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遍照院 へんじょういん 
お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

Welcome to "Henjouin temple"
お祈りごとも、お祓いも、
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宗派が違っても、
檀家じゃなくても、頼りに出来る、
かかりつけのお寺さん
遍照院へようこそ。
2025-09-09 20:00:00

好かれる人♡

嬉しいご報告を立て続けに頂いています、有り難い限りです。

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何気に鑑みますにそういう方々に共通しているのは「素直である」ことかな、と。

 

占筮というのは「神意/仏智」です。それを素直に受け止めて、自身を合わせていく/変えていく人は、結果が良い。至極当然。

 

祈りとは、自身の分際を超えたどうにもし難い所に、仏神の援けを求めるもの。素直にその冥護を信じて祈りを形とし、やれるだけの努力をする人は、奇跡としか言えない様な結果までも手にされたりする。己を虚しくして仏と感応なれば、それも特別なことじゃない。

 

そしてふと気づきましたのは、素直じゃない≒物事が通りにくいには、ソレが仏の戒める根本煩悩そのままじゃないか⁉と。

 

ご存じのように根本煩悩は「貪瞋痴=強欲・怒り・愚かさ」の3つが有名ですが、これをもう少し広げた「六大煩悩」というくくりがあります。

 

これは先の三煩悩に「慢」「疑」「見/邪見」の3煩悩をプラスしたもの。

 

専門的解釈はひとまず置くとして、コレを我らの日常に即して単純に考えますなら

 

・慢ウヌボレ、思い上がり、見下し、ナメた思考、身の程しらず、馴れ馴れしさ、憶測だけの見当違いな一方的物言い、非を認めない、譲らない、不遜な態度、それと意外な感ですが卑下も慢の一種と

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・疑=頼みながら信じていない、己の思考や期待を最優先視する、真や道理を見極められない、良薬は口に苦しと受け止められない、被害妄想

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・見/邪見=更に5つに分けられますが、要は「因果の道理を信じない」「ハナから決めつける」「体裁さえやっときゃ」自分の考えに執着する意固地、ひね曲がり、劣った見識

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こうしてみますとこれらは「素直じゃない」の一言に尽くされる、そんな気がしませんか。

 

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「自身にはハードルの高いこと」だから乞い尋ね、手に負いきれない様な事だから祈るのです・・よね?

 

そういう場においても、尋ねながらも信じない/示唆されたことをやろうともしない/自分が変わるでなく、執拗に都合のイイ回答待ち/一度祈ればそれっきり/お礼やおかげさまなど頭になく、当たり前や偶々だと片付ける/手順などすっ飛ばして結果だけ求める/都合の良い部分だけつまみ食い&膨張させ/鑑定してもらえばいいのでしょうか、拝めばいいのでしょうかと踏み出す一歩すら人任せ/何様な態度/自分は特別扱いされている・されて然りと妄想/グチだけは執拗・・この辺にしておきますかww 

 

仏前とは「本性が剥き出しになる場だ」って昔から何度も言ってますのにね。

 

占筮は住職や私が応えますので、軽く考える人もおありなのでしょう。ですが、私共が述べるのは「貴方に示された神意」を代弁するだけです。私個人の感想じゃないですよ。

 

祈祷は住職や私が行ないますので、たかが坊主と軽んじる人もおありでしょう。ですが、私共は仏神への仲介であって、皆さんが向き合っているのは「不動明王や愛染明王という、厳しさの権化のような仏様」なのですよ。

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そこに大煩悩をむき出しにした態度で接しようなど、バチが当たらないだけイイとしなきゃない、のでは。

 

上述した煩悩の逆・・良いからと自惚れず、悪いからと卑屈にならず、他人とは適度な距離感を保ち、時と場によって軽さと真摯さを過たずに動静し、原因があって結果がある道理を弁えてやるべきを為し、将来を考える・・そのように在れたなら、仏神からは勿論、人からも好かれまくり間違いなし!でしょうネ。

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でも、この六大煩悩は本能に根差すものですから、どんな場でも純粋に素直に立ち回れる人、なんて、この極悪末世邪道の中を必死に生きねばならぬ我ら凡夫には、どだいムリな話~

 

それでも、上述の慢・疑・邪見を意識して改善してみようと明日から正してみるだけでも、仏神の加護はもとより、人付き合いの場に於いても己が知らぬ間の損失は大いに少なくなる物事スムーズに運びやすくなるに違いありません!

 

江戸時代の傑僧、浄厳律師の言葉にこうあります【疑いあるが故に、一切成ぜず(仏へ通じない、物事が通らないのだ】と。

 

「素直であれ」は、仏前に必須な心得かも、と思えてきました(◎o◎;)

 

2025-09-08 23:21:00

ハンドメイド三昧!

風呂敷護摩は、この紙天蓋が独特&難儀・・手間のかかりが常の幣束の比じゃない。

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切るからして一苦労、裁断上がるまでにカッターの刃欠けること3回交換。恐るべし、奉書紙よ(((;゚Д゚))

 

おまけに和紙は引っかかりやすいので、力入れてゆっくりを重ねて切らないと破れちゃう(;'∀')

 

切り終わったら折り方・・重なっている幣を一枚ずつバラシて折り畳み~

 

出来上がり→道場にセッティング。も、これまた脚立をそっちこっちに動かしつ上り下り、破れぬように慎重にも慎重に( ̄▽ ̄;) で完成!

 

しかし、これで一日がかりとは・・明日から習礼かたがた天蓋護摩修行、やっておきます!

 

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先日修理した護摩杓。

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焼けるので折に自前修理していますが、ホームセンターで手に入る木じゃ耐火に適したのって無い・・いつもは檜で作ってます。

 

かと言って仏具屋の修理だとウン万円;

 

燃えにくい工作用木材、で検索してもなかなかヒットしない~

 

も、執念深く探して「槐」が燃えにくいようだと知り、通販してる材木店発見!で、取り寄せて加工。堅いね~

 

真鍮部分が欠けてるのでアルミテープで補強して出来!長持ちしてくれるといいな~

 

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左側のトイレの「流すボタン」から水漏れ;character_water.png

バキュームブレーカーが壊れたよう、メーカーに聞くと「もう部品がないので、ボックス本体ごとお取替えを」・・だよね、もう20~30年使ってきたし。

 

と思うと、右側トイレリフォームが成るのを待っていてくれたかのよう;

 

とりあえず応急処置するも数日でダメに、もはや替えるしかない・・も安くないわ;水道屋に頼んだらいくらになるやら( ;∀;)

 

水道は今までも自前交換何度も経験済みなので、ネットで買って自分で取付ける!

 

と順調にきた所で、以前の取り付け金具&ペーパーホルダーとの兼ね合いで、場所が無理⁉

 

も~しゃあない、でホルダー支え材を壊し一部壁紙を剥がして新たに貼って、取り付け完了!

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壁紙工事までやる羽目になるとは、業者頼んでたら請求いくら来たやら(;゚Д゚) 自分を信じてよかったwwkabegami_haru.png

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電気部材の割れ・・経年劣化だそうで;

イッチョやりますか、と思うも、配線電気系は素人じゃ危なすぎる~と断念。ただ新しい部品に繋ぐだけ、なんだけどもね。

 

 

配管とか電気工事とかの資格、勉強して取るべきかと思いを巡らすまだ終わらぬ夏~

2025-07-20 21:29:00

ホトケの許されざるって⁉

お墓に建てる塔婆や合同法要での塔婆は真言宗の定型で作りますが、個別供養の塔婆には、そのホトケに適切な偈文や陀羅尼ほかを占筮して用いています。

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先日の供養にもそのように占筮したのですが、「それは可」という占を全く得ない・・不可ばっかり。

 

「適」という卦をなかなか得ず、塔婆書き前に占筮で疲れてしまうホトケは偶にありますが・・三十分占っても否定オンリーはちょっと無い。

 

もう定型でいいや~と諦めかけて、それじゃ鎮まんないかァ;と、祈祷方面でも占ってみると、遂に「最適解でしょ!」と易神(^▽^;)

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方向を変えても占じても「これで行け!」良かった~

 

この「正解」は〇〇〇の法に付随して授けられた△△△の法。密教と言うより修験の法で私的には常用ですが、供養には使った事がなく。

 

しかし何故これが⁉ですが、このホトケさんの事情を鑑みるに、ある意味納得。

 

難儀な死に方や悪鬼と化したような大変なホトケも、今までもさんざん供養して鎮めて来たので、ちょっとやそっとじゃ驚きません。が、このホトケは今頃になって【ソレは許されないわ;】事が発覚、死去から数十年経った今、傍系なのに偶然目の当たりにした施主さんが筋違いで苦しむ羽目に・・

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このホトケが【供養に与ることを許されない】状況であって、ゆえに常の供養では届かない・・このホトケの【許されざる】を何とかすることが先、だとしたら△△△の法が「正解」、というのは筋が通ります。

 

そんなこんなで構えて臨みましたが、供養はとても善く仕上がり、施主さんも安堵された旨、良かった(^^;

 

それにつけても今回思い知りましたのは【仏とて、許さぬ罪がある】あるいは【供養を受け取ることを許さない罪がある】ということ。hotoke_fudou_myouou.png

阿弥陀仏が【五逆罪を犯した者は救わない】と言ってるのは有名ですが、その弥陀も救わない悪趣をも破るという陀羅尼ですら「そういうことじゃない!」とは・・死してなお許されぬ罪、仏がソッポを向いたのか、と思うしかないというか。

 

供養が口に入る前に燃えてしまう、とは餓鬼道の姿ですから、【供養を受け取ることを許さない罪】は餓鬼ともいえるかもですが・・それにしても、△△△の法を用いねばならぬとは、私が今までの供養で知る餓鬼道というレベルではない気がします。

 

 

死してなお、許されざる罪がある。今回は供養を志した施主さんが縁者に居られかつ、当山にご縁があったので供養が成ったものの、そうでなければ体裁供養で成仏したとされる一方で、いつまでも餓鬼浮遊霊悪鬼として障り続けるだけ、であったでしょう。gaki.png

そして思いますのは、やはり「懴悔」とは大切だな、と。己が為している身口意の是非、折々に省みてちょこちょこ修正していくのは、本当に大切なことだな、と。

 

今件はあまりに特異な事例でしたが、人は死んで終わりだと思ったら大間違い。法的とか倫理的とかいう問題じゃなく、【あ゛~ソレは神仏は許さんでしょうね】なマネだけはしないように、感情の赴くままで取り返しのつかぬ事をヤラかさないように、気を付けたいものです(;'∀')

  

 ※7月の太元堂月例法話の部分です。

2025-07-09 22:17:00

心水

祈祷と言うと「お願いして助けてもらう」の発想が多分になると思いますが、真言宗では一寸違うんです。

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密教では「加持」と申しますが、コレがキーワード。

梵語のadhisthanaの訳ですが、弘法大師はこのように解説しています。

 

加持とは、如来の大悲衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく

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以下、もう少し分かりやすく。

**********

 

加持と言うのは、仏の大慈悲と、我ら衆生の信心の受け止め力の、双方向で成り立つものです。

 

サンサンと煌めく太陽の姿は、澄んだ水面にはクッキリ映し出されますね。

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それと同様に、煌めく仏の光形は、澄みきった我らの心の水面には、ありありと映し出されるのです。それを「加」と言います。

 

そしてまた、我らが努めて心の水面を澄ませて、仏の光形をありありと我がことに映しとる、それを「持」というのです。

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イメージしてもらったら、ご理解は容易でしょう。

 

則ち、仏の光明を受け取るには、自身の「心水」の状態がどうであるか、コレが肝心です。

 

 

自分ばかり都合よくなればいい、という我欲で「濁ってゴミが浮いている」そんな心の池水に、円明なる仏日は、欠けなく映り得るでしょうか?osen_kawa.png

憎しみや怒りで「波立って鎮まらない」そんな心の池水に、仏日の姿は、形を成して映り得るでしょうか?

 

因果や向上を考えもせず感情の赴くままの「浄化のないヘドロ状態」そんな心の池水に、仏日の形は、全うに映り得るでしょうか?

 

 

だから仏教は「懴悔」を第一に言うのです。「信心」を入門の筆頭に挙げるのです。

 

祈祷とは「仏と貴方を感応させる」もの。一方的に頼んどきゃイイ、のではありません。これを忘れては、ご利益も半減でしょう。

 

物事は因果で成り立っています。そこに絡んでいる「縁」を動かす、のが祈祷です。

 

その前提にはまず、自身の有り様であり心水である「因」を、浄めていく努力がいる。心のドブさらいをしていく必要がある。自身の基礎固めをしていく必要がある。

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だから大師は「衆生」の心水としていたのを、「持」では「行者の」心水に替えています

 

仏が照らすのは「全て」ですが、それを受け取るには「努力が要る」=傍観者じゃなく当事者である「行者」にならなきゃダメなのです。

 

 

ですが「祈るは一時、結果だけはガッツリ期待」そんな方は少なくありませんね・・

 

「手順をすっ飛ばして結果だけ得ようとする」のは、AI化の加速する時代の趨勢もあるかもですが・・

 

ただ、時代がどうあろうと、仏に祈るということは「加持感応すること」に変わりはありません

 

 

自身という土台は仏を映し出すにふさわしい、努めて澄ませている水面となっているか?

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切に成就を祈るのでしたら明鏡止水、必ず心されたい所です。

 

※何度も話しているので、いつもの信徒さんには蛇足でございますが(;'∀')

2025-06-13 22:04:00

生まれ変わり⁉

6月15日はお大師さんの誕生日ですが、お大師さんの話はもう何度もしているので、趣向を変えて「お大師さんのお師僧さんの師僧」つまり、2代前の師匠のお話を。

 

二代前だとあまり関係なくない?・・ですが、実はお大師さん誕生に凄まじくリンクしている御人です。

 

その方の名は「不空三蔵」、正確にはアモーガバジュラ。真言密教の第6祖に当たります。当山サイト内でも何度か触れていますので、聞き覚えのある方もおられるかと。 hukuu3.jpg

 ※画像出典:国立文化財機構所蔵品統合検索システム(ColBase)より

 

この方、密教の祖師と言うだけではなく、実は仏教界全体に大きな役割を果たした人

 

インド伝来のお経を漢語に翻訳することその質量ともに膨大な功績を残したお坊さんを「四大訳経家(鳩摩羅什、真諦、玄奘、不空)と言い、その一人として、現在に引き継がれるお経の多くを歴史に残した人でもあります。

 

ま、それはともかく、唐代中国において膨大な翻訳業務の傍ら様々な奇瑞を現しつつ、皇帝に仕えながら一般大衆へも精力的な布教を行なって三朝の国師と仰がれた、真言密教の立役者

 

南インドの出身で(父が北インドのバラモン、母がウズベキスタンの人なので、ペルシャ辺りの生まれとする説もあり)、聡明で幼くして父母の元を離れて各地を周遊して学を積んでいる所、ジャワ島に名高い金剛智三蔵が布教に来ている、と聞いて訪ねて弟子入りします。

 

そして金剛智に付いて、アジアの諸国を回りながら修行を重ねますが、金剛智は一向に密教を教えてくれない・・不空が弟子を辞そうかと考えた時、金剛智の夢に、諸佛が不空の後に行列して東へ向かうのを見て、この者こそが法の器だと知り、あわてて継承者としたのだとか。素質を持つ人ってのは、夢にまでスゴイのを見せますね(;'∀')

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金剛智も唐の皇帝の護持僧にして訳経家であったのでその滅後、皇帝の許可を得てその遺言に従ってインド方面の諸国を廻り、お経の収集と布教すること数年、唐に戻り地方と朝廷を行き来して布教と翻訳と祈祷とに励みます。

 

旱魃に雨を降らす祈雨と嵐を鎮める止風の祈祷は、幾度となく行なってそのつど効験を現していたようですが、有名な霊験は「兜跋毘沙門」と「安史の乱の調伏」でしょう。

 

唐の西域の安西城(現在のウイグル)から、五か国の軍に攻められているという救援要請が入りました。すぐに軍を派遣しますが、都である長安からは遠すぎて時間がかかり過ぎる・・どうにか・・と時の皇帝玄宗は不空を呼び寄せ、その命を受けた不空は陀羅尼を誦じて毘沙門天の第二王子を出現させ(!)、すぐさま供物を用意させて祈祷します。

 

そして約2か月後、安西城からの伝令に「〇月〇日(不空が祈祷を行じた日)の夕刻、霧の中に甲冑を纏った背丈3メートルはあろう大軍団が現れた、その者達は大地を揺るがす大音声を発すること数日、敵が疲弊する中、その陣中に金色ネズミが大発生して弓の弦を食い切ったとかで敵は退散し、城は守りました。その時に門上に光り輝くモノがあり、目を凝らすと毘沙門天だったのです、城内に居た者でこれを見ない者はいません、その姿を書き留めて報告します」との手紙が届いたと(◎o◎;)

 

これをキッカケに、唐では門の上には悉く毘沙門天を祀らせるとしたそう。ちなみにこの毘沙門天は「兜跋毘沙門」と呼ばれ、日本にも伝来して平安京羅城門に祀られ、現在は京都東寺に在り(国宝・中国唐代の作)。

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※画像出典:東寺サイト 宝物館|境内のご案内|東寺 – 世界遺産 真言宗総本山 教王護国寺

 

もう一つ、安史の乱とは、節度使(今でいう県知事兼地方軍司令官)の安禄山と部下史思明が、唐帝国の奪取を企てた大規模クーデター、世界史の授業で聞いた事あるな~。皇帝玄宗以下らは都・長安を捨てて逃亡します(ちなみにこの時に殺されたのがかの楊貴妃)。

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その時、他の節度使に招かれて布教していた不空は急ぎ長安に戻り、周り全てが反乱軍に制圧された四面楚歌の中、長安城に籠って安禄山らの調伏の祈祷を続けました。密使を皇帝や俗弟子に遣わしてゲリラ工作などもしたとか(;'∀') 

 

そして皇帝へ予告した手紙の通りに、安禄山と史思明は滅びた。

 

敵陣の真っただ中にあって最後まで逃げなかった不空、更なる護国の師として帰依を受けた不空は、大乗仏教の教えの最たるは潅頂に過ぎたるは無し、として至る所に潅頂道場を設けて、遍く庶民に潅頂を授けて仏教を広めて大衆を利益します。

 

而して774年6月15日、入滅。時の皇帝・代宗は朝廷政務を3日間停止して、その喪に服したほどであった、と。

 

そして時同じく774年6月15日、日本でオギャ~と産声を上げた赤ん坊が・・弘法大師です。

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大師の師である恵果和尚は、日本から密教学びたいって来てる若僧がいるそうだ、その書いた文章で遣唐使一行は入国許可なったというし今、般若三蔵に梵字習ってるがスゴイ切れ者らしいよ、と噂に聞いて期待はしていたでしょう。

 

しかし実際に大師が入門して来て、潅頂させたら花は大日如来に落ちる、教えればスイスイ吸収する・・そこに誕生日を聞いて驚愕したに違いありません。我が師の生まれ変わりだ・・(((;゚Д゚))と。恵果の弟子らも思いを同じくしたに違いないのです。寿命が間に合うかギリだが、と慌しく全てを大師に授けた恵果はその年末に遷化しますが、その恵果和尚碑文は、千人ともいう弟子の中で大師が奉じていますので。

 

そういえば、大師の母・玉依御前は「天竺の僧が身体に入る夢」を見て、大師を懐妊したと云々・・大師自身、不空の生まれ変わりである、という自負があったからこそ、朝廷から大衆まで隔てなく休みなく布教と救済事業に邁進し続けた、とも思えます。 akachan_kounotori.png

そういう意味では6月15日、単なる大師バースデーじゃなく、国を大衆を密教で救わんとする偉大なる悲願がもたらされた日、と言えましょう。

 

長くなりましたがもう少しだけ。

 

不空三蔵が訳経家と申しましたが、翻訳されたお経には「施餓鬼儀軌」もあります。これは密教経典ですが、浄土真宗以外の仏教でお盆に行われる「お施餓鬼/施食」のもとになっています。

 

また、納骨時などにどの宗派でも欠かさず唱えられる「舎利礼文」、経文には密教用語が使われていて、これも不空が編んだもの、と伝えます。日本仏教、実は他宗派も不空の恩恵にあずかっているのです。

 

 

そして最後に。

 

訳経家といわれた坊さん達は、大体が(中国でなく)異国の僧で、アジアやシルクロードを遍歴しながら経典を集めてきた方々です。無論、今のように飛行機も車も整理された道も薬も病院もコンビニも無く、多くの経巻を背負ってジャングルや砂漠や海を踏破しながらですから、本当に死を覚悟した収集旅であったことは察せられます。

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数多の経巻とは、その全てが命がけでもたらされた悲願の結晶なのです。だから大師は「釈迦の教え=経に欠けてるとか劣っているなど無い、聴く者の機根に合わせた差にすぎない」と言い、真言宗ではあらゆるお経を尊重します。それに引き換え、自身の奉じるお経以外は間違いだの劣ってるだの読誦してはならないと口角泡を飛ばす独善的仏教宗の多いこと・・収集し訳経し請来した先徳方に思いを致せば、嘆かわしい話。

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ちなみに、不空三蔵の霊験譚には「片手に経巻を執り」と見えます。訳経家であったことの含みかもですが、霊験にお経そのものの持つ力の示唆、と見ると興味深くもあります。

写経をすると気づきますが、経を書き写すだけでも容易な作業ではありません(^^; ましてや紙すら貴重な時代・・探して運んで訳して書写して船に乗せてまた次に伝えて、書き写し彫り起こして製本してまた次へ・・文字自体を書かなくなった現在、写経はそういう先哲の思いを追体験するにもきっとイイですね。

 

般若心経くらいは常にお唱えされておられるでしょう、小さくともこの経がご自身の手元に届くまで、どれ程の人々の苦労と悲願が込められているかを思ったり、経をちゃんと手にして祈るというのは、持経の冥護も違ってくるんじゃないか、と思います。ちょっと意識してみてはいかが。

南無八大高祖 南無大師遍照金剛

 ※先日の太元堂月例合行誕生祝祷の法話の部分

 

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