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遍照院 へんじょういん 
お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

Welcome to "Henjouin temple"
お祈りごとも、お祓いも、
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丁寧な供養や鎮魂も
宗派が違っても、
檀家じゃなくても、頼りに出来るお寺
遍照院へようこそ。
2023-02-24 18:01:00

如月のザワメキ⁉

星供の時節には例年、おかしな事が起こる。電気系がいきなり挙動不審とかぶっ壊れるは定番。

ウチの場合は、沢山の人数の厄除けを一時に請け負うのだから、そんなことがあるのは不思議じゃない。

 

だが、この時期に変にトラブったり騒いだりする人がある。事故ったのケガしたとか、時には意味不明な言動なども

 

まあ、そういう騒ぐ人の原因はだいたい決まってる。【ホトケ】だ。供養すると言ってホッタラカしていたり、トンデモナイ障りを負っていたり。

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ウチの信徒さんなら周知だろうが、厄除けとは、実のところは【己の業を祈ること】だ。

 

その宿業とは、あなたの生まれた家の霊系に引き合ったもの自分の業にして、先祖の業とも繋がったもの

※余談だが【好きで生まれてきたわけじゃない】とか【親ガチャ】など言う人がいるようだが、仏教的には【あなたの業が、その親と家を選んで生まれて来た】に他ならない。

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己の宿業にアクセスしてその流れを抑揚するのが星供、その霊系につられて浮かばれぬホトケ達もざわめき、トラブルなどの形でその存在に気づかせようとする、そんな時節なのだろうと思う。

 

それが証拠にトラブって慌ててお祓いや供養を申し込むような人は(この時期は星供以外はお断りするので)それでは節分過ぎに」と言うと後は、なしのつぶてなもの。そんな喉元過ぎれば、な人達が大方だ。だから、こういう時期に騒ぐ事態に遭う。そんなじゃ、鎮まらぬ障りは続くよどこまでも、折々に災いが噴き出るのも当然。

 

一方で、星供に先祖がダブる人もある。今年祈祷されたある人は、同席した親類の人の手が、故人の父とか祖父の手に見えて驚いた、と申された。この方は実家は雑だが、ご自身として丁寧に供養事をされておられるから、故人がその恩に応えて見せたのだろう。吉であれ凶であれ、霊的関わりが露わになりやすい、そんな一面がこの星供の時期にはある。

 

星供とは厄除けだけに非ず、知らずともあの世とリンクしている祈りだ。そういう時期に何が起き、或いは何を得たかで、あなたの【霊的在り様】の一端が占える、かもしれない。

 

2023-02-22 20:45:00

事故続きをなめた顛末

あなたはお祓いしておいた方がいいよ、に「子供にお金がかかるので、お祓いするお金はありません」と言った人。

 

やはり易が示す通りらしい、救いようがないんだな~

 

紹介で来た人。頻繁に事故を起こしたり怪我をするという。占断して住職がお話ししたのが冒頭の言葉。

 

私は不在で後から占を見せられたが、なるほど、これは今後も確実にやらかすわ。

 

得た卦は【※※は死ななきゃ治らない、ってヤツだね】。今までに得て記憶にある人は例外なく、己を修正できずに坂道を転げ落ちている。そのうち来なくなるので最後は知れない。易をやる者なら瞬時に身構える卦だが、他の卦も【事故るぞ】ばかりだ。口を酸っぱくしても、こういう得卦の人には馬の耳に念仏。

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事故やケガが続く人は、そういう引き合いが憑いてしまっているので、事は大方悪化しやすい。お祓いなんて「そんな目に見えぬもの」な即物的思考人にはムダにしか思えぬかもだが、事故ったら、その出費はお祓いの数十倍以上じゃない?。オマケに健康そして命だって損ないかねない。己ばかりでない、他人様の人生を壊し、自分の家族の人生を壊す可能性もある。

 

災いは可能な限り、未然の先に除けようと努めるのが人として、いや、生き物として賢明な智慧ではないか?と思うのですけれどもね。取り返しがつかない時になって気づいたって遅いのに・・

 

まあ、お祓いを勧めてもやらない、のでしたら、それもまたその人の人生。

で、以前にあった人を思い出した。

 

蛇を踏んだ、猫をふんだ、と来た人。住職は車をお祓いしておけと言うも、その人はお祓いしない。そのうちに狸とぶつかった、物に行ってぶつけた、来る度に言うも、どうしてか絶対お祓いはしない。そして遂に、車と衝突。相手の人に詫びに行ったか?と聞くと「保険屋も自動車屋も行く必要ないって言うから」に住職は「アホか、大変なことになるぞ、謝りに行け」と言ったが・・

 

しばらくたって、やつれ顔で来たその人は「お金全部無くなりました、お祓いしてください」・・ぶつけた相手は、タチの悪い筋の人でおまけにクラシックカー、詫びにも行かずで相手は激怒、賠償金から慰謝料まで大変な金を払う羽目になった、との顛末。

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忠告してきたのに、お祓いを軽んじ、ケチった挙句に全てを失った、こんな人もいます。

 

それでも、不可抗力じゃないことも良寛さんの言う【災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候】と覚悟出来ている、のでしたら、お祓いをなめてかかって痛い目に遭ったり、救いなく転げ堕ちて終わるのもまた人生、かもですけれどもね。

2022-12-29 20:45:00

大悲の雷震

久しくご無沙汰を失礼して手紙を書いていて、優しくもあり厳しい人でもあった、と想い出す、師僧のご母堂さま。

 

我が師僧は現代的な感覚をお持ちで、古い老僧的な御方ではないが、その御母堂様は折々にビシッとキビシさのある御人だった。

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私が居た高野山の師僧寺は宿坊で、接客から配膳や掃除などの大概はご母堂の指示を仰いで教わるものだった。何度叱られ、諭されたことか。また、師僧寺は寺族と寺生を差別することは一切なかったので、毎日一緒に食事をいただきながら、私の知らぬ話をどれほど教えて頂いたことか。

 

そうして教わった一々は、今も戒めや常識として心得ているつもりなので、私が坊さんとしてある根っこの部分は、このご母堂様と同じ時間を共に過ごさせて頂いたお陰と思っている。とかく厳しく諭されたこと、というのは忘れないものだ。

 

と書きながら思ったのは、今の人達の【打たれ弱いこと】よ。些細なことに傷ついたのと大騒ぎし、かたや目を背けていられぬ大事には見て見ぬふりをする、のは教育現場に限らぬ今時の傾向らしいが・・理趣経に引き寄せれば【小瞋に過熱して大瞋を失う愚】とでも言うべきか。

 

こういう仕事のせいもあろうが個人的にはご機嫌を取るような真似はしない。寄せられるメッセージや尋ねに対しても、問われたことやその考え方に対しては、私個人意見として遠慮なく言う。考え方がズレているとかマナーがなっていない者には、その点も指摘する。

 

すると、怒ったり愚痴を連ねたり、一方的にLINEをブロックする者もいる。別に痛くもかゆくもないが。一方的にグチを書き、意見を訊ねながら己のブザマを指摘されるとキレる、ってのは人間が出来てなさ過ぎだろう。そこを省みて自戒とするなら、逆に己の未来の損を減らす契機ともなろうに。

 

キビシくされて傷ついた!とはメデタイ野郎だwと失笑している。仏教で現世利益をつかさどる明王がなぜ忿怒尊なのか、考えてみよ。

 

観音経にも【慈悲体の戒めは雷震のごとし】とあるではないか。お優しく見える十一面観音の後ろの顔は【暴悪大笑面】である。

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キビシい経験を経るからこそ、進化し強くなり適応できるようになる、それが生物の生きるという事ではないか。かといって、山中鹿介のように【我に七難八苦を与え給え】とは決して願うことは無いが;純粋培養に慣れて保護ケースの中が当たり前となった日本人、本当にヤバいことには目をつぶり、生き抜く未来などあるのだろうか。

 

と、話が壮大になり過ぎた(;'∀')

 

今の歳となっては人からは住職に叱られる程度の私だが、仏さんや易神からはいつも叱られている気はする。やり方の悪さや見立ての甘さなど何がだよ⁉と、凹む事もしばしばもある。だが、めげずに向き合い続けていれば新たな扉は開かせてもらえるものだ。

 

今年もそういう意味でも厳しかったことは多々あった、が、年末は微笑みかけてもらうことが多分な気がする。叱られ試行錯誤し自分なりに一歩でも二歩でも進化している?ご褒美か。

 

生き物にとって、厳しさとはその者の未来の為に必要な事だと考える。叱られる内は花、でもあると思う。AIチャットみたいな対応や無視で応じられた時は、きっと、自分を見限られた時それこそ恐れるべき事態だろう。

 

このご母堂さまは御年卒寿近くになられるが、今もお寺の仕事をされておられるらしい。ご健康を祈る。

2022-12-21 21:28:00

出会う、と、出会えぬとの距離

急ぎ、鑑定の人。住職の占には、異様なほどに【ホトケの障り】の暗示ばかりが並ぶ。

 

先祖さん、粗末なことになっているんじゃない?と尋ねると、首をかしげてしばらくされて「あっ、そう言えば!」

それは、普通ではちょっとありえない扱いがあった話。そういう真似をする程なら、家を出たこの人には分からずとも、どういう状況があったかなど推して知れようというもの。

 

この人が急遽の鑑定を求められたのは、LINEキッカケ

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当山LINE登録者にサービスしているプレゼント護摩木。お申し込みを頂いて書き、添付用写真を撮るのだが・・何度撮ってもブレる。7~8回目でやっと撮り、やれやれと護摩を焚くと、今度はその人の護摩木だけ最後までくすぶる・・このサービス護摩木でこんな事態は初めて。

 

なので、祈願しましたよ、の通知に「こういう事があったので身辺一寸注意してほしい」と添えた所が、体調も良くなく鑑定してもらいたいと思っていた、とのことでご来山。

 

顧みるに、この方の護摩木に見えた異変は、この人の負ったタダではない程のホトケの重さだったのだと思う。たまたま、何の気なしに無料サービスで拙寺に縁を結ばれたことで、この人が負ってきた苦難の背景にある浮かばれぬホトケ達が、ソレを知らしめる機会を得たのだろう。

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手相は良くても、酷な目に遭い続けてきた。原因が見えれば、対処の道筋は見えて来る拙寺に縁を結ばねば、己の負っている障碍の大きさに気づくことも無かっただろう。この人はプレゼント護摩木1本で、人生の転機のキッカケを得たと思う。

 

ふと、想う言葉がある。【冒地の得難きに非ず、この法に遇うことの易からざるなり】大唐の恵果阿闍梨が弘法大師に話した金言。

【今や仏教は、悟りなど輪廻を繰り返した果ての理想というが、悟りを得るなど難しいことではない。悟りへの近道の方法を持つこの真言密教に出会うことの方が、容易ではないのだよ】と。

 

この法に遇うことの易からざる】だ。【優れた縁に出会うか、出会えぬか】は、人生の分かれ道でもある。広告業では【知られていないのは存在しないのと同じ】らしいが、【勝縁】はたとえ隣にあっても、自ら出会いにいく事が無ければ、存在しないに等しい。難病でもスーパードクターに出会えれば治るも可能だ。落ちこぼれ状態でもスーパー講師に出会えれば難関校突破だって現実となる。善き縁に出会うことが如何に大切であるか。

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こうして感じるのは、仏事や神事へますます遠ざかる現代人の危うさだ。まともな信仰をしてきた人なら普通にあろう「神仏や祖霊が発する微細なメッセージ」など、受け止めれなくなって当たり前だ。

 

危機を感じれず、不幸へ転がっていることに歯止めもかけられない。仏事にすら子供/孫を連れて行かぬ今時の人達は、その子たちから「自身を護る霊性を育む機会を奪っている」と思うべきだ。それの果てが、イカレた教義の新興宗教などに魅せられる。もっとも、ナムナム念仏唱えればコトが足りると思っている寺ではそれ以前の話だが。

 

正に【この法に遇うことの易からざる】である。出会えた人は幸いだ。先の御人は、困った占断ばかりの中【もう足元は崩壊寸前だが、今ならまだ間に合う】占を得た。その人の異常事態を示した拙寺に、すぐに対処に足を運ばれたゆえに、易もこういう救いを見せたのだろう。

 

ついでに弘法大師曰く【顕薬塵を払い、真言は庫を開く】・・密教以外の仏教は宝蔵の埃を払う教えであって、密教はその宝の庫を開く教えである、と。当山が鑑定を行なって指針を示し、祈祷や供養で道を切り開く祈りが出来るのは【遇うこと易からざる法】を奉じているからである。

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当山にご縁があった人は【得難きを得る】も往々にある。ご縁はどうか活かされたい。

2022-12-11 18:30:00

開運できぬ人あるある~

開運出来ない人には「あるある」があります!

 

簡単にまとめるなら、

①「価値を見出す、その価値に投資する」発想が無い

②「金が無い」が口癖

③「他人の時間」を大切に考えない

かな~。

 

 

以前にこういう電話。

「相談したいんですけれど、お金が無いんです。本当に大変でお祓いもしてもらいたいです。でもお金が無いんです。〇日だったら行けるんです、その日じゃないと都合悪いんです。お護摩されているんですよね、鑑定とお護摩祈祷を合わせて5000円でしてもらいたいです」

こう返しました「アナタね、バカじゃないの?五千円じゃ、お護摩の材料費にも足りませんよ

 

こういう問い合わせも。「お金ないので鑑定料まけて欲しい」

先日はこういうグチも。「金運御守り欲しいが、高いので買えない。お金が無い人が買えないのは矛盾している」

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こういう話には一切、迎合しません。何故ならこういう人達は、開運できなくて然るべき人たちですから。

 

分不相応

自力ではどうにもならないことを知ろうとする、動かそうとする、人生の転換を図ろうとする、のですよね? そこに対し、誰でもコンビニで数時間バイトすれば稼げる程度のお金を、無いの、高いの、と口にする。物事に対して即物的視点だけ。価値という認識が欠如している。

 

世間を成り立たせているのは【価値】に過ぎません。生きることが肉体が死滅するまでの時間つぶしなら、ただ食って寝て排泄するだけなら、人なんて正に釈尊の申された【糞袋】に他ならない。ただ生存だけではないことに価値を見出し、お互いがお互いの持てるモノ、生み出すモノに価値を見出すことで、人は「動物」を超えて「人間」へ進化し世界を造って来た、のです。【価値】こそが世界を縁で繋ぎ、構成する要素

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だから価値には過度の対価が認められていますでしょう? 診察一分でも、医者は健保まで含んで数千円得ることが保障され、弁護士は話だけで30分5000円、取り掛かるだけで十数万円~が普通とされていますね。不動産業者は仲介だけで「売買価格×3%+6万円」の手数料が認められていますし、コンサルなども講師によっては、1時間数十~百万円の上もあると聞きました。

 

自身の手に負えぬことは、【やれるプロ】という【価値】に投資して、ソレを我がモノとする。持たざる者が可能性に縁を得て、自身を切り開くには自身外の【価値】と繋がるしかないのです。その対価に不満をつけるなら所詮、ソレを手にする資格など貴方には無い、ということ。何としても!と思う人は、努力して金を作ってまでその【価値】に投資しますし、成功者と呼ばれる人は大概、そうした人々です。お金は所詮、手段でしかないのですから

 

スマホを持ってネットするお金はあっても、コンビニバイトで半日経たずに稼げるような額すら己の為に投資できぬ、と公言するような人には、日の目など見れるはずもないでしょう。

  

口から出たマコト

二言目には「金が無い」という人。聞きもしないのに「金が無い」話をする人。こう言う人に一切同情などしません。かつて住職はそんな人にはサービスしていましたが、結果は悉く人間の卑しさを見るだけでしたから。

 

もはや癖なのでしょう。でも、こういう発言をしていると本当に、いつまでたってもその貧苦から抜け出せないものです。貧しさ自慢みたいに話す人もいますが、住職も私もドン底経験してますから、そんな話など大したことない笑。貧困話は成功者になったなら昔話として語れっての。

 

【金ない】を繰り返していると、自己洗脳みたいになってますホント、何をしたって何を祈ったって、運など開けませんよ。

 

また、実際は裕福な収入とか困らないレベルなのに【金ない】が口癖の人もいますが、こういう人は、本当に手にしたい、肝心なコトなどに限ってつかみ損ねる、ものです。お前、貧乏なんだからそんなモノ要らないよな?と止められるみたいに。

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だいたい、【金が無い】口癖の人となんて、付き合いたいと思いますか? 金持ちは絶対に距離を置くでしょう、貧乏神を自称する人間なんて。世の中は縁次第ですよ。自ら吉縁を遠ざけるなど、愚の骨頂。

 

ご縁の破壊

こういう人はだいたい、一方的に自分の言い分や都合ばかりを長々&ダラダラ、電話でもメールでも。【相手の時間を自分が奪っている】という認識がない。そもそも社会人としてどうよ?

 

1分毎200円とか1文字何円という今時商売なら上得意サマにもなるでしょうけれど、応対する相手を慮れない人など、世間は相手にしない。オマケに指摘を批判と捉えて僻んだりする。要するに【切り変わるに必要な縁】を、自ら遠ざけている

 

人と同様に、神仏に対しても同じですよ。寺報にも書きましたが、貴方が神仏の立場ならば、自分のことなのに出し惜しんだり、ケチつけるような人を助けてやりたいと思います?

 ☆☆☆☆☆☆☆

 

これはやっておいた方がイイという提案を全てされ、大事を成された人からは【こんなにトラブルが無かった年は覚えがありません、自分の力では為し得ないことばかりでした、深く感謝しております】とメッセージを頂きました。

 

難しい大手術が要るし、いつ急変しても不思議はない、と言われた人。生活は苦しいはずですが、お参りされると1万円供えていかれる。こういう人には寺としても見える/見えない両面でサービス&祈祷していたところが・・急遽、スーパードクターのオペを受けられることになり難手術も成功、様態も安定、と報告がありました。※「〇〇さん、ラッキーでしたね~」と看護師から言われたそうです(^^;

 

こんなご時世ですもの、本当に苦しい思いで生活をしている人の方が日本の大半なはず。それでもほとんどが【金が無いんです!】などと他者に声高にアピールなどせず、やれることを頑張り、祈り挑み、光明をつかみ取ろうとしている。この困難を超えて、次のステージを切り開くのはそういう人達。人情としても援けてあげたくなるものだし、神仏とて、そういう気概を持ち、礼を弁えている人には力を添えてくれるもの。

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【天は自ら扶ける者を援く】のです。拗ねてゴネているような者になど、誰も、神仏もかまっている余裕などありません。

 

殊に祈りの場とは、とかくその人の本性がむき出しになりやすいものです。運を開きたいと望むなら、上述の心当たりは貴方の闇。即、トドメを刺して自身の出直しを図るべきと思います。

 

ちなみに、百貨店などでは【たか~ッ!】と声に出ることもありますがw、本当に惹かれる物なら売り込み店員さんには【今ちょっと厳しいので、頑張って稼いだらまた来ますね~】と言います。すると、本当に買える向きになるものです。

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