり、道路を挟んだ向こうの塔のある広大な林地もこの寺、そこで大師が生まれたと伝えるらしい。故如何?と検索すると、なんとここは大師の母、阿刀氏の邸宅地なのだという!
時間がないので本坊だけお参りして戻ったが、後で検索すると「もう一つの伝説」と笑えないのでは?な事実が・・大師誕生法会に出仕させてもらって、図らずももう一つの誕生伝承地もお参りさせてもらうとは、偶然か必然か?
引き続いて76番、金倉寺。立派な堂宇が立ち並んでいる・・そりゃそうだ、天台寺門宗の別格本山ですものね。天台寺門宗の祖・円珍さん(弘法大師の甥)が生まれた地であるそうだ。よって88ケ所でも珍しく大師堂の本尊は円珍さん、お大師さんは脇仏。本堂の鰐口にあたる物が大数珠で、引っ張るとカタカタカタ・・と数珠玉が落ちてくる軽快な音が静かな境内に心地よい。
あと一ケ寺行けるか!と77番、道隆寺。本尊さんは伝お大師さん作。ここは何が凄いって、初期住職が密教を知る人なら「おぉ~」と唸ってしまう顔ぶれ。
初代は寺の由緒となった領主、2代目はその息子がお大師さんから戒を受けて、3代目はお大師さんの弟の貞観寺僧正、4代目は先の智証大師円珍さん、5代目は大師の孫弟子で修験道中興の祖の聖宝尊師・・いやはや。目の神様もあるようだが、タイムオーバー間近でここまで。
飯も食わずに廻ってレンタカー6時間期限、ギリギリ返却(^^; 書き出してみると、半日でよくもまあ、これほど廻ったものだ、と我ながら(;'∀')
しかしまだ半分。そこから電車に乗り、高松へ・・お目当ては「香川県立ミュージアム/史上最強空海・特別展」。
駅から歩くこと700m、高松城遺構の一部にミュージアム。
特別展は・・凄い!(画像はパンプから)
伝説の三十帖冊子(お大師さんの入唐メモ、この所持を廻って高野山/京都/天皇を巻き込んだ大騒動が起きた/国宝)、初めて見た!おまけに、お大師さん直筆の施餓鬼儀軌のページが開かれていて(◎o◎;) 普段行じている根本を目の当たりにして、目が潤んできました。
そして、唐の書生の記と見られる華厳経、米粒ほどの極小感じがまるでプリンタ印刷のように美麗整然に書かれていて圧巻!どんな筆にどんな腕ならあんな文字を書けるのか、ホント不思議の域。
金剛般若経開題(国宝)、これは下書きか?と見られているらしいが、大師の書は本当に芸術。飾っておきたいと思わせるわ。※開題とはお経のタイトル(題目)に深意を読み解く論のこと。題目にも功徳が込められていると言い出したのは弘法大師その人で、後世のはその受け売りです。
龍智像(真言二祖/国宝)、大師の独特な揮毫もさながら、近くで見ると絵が本当に繊細!
板彫り曼荼羅(重文)、こんな小さな白檀の板に緻密に彫り込まれた曼荼羅・・レーザーも無い時代に、しかも印佛に用いる為にここまで作り込むとは・・古人の祈りの深さったら(◎_◎;)
善女竜王像(県文化財)、なんだか生生しい感じ、命が宿っていそうな雰囲気・・
愛染明王の図像、体の色遣いが絶妙なせいか、なんだか生きているように見えて衝撃(◎_◎;)
金毘羅宮出土の古式三鈷杵、ホントに武器だわww
他、寺外初公開という伝お大師さん作の観音像(デカい!)や、高野山教学に欠かせぬ道範さんの南海流浪記の実物とか、高野山霊宝館でも観た国宝など多々、大満足の特別展でした。そりゃ、大盛況なワケだよね。
ブースを出ると、こんな展示が。
コレは、展示されてる一字一佛法華経序(大師仮託作/国宝)を、香川県内21高校の書道部が再現したものだそう。一文字ごとに仏の姿が書かれているのですが、苦闘の跡が見えて微笑ましいww この中からも郷土の生んだ巨人の後を受け継ぐ逸材が登場してほしいネ。
そんなこんなで、香川を一日強行で廻りました。霊場寺社を回りましたが実はこれ、私一人の楽しみ功徳ではなく、当山に参拝される皆様にも、とある形で加持の一端となっていますよ・・分かるかな、気づかないかな(^^
※高松駅前
そして高松駅でうどんを食べ、JR特急かバスか迷い、高速バスに乗ったはいいが、デカすぎ淡路島で疲労困憊に追い打ちをかける羽目に・・;でもまた行くぜ、香川!
※道中の余計な記憶は、長くなるのでメモ記録かたがた別記
縁結びの究極!
明日まで、高野山で結縁潅頂が行われています。※画像は高野山サイトから拝借
コレは、言うなれば【在家の人にとっては、仏様との縁結びの究極儀式】。
老若男女も善人悪人も信心不信心も問わずに、誰でも曼荼羅に引き入れて仏様との縁を結ばせるもので、弘法大師の時代から行なわれ、江戸時代には皇族武家からエタヒニンと蔑まれた最下層の人々まで差別なく入壇させたという、完全無差別にして至高の厳儀です。
※この点だけでも真言宗が貴族仏教だったという教科書記述など、偏見で嘘だと知れますね。
その功徳は【密教の最高厳儀】である伝法潅頂を「在家向けに極略化しただけ」ですから、単純に仏に向き合って念仏や題目を唱える功徳などとは比にならぬ大功徳です。この身で直に曼荼羅に入るのですから、成仏への妙術です。ゆえに少なからぬ不思議の霊験談も伝わっています。
そこで、江戸時代に将軍の護持僧でありながら、幾度となく結縁潅頂を開壇して十数万人を入壇させた浄厳律師のお弟子さんが記述した【結縁潅頂の霊験談】から奇瑞をご紹介しましょう。長いので2つばかり。
※原文は長いので要約します/現代語訳です
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①天和3年3月に伊予の国の人、お伊勢参りに十数人で難波の港に来たが、病気発症したのでそこに留まり、2人を看病に残して他の人は伊勢に出かけた。看病続けたが4日目に死亡。
看病の2人は他の仲間にも亡骸を見せねばと入棺だけして待ち。戻って来た仲間らが涙が流しながら棺を開けると、生きてるが如し。しばらくすると息をし出した。蘇ったぞ!と服を替えて薬を飲ませて落ち着かせて話を聞くと曰く、
荒野を歩いて行くと種々の地獄のようなものがあって、叫び声が響いていて恐ろしいったらありゃしない。奉行所のような所に着くと役人が並んでいて、一人が「お前は今までどんな功徳を為してきたか?」と聞くので「とりたてて何も無いです。ただ、今年の春に讃岐で結縁潅頂があると聞いて有り難く入って来ました。その他は何も無いです」言った。
するとその役人曰く「まことに善きことだ、お前は如来内証の境地に入ったのだ、長く悪趣の苦をのがれるが良い、お前には寿命を与えて人間に還らせよう、ますます真言を受持しなさい」と。
嬉しくて小躍りしながら来た道を戻ると、大きな池に10歳ばかりの子供がいた。よく見ると1年前に死んだ我が子ではないか!どうしたことよ!と聞くとその子は「僕はこの池の底にいます、苦しくて苦しくて。今たまたま休憩をもらったので、このことを伝えたく来ました。お父ちゃんは帰るのですね、僕はいつか人間に出れるのでしょうか?」と抱きつき嘆き悲しむも、池から「早よ帰ってこいや!」と声がして、息子は波の下に沈んでいった。
道を進むと牛頭馬頭が取り囲む火の車がやってきた。そこから叫び声が「我は某と言う、よこしまな事ばかりで百姓を苦しめた罪でこんな目に遭っている、帰ったら我が子に告げて追善をさせる様にしてくれ、お願いだ」と。誰だ?とよくよく考えれば、村のお役人様だ。可哀そうに、と歩まんとしたら目が覚めた。死んで三日も経つのに、と皆不思議の思いをした。
薬など飲んで体調が回復してお国に帰り、この話などし役所を訪ねると、かの役人は死んだという。聞くと日にちは自分が死んでる日と合致してるし。かの旨を子に伝えて供養をさせた所、その子はますます功徳を積んで善人になったと。この話は確かなる人の聞き伝えを善を勧めるために書き残したものである。
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②高松城下に晩年出家した見性という坊主がいた。出来は悪いのに頑なだったから、仏教の「空」思想を聞いて邪見に陥ってしまった。そして結縁潅頂の話を聞いて嘲り笑い、人々を惑わすだけの興行等と罵詈雑言をいうので、天和3年正月26日友人たちがムリヤリ結縁潅頂に入壇させた。
かの者は、内道場が他言無用とは子供だましに決まってる、オレが入壇したら大日のドテッパラをぶち抜いたるわ!と小便して手も洗わず入壇、道場を出てから心地悪く知人の家で横になる。翌27日朝、起きると狂ったように大声を上げ舞い踊り「大日打た、見さいな見さいな」と叫び続け、友人たちが「未曽有の珍事」と群がって来ると唾を吐き散らす。そして「小便せん小便せん」とばかり言い、「すればよかろう」と言われると唾を吐く。人々は「手も洗わず潅頂道場に入った罰や」とささやき合った。
乱心止まず手が付けられないので故郷へ送り返すことに。篭に担いで行くも大声を罵り続け、行き交う人々は奇異の目で行列をなした。こうして11日間飲食もせず、2月6日の朝「深き坑に堕ちるわ助けよ助けよ」と叫んで死んでしまった。
これは驕慢不信の故に現身に地獄に堕ちた事例。直に見聞きしたことなれば、書き留めておく。
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また、法相宗(薬師寺とか興福寺)を極めた真興さんという坊さんは、真言宗は仏教の常理に違しているから自分が破ってやる、その為には法門を伺わねばならぬ、と結縁潅頂に入ったところが執金剛神にけり倒され・・悶絶の内に懺悔して「我こそは密教を興隆すべし」と誓願されて、後に子嶋流という真言宗の一流を築き上げるに至りました。そういう人も居ます。
※真興さんは子嶋荒神の話などもあるように霊覚のある人だったようです/おまけに密教のとある潅頂はこの子嶋流で行なわれることにまでなっています。
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そして
悪心ある者は罰せられ、浄心ある者は無量の功徳を得ること、明白である。無量の悪業と地獄の因を他の教えは救えない。ただ、金剛界大曼荼羅のみ救い得ると説かれているではないか。
在家の人は結縁潅頂があると聞けば、どんな遠くでも足を運ぶべきだ。億の金が手に入ると聞けば、誰しも地の果てまででも行くであろう。だが金はあの世には持っていけない。あの世に持っていけるのは戒と布施と不放逸(仏教修行)の功徳のみだ。潅頂に遇う者は現世にも来世にも苦を離れて成仏にいたるもの。距離を理由に行かざる者は信心の浅さを恥じるべきだ、
と記されています。
かくも大功徳の大霊威でありますが、その執行は非常に大がかりで、大道場と、膨大な什器と、大人数の阿闍梨が必要なため、容易に行なえるものではありません。
ですが高野山(東京別院も)では毎年2回、春秋に行なっております。コロナ禍で休みでしたが今年は復活しております。
東京別院でのご案内をLINE配信しました所、締め切り日だったにも関わらず数名様が入壇されたそうで、いたく感動したと報告を頂きました。何よりでございます。
高野山は明日が最終日。こちらは予約なしでもいけるようです。こちらからは飛行機+電車と非常に遠方ですが・・都合がつく方は飛んで、または秋の機会にでもぜひどうぞ。
しかし、なかなか叶わない・・という人への話もありますが、いい加減長文なので稿を改めて。
本当の御朱印
先日、弘法大師誕生所である香川の善通寺に於いて、大師誕生1250年慶讃法会に出仕、無事お勤めさせていただきました。
法会の報告は、後程改めてさせて頂きます。
50年に一度の機会という稀なる法会に出仕、という勝縁を頂いたので、当山信徒さんにも結縁していただきたく、善通寺に写経納経を勧募したところが多くの皆様からお申し込みを頂き、ありがたいことでありました。
お預かりした写経は副住職が善通寺に持参して、善通寺のメイン堂宇となる御影堂に納経料を添えて、しかと納めてきました。施主各位にはご安心ください。なお納経は、どうやら翌日の朝勤行の折に壇上に供え、導師が加持を行なった上で納められるようです。
また、御朱印も希望された各位には頂いて参りまして、郵送しました。
さて御朱印。昨今は何気にブームらしく、あちこちを巡り歩いて集めるコレクターや、寺社も特別や限定の名のもとに多種類とか高額朱印も販売し、モノによってはネットで高額取引されるという、ちょっと筋がずれた向きになってきているようで・・今やスタンプラリーと見られていますが、それは大間違い。
御朱印は本当は何というかご存じですか?
え?御朱印じゃないの?・・というあなたも、分かっちゃいない。
正確には【納経印】なのです。お遍路さんした方には常識ですけどね。
だからハンコを押してもらうのは、正確には【納経帳】という。
ここで「なぜ納経と言うの?」と気づかれたなら鋭い。
納経とは冒頭に記しましたね。写経を寺に納めることです。
そうです、この御朱印とは【寺にお経を収めた証】としていただくもの、が本来なのです。
ただ【ハンコください】といって、貰えるようなものではなかったのです。
ただ、写経自体が時間もかかるし、札所巡りには先ずその納める分量を書くことから始めねば、と手間が凄まじい。それじゃなかなか困難、写経じゃなく読経でも納めたことになろう、というような流れで、現代に至ったらしい。
ですから、お遍路さんには本堂と大師堂で必ず心経読経が課せられています。それは乃ち納経の代わり、遍路は廻りの証に朱印を頂くことが必須ですから、読経は端折ってはならないんです。
ところが巷では、ただ来ただけで【御朱印ください】という人があります。が、上述の観点から拙寺では【最低限、本堂でお参りをされないと御朱印は差し上げられない】とお話しています。経を本尊に納めてこそ、御朱印にも功徳が宿るというものです。スタンプじゃ功徳など無い。
そういう点からも今回、善通寺のご朱印を頂いた皆様は【本当の意味での納経印を頂いた】ことになります。大師の勝縁年にまことの積善を為されたことをお慶びしますと共に、吉祥をお祈りします。
※神社でも御朱印をしていますが、牛黄宝印など古来より有している社以外は、寺の朱印に寄せて近年行われるようになったもので、経はそもそも関係ないし、どのような根拠づけをしてるのでしょう?もっとも、私は神社でも心経や立義分などあげて参拝しますけれどネ。