寺ブログ by副住職
もやもやテレ朝高野山;
テレ朝で先日放送された「博士ちゃんVS池上彰 サンド愛菜の今の日本を考える」
高野山を取り上げているという通知が来たので見た。が・・なんじゃコレ?
「世界遺産になるに値した聖域を味わう」という意識の無い、構成。
池上彰に至っては、ダライラマの転生探しとかマニ車とか、そんなの普通に知れてる&高野山に関係ない話を一山の総本堂で長々と話すという、外国宗教だったら確実につまみ出される/国際問題にまでなりかねない真似をしてるし。
ここで、外国の宗教や巡礼道を画付きで丁寧に解説の必要ある?
御影堂って消火設備だけ?
正座できぬのならテーブルで食えばいい精進料理を、半端椅子にお膳のだらしない格好で食うし。
宿坊のスイートルームなんて、特異な事例に時間をかけてはしゃぎ。
弘法大師が救いに来るのは56億7千万年後って、即身成仏を提唱して仏教に革命を起こした人だよ?
博士ちゃんが池上をどう見てどうなりたいか、なんてどうでもよくね?
で、せっかく取り上げられながらも番組内では全く無視された、高野山の伽藍の見どころについて、些かながら記して祖山の魅力のフォローをしておきたいと思う所です。
※画像は高野山のサイトから拝借です。※「確か」と記している情報は私の記憶で、記するに際して一々正誤確認していないのでご了承を。
①大門
祀られている仁王像は、東大寺の仁王像に次いで日本で2番目に巨大な仁王像。掲げられている札は「日々の影向を闕かさず 處々の遺跡を検知す」と讃岐善通寺(誕生所)で感得されたもので、お大師さんが身は高野に置きながら、毎日ご縁のある各地に出向いて衆生救済を行なっている、という文。
②町石道
お大師さんの母君の住坊であった山麓の慈尊院をスタートに壇上伽藍まで続く道しるべ。これを頼りに貴族皇族の中には一刀三礼ならぬ一歩三礼で登った貴人達もあった。鎌倉幕府の御家人安達家主導で石製に改められた。寄付者には親鸞上人妻恵信尼とほぼ確定されているものもある。※画像はⒸWikipedia
高野山御詠歌の【たかの山 山にはあらで蓮葉(はちすば)の 花坂のぼる今日の嬉しさ】という歌は、老体をおしてこの町石道を歩まれた明治の傑僧の一人、浄土宗の福田行誡上人の御製。
③金堂
高野山の総本堂。昭和元年に焼失して再建されたもの。両部曼荼羅は、平清盛が自らの頭の血を混ぜた画材で書いたという血曼荼羅【たしか重文】が祀られていて、今のはその複製。
本尊は阿閦如来(薬師如来)、高村光雲の作。老齢だから仕上げ前に死ぬかもと固辞した光雲を「息災延命で祈るから」と説き伏せて出来たという。想定以上に大きく仕上がった為、光雲の工房を一部壊して搬出。秘仏であったが開創1200年に初公開。
阿閦か薬師か、本山は薬師と言ったが容姿は阿閦。共に東方浄土佛なので同体視もされるが、大佛頂陀羅尼には別々に説かれており、阿閦は釈迦降魔成道の姿であるから、修行道場である高野山一山の本尊として阿閦が正解だろう。
というも、焼けた旧金堂の時代までも本尊は絶対秘仏であったゆえ、もともとどちらだったのかは不明という。調査と称して厨子を開けた役員が2人が急逝したとも云々。堂内には本尊厨子を中心に、不動明王/降三世明王/普賢延命菩薩/金剛サッタ/虚空蔵などの仏像が並ぶ。
これらは旧金堂に在った仏像の復元だが、旧金堂の時代のものは調査で大師の時代=高野山草創期の作であったことが判明している。旧金堂は2層楼閣で現金堂の高さ2倍、残っていれば仏像建物ともに日本史上に名を刻むスケールであったと思われる。
※ちなみに、阿閦仏は日本では馴染み薄いがインドではすこぶる信仰された仏で、密教でも重要な尊格。7回忌の本尊。
毎年5月と10月に開壇される結縁潅頂では、一般信徒も内陣の大曼荼羅の前まで入って拝むことが出来る。
④根本大塔
一般的な寺院は仏殿がメインだが、弘法大師はこの塔を高野山のメインとした。そこには単に仏像を納める建物ではなく、建物そのものを仏身とする想いがあった。内部が信徒の参拝を前提としない、巨大な立体曼荼羅になっているのはそういうこと。柱の十六大菩薩は戦前の巨匠、堂本印象画伯の作。
番組ではスルーだが、同じ伽藍にある西塔(江戸時代、こちらもデカい)と対で曼荼羅をなしている↓
根本大塔には明治天皇から再建費用の援助もあったようだが、再建なったのは戦前の昭和初期。真言密教が世に放たれた南インドの鉄塔(南天鉄塔)がモチーフと言われる。※南天鉄塔は伝説と見られていたが、近年の発掘調査で巨大なマンセル遺跡がその遺構と目されている。
今大師と称された金山穆韶師(昭和初期の高野山管長)は、この大塔で毎日護摩を修していたらしい※現在の大塔に護摩壇は無い。中央大日如来の前の梁に掲げられている【弘法】の額は、昭和天皇の宸筆による勅額。
⑤御影堂
弘法大師の住坊の跡に建つ。世間に流布している弘法大師の姿絵↓
この原本となる弘法大師の御影が祀られている。※大師の弟子であった真如親王(平城天皇の皇子/高岳親王)が描いたもの。ここでは、ここ独自の供養法で山内住侶により毎日行法が修されている。奥の院と並んで極めて重視される場所。
番組ではスルーだが、このお堂の前に「三鈷の松」がある。大師が帰朝の際、唐から投げた三鈷が引っかかっていた、という超有名伝説の舞台。松葉が3本の珍しい松。ちなみにその三鈷【重文】も現存する。
⑥六角経蔵
美福門院が、夫である鳥羽天皇の供養の為に一切経を奉納したもの。美福門院は学校では習わぬかもだが、武士の世を開く一因を作った人。美女にしてキレ者で政治や戦略に辣腕を振るい、保元の乱/平治の乱/後白河法皇の登場は「この人が居なければ無かった」とも言われる。
ちなみに、鳥羽天皇は鳥羽殿(院政を行なった離宮、京都伏見竹田付近)の安寿楽院に自身の墓所として三重塔を作り、隣にも美福門院の墓所として塔を作ったが彼女はこれを拒否、その遺言に従って彼女のお骨は高野山に埋葬されている(不動院境内、高野山陵)。※彼女が入る予定だった塔は、近衛天皇の墓所になっている。
ついでに昨年、崩壊してニュースになった那須の殺生石。この石になったという九尾の狐の伝説は、美貌にして凄まじいやり手であった美福門院をモデルにしたとも。
で、番組ではスルーであったが、伽藍で特筆すべき建物に国宝【不動堂】がある↓
中に有名な【運慶作/八大童子像/不動明王/国宝】が祀られていたことからその名がある。美福門院の娘である八条院による建築。ついでに鎌倉時代のキーワードとして欠かせぬ【八条院領】とは、この人の荘園のこと。
⑦御社
お寺に神社がある/めずらしいね~/神仏習合の発祥地、とただ祀られているような紹介だったが、山内では大師宝号に続けて必ず「南無大明神」と唱えるように、極めて大切な扱いを受けている。
地主神の【丹生津姫神】と大師を高野山に導いた【狩場明神】、ほか十二王子百二十番神。四所明神という時は先の二神に気比と厳島明神だった気がするが。
高野山内で重要な役へステップアップする為の儀礼は皆、この明神の前で執り行われる。更に山内の住職にはこの明神を持ち回りで祭祀し、一年間潔斎と毎日行法の義務が課せられている。また山内では常識だが、この明神が感応するとある自然現象が起きる、とされる。
余談だが、僧正参篭の締め括りに奥之院で法会を行なうのだがその際、私の配役は明神壇での登壇修法。法会を終えて灯篭堂から出堂したその時、正にその現象が起きた。明神壇を勤めさせて頂いたが忝くも明神、感応し給いしや!と内心大歓喜したのを思い出す。ちょっと自慢話でしたね(^^;
神仏習合ついでに、①の大門は古い絵図では鳥居が描かれていました。
で、これも番組ではスルーだが、伽藍にある【高野四郎】も見もの↓
日本にある鐘で4番目に巨大、とのことでその名がある。※たしか1番目は東大寺、次いで知恩院、3番目に方広寺か。今も1日に4~5回鳴らされている。
⑧宿坊
奥之院の大名墓所とも関連するが、参詣時の宿泊場所というだけでなく、その宿坊と檀家契約を結ぶことで高野山で後生の祈りを託す、というスタイルが鎌倉時代頃から盛んになった。徳川幕府が推奨したこともあって現在、山内に五十数ヶ寺ある宿坊はどこかの大名と関わりを持っている。
登場した恵光院さんは確か明智光秀と関わりがあったような気が・・? 恵光院さんが寺生に英語を義務付けているとか外人さんに力を入れているとは、昔から有名な話であったが。毘沙門堂では毎日護摩を焚いているはずだし瞑想堂まで作っているとは、そりゃ外人さん来ますわ。
でもあのスイートルームはどうよ;師僧寺でも豪華絢爛の和客室はあるが、あのスイートは完全に今時の泊り客に迎合だ・・あれは特異例であって、番組見た人には宿坊はあくまで【祈りを主としてお寺に泊まるもの】という前提を勘違いしないで欲しいね、精進料理の食べ方も含めて;
⑨奥の院墓所
大師廟まで続く約2kmの参道は「天下の総菩提所」と呼ばれている。戦国大名はじめ現在は企業墓なども。「信長墓所/光秀の墓」と言っていたが、正確には「供養墓」だ。
かつては土葬が主流なので、どうしても時と共に墓が沈んでしまう。ゆえに埋葬墓とは別に「お参り用の墓」を設けるのが普通であった※両墓制という。その延長で、爪や髪などを埋めて供養墓としたのが奥の院の大半と見られる。光秀の墓を言うなら恵光院繋がりで言えばいいのに・・また、光秀の墓は何度修復しても刀傷のように割れる、という話も有名。
ちなみに1番石と呼ばれる最大のお墓は、お江の方。そう、信長の妹お市の娘、浅井三姉妹の末娘、2代将軍徳川秀忠夫人のもの。信長墓を取り上げるならこういう繋がりの見せ所もあるのに、やっつけ仕事な番組よ;なんなら最近の有名人から、ジャニー喜多川氏(ジャニーズ事務所創業者)の墓を取り上げてもよかったんじゃないの?個人情報的に無理か?
最後に、奥の院が天下の墓所になった解説について、異を唱えねばと思うことがあるが・・思いつくままに記していたら長くなり過ぎた;ので、それは稿を改めて書く。
とりあえず、もう何年も祖山に行ってない私ですら、この程度の事は喋れる。高野山の魅力と言いながら、それらに言及しないのは何故?
いつ頃のロケだったのか、今月ならば「日本最古の涅槃図※国宝」を有する金剛峯寺で、その涅槃図(複製)で夜通しの釈迦涅槃会をやる、そのことを取り上げても良かっただろう。
そして今年は、弘法大師が生まれて1250年の節目。なのに一切、そのことに触れないのは何故だ⁉ 随所に宗教的な事には触れないように的な感を受けたが、宗教都市を特集しながらその肝心なところはスルーってどういうこと?・・これが今時のマスコミの限界か。
奥の院でインタビューのインド人『仏の慈悲に抱かれている感じがする』とかハーフの博士ちゃんなど、外人さんの方が心を致して向き合っているというのに、三時のヒロインと池上彰と来たらダラダラとピント外れなことばかり・・
博士ちゃんが最後に【弘法大師がお師匠様から頂いた名前『遍照金剛』とは、】と解説してくれたのが、救いだったかも。ついでに、遍照金剛とは『大日如来』のこと。師僧から『大日如来』の名を貰ったお大師さんって、改めてどんなスケールの人だったんだか(◎o◎;)
とりあえず、池上彰の見識の薄さが露呈した番組でした。
このロケ、芦田愛菜ちゃんとこの博士ちゃんの2人にさせたら、どれだけ上品でスマートな番組に仕上がっただろうか、と思う。
如月のザワメキ⁉
星供の時節には例年、おかしな事が起こる。電気系がいきなり挙動不審とかぶっ壊れるは定番。
ウチの場合は、沢山の人数の厄除けを一時に請け負うのだから、そんなことがあるのは不思議じゃない。
だが、この時期に変にトラブったり騒いだりする人がある。事故ったのケガしたとか、時には意味不明な言動なども。
まあ、そういう騒ぐ人の原因はだいたい決まってる。【ホトケ】だ。供養すると言ってホッタラカしていたり、トンデモナイ障りを負っていたり。
ウチの信徒さんなら周知だろうが、厄除けとは、実のところは【己の業を祈ること】だ。
その宿業とは、あなたの生まれた家の霊系に引き合ったもの。自分の業にして、先祖の業とも繋がったもの。
※余談だが【好きで生まれてきたわけじゃない】とか【親ガチャ】など言う人がいるようだが、仏教的には【あなたの業が、その親と家を選んで生まれて来た】に他ならない。
己の宿業にアクセスしてその流れを抑揚するのが星供、その霊系につられて浮かばれぬホトケ達もざわめき、トラブルなどの形でその存在に気づかせようとする、そんな時節なのだろうと思う。
それが証拠にトラブって慌ててお祓いや供養を申し込むような人は(この時期は星供以外はお断りするので)それでは節分過ぎに」と言うと後は、なしのつぶてなもの。そんな喉元過ぎれば、な人達が大方だ。だから、こういう時期に騒ぐ事態に遭う。そんなじゃ、鎮まらぬ障りは続くよどこまでも、折々に災いが噴き出るのも当然。
一方で、星供に先祖がダブる人もある。今年祈祷されたある人は、同席した親類の人の手が、故人の父とか祖父の手に見えて驚いた、と申された。この方は実家は雑だが、ご自身として丁寧に供養事をされておられるから、故人がその恩に応えて見せたのだろう。吉であれ凶であれ、霊的関わりが露わになりやすい、そんな一面がこの星供の時期にはある。
星供とは厄除けだけに非ず、知らずともあの世とリンクしている祈りだ。そういう時期に何が起き、或いは何を得たかで、あなたの【霊的在り様】の一端が占える、かもしれない。
事故続きをなめた顛末
あなたはお祓いしておいた方がいいよ、に「子供にお金がかかるので、お祓いするお金はありません」と言った人。
やはり易が示す通りらしい、救いようがないんだな~
紹介で来た人。頻繁に事故を起こしたり怪我をするという。占断して住職がお話ししたのが冒頭の言葉。
私は不在で後から占を見せられたが、なるほど、これは今後も確実にやらかすわ。
得た卦は【※※は死ななきゃ治らない、ってヤツだね】。今までに得て記憶にある人は例外なく、己を修正できずに坂道を転げ落ちている。そのうち来なくなるので最後は知れない。易をやる者なら瞬時に身構える卦だが、他の卦も【事故るぞ】ばかりだ。口を酸っぱくしても、こういう得卦の人には馬の耳に念仏。
事故やケガが続く人は、そういう引き合いが憑いてしまっているので、事は大方悪化しやすい。お祓いなんて「そんな目に見えぬもの」な即物的思考人にはムダにしか思えぬかもだが、事故ったら、その出費はお祓いの数十倍以上じゃない?。オマケに健康そして命だって損ないかねない。己ばかりでない、他人様の人生を壊し、自分の家族の人生を壊す可能性もある。
災いは可能な限り、未然の先に除けようと努めるのが人として、いや、生き物として賢明な智慧ではないか?と思うのですけれどもね。取り返しがつかない時になって気づいたって遅いのに・・
まあ、お祓いを勧めてもやらない、のでしたら、それもまたその人の人生。
で、以前にあった人を思い出した。
蛇を踏んだ、猫をふんだ、と来た人。住職は車をお祓いしておけと言うも、その人はお祓いしない。そのうちに狸とぶつかった、物に行ってぶつけた、来る度に言うも、どうしてか絶対お祓いはしない。そして遂に、車と衝突。相手の人に詫びに行ったか?と聞くと「保険屋も自動車屋も行く必要ないって言うから」に住職は「アホか、大変なことになるぞ、謝りに行け」と言ったが・・
しばらくたって、やつれ顔で来たその人は「お金全部無くなりました、お祓いしてください」・・ぶつけた相手は、タチの悪い筋の人でおまけにクラシックカー、詫びにも行かずで相手は激怒、賠償金から慰謝料まで大変な金を払う羽目になった、との顛末。
忠告してきたのに、お祓いを軽んじ、ケチった挙句に全てを失った、こんな人もいます。
それでも、不可抗力じゃないことも良寛さんの言う【災難に逢う時節には災難に逢うがよく候、死ぬ時節には死ぬがよく候】と覚悟出来ている、のでしたら、お祓いをなめてかかって痛い目に遭ったり、救いなく転げ堕ちて終わるのもまた人生、かもですけれどもね。
大悲の雷震
久しくご無沙汰を失礼して手紙を書いていて、優しくもあり厳しい人でもあった、と想い出す、師僧のご母堂さま。
我が師僧は現代的な感覚をお持ちで、古い老僧的な御方ではないが、その御母堂様は折々にビシッとキビシさのある御人だった。
私が居た高野山の師僧寺は宿坊で、接客から配膳や掃除などの大概はご母堂の指示を仰いで教わるものだった。何度叱られ、諭されたことか。また、師僧寺は寺族と寺生を差別することは一切なかったので、毎日一緒に食事をいただきながら、私の知らぬ話をどれほど教えて頂いたことか。
そうして教わった一々は、今も戒めや常識として心得ているつもりなので、私が坊さんとしてある根っこの部分は、このご母堂様と同じ時間を共に過ごさせて頂いたお陰と思っている。とかく厳しく諭されたこと、というのは忘れないものだ。
と書きながら思ったのは、今の人達の【打たれ弱いこと】よ。些細なことに傷ついたのと大騒ぎし、かたや目を背けていられぬ大事には見て見ぬふりをする、のは教育現場に限らぬ今時の傾向らしいが・・理趣経に引き寄せれば【小瞋に過熱して大瞋を失う愚】とでも言うべきか。
こういう仕事のせいもあろうが個人的にはご機嫌を取るような真似はしない。寄せられるメッセージや尋ねに対しても、問われたことやその考え方に対しては、私個人意見として遠慮なく言う。考え方がズレているとかマナーがなっていない者には、その点も指摘する。
すると、怒ったり愚痴を連ねたり、一方的にLINEをブロックする者もいる。別に痛くもかゆくもないが。一方的にグチを書き、意見を訊ねながら己のブザマを指摘されるとキレる、ってのは人間が出来てなさ過ぎだろう。そこを省みて自戒とするなら、逆に己の未来の損を減らす契機ともなろうに。
キビシくされて傷ついた!とはメデタイ野郎だwと失笑している。仏教で現世利益をつかさどる明王がなぜ忿怒尊なのか、考えてみよ。
観音経にも【慈悲体の戒めは雷震のごとし】とあるではないか。お優しく見える十一面観音の後ろの顔は【暴悪大笑面】である。
キビシい経験を経るからこそ、進化し強くなり適応できるようになる、それが生物の生きるという事ではないか。かといって、山中鹿介のように【我に七難八苦を与え給え】とは決して願うことは無いが;純粋培養に慣れて保護ケースの中が当たり前となった日本人、本当にヤバいことには目をつぶり、生き抜く未来などあるのだろうか。
と、話が壮大になり過ぎた(;'∀')
今の歳となっては人からは住職に叱られる程度の私だが、仏さんや易神からはいつも叱られている気はする。やり方の悪さや見立ての甘さなど何がだよ⁉と、凹む事もしばしばもある。だが、めげずに向き合い続けていれば新たな扉は開かせてもらえるものだ。
今年もそういう意味でも厳しかったことは多々あった、が、年末は微笑みかけてもらうことが多分な気がする。叱られ試行錯誤し自分なりに一歩でも二歩でも進化している?ご褒美か。
生き物にとって、厳しさとはその者の未来の為に必要な事だと考える。叱られる内は花、でもあると思う。AIチャットみたいな対応や無視で応じられた時は、きっと、自分を見限られた時。それこそ恐れるべき事態だろう。
このご母堂さまは御年卒寿近くになられるが、今もお寺の仕事をされておられるらしい。ご健康を祈る。
出会う、と、出会えぬとの距離
急ぎ、鑑定の人。住職の占には、異様なほどに【ホトケの障り】の暗示ばかりが並ぶ。
先祖さん、粗末なことになっているんじゃない?と尋ねると、首をかしげてしばらくされて「あっ、そう言えば!」
それは、普通ではちょっとありえない扱いがあった話。そういう真似をする程なら、家を出たこの人には分からずとも、どういう状況があったかなど推して知れようというもの。
この人が急遽の鑑定を求められたのは、LINEキッカケ。
当山LINE登録者にサービスしているプレゼント護摩木。お申し込みを頂いて書き、添付用写真を撮るのだが・・何度撮ってもブレる。7~8回目でやっと撮り、やれやれと護摩を焚くと、今度はその人の護摩木だけ最後までくすぶる・・このサービス護摩木でこんな事態は初めて。
なので、祈願しましたよ、の通知に「こういう事があったので身辺一寸注意してほしい」と添えた所が、体調も良くなく鑑定してもらいたいと思っていた、とのことでご来山。
顧みるに、この方の護摩木に見えた異変は、この人の負ったタダではない程のホトケの重さだったのだと思う。たまたま、何の気なしに無料サービスで拙寺に縁を結ばれたことで、この人が負ってきた苦難の背景にある浮かばれぬホトケ達が、ソレを知らしめる機会を得たのだろう。
手相は良くても、酷な目に遭い続けてきた。原因が見えれば、対処の道筋は見えて来る。拙寺に縁を結ばねば、己の負っている障碍の大きさに気づくことも無かっただろう。この人はプレゼント護摩木1本で、人生の転機のキッカケを得たと思う。
ふと、想う言葉がある。【冒地の得難きに非ず、この法に遇うことの易からざるなり】大唐の恵果阿闍梨が弘法大師に話した金言。
【今や仏教は、悟りなど輪廻を繰り返した果ての理想というが、悟りを得るなど難しいことではない。悟りへの近道の方法を持つこの真言密教に出会うことの方が、容易ではないのだよ】と。
【この法に遇うことの易からざる】だ。【優れた縁に出会うか、出会えぬか】は、人生の分かれ道でもある。広告業では【知られていないのは存在しないのと同じ】らしいが、【勝縁】はたとえ隣にあっても、自ら出会いにいく事が無ければ、存在しないに等しい。難病でもスーパードクターに出会えれば治るも可能だ。落ちこぼれ状態でもスーパー講師に出会えれば難関校突破だって現実となる。善き縁に出会うことが如何に大切であるか。
こうして感じるのは、仏事や神事へますます遠ざかる現代人の危うさだ。まともな信仰をしてきた人なら普通にあろう「神仏や祖霊が発する微細なメッセージ」など、受け止めれなくなって当たり前だ。
危機を感じれず、不幸へ転がっていることに歯止めもかけられない。仏事にすら子供/孫を連れて行かぬ今時の人達は、その子たちから「自身を護る霊性を育む機会を奪っている」と思うべきだ。それの果てが、イカレた教義の新興宗教などに魅せられる。もっとも、ナムナム念仏唱えればコトが足りると思っている寺ではそれ以前の話だが。
正に【この法に遇うことの易からざる】である。出会えた人は幸いだ。先の御人は、困った占断ばかりの中【もう足元は崩壊寸前だが、今ならまだ間に合う】占を得た。その人の異常事態を示した拙寺に、すぐに対処に足を運ばれたゆえに、易もこういう救いを見せたのだろう。
ついでに弘法大師曰く【顕薬塵を払い、真言は庫を開く】・・密教以外の仏教は宝蔵の埃を払う教えであって、密教はその宝の庫を開く教えである、と。当山が鑑定を行なって指針を示し、祈祷や供養で道を切り開く祈りが出来るのは【遇うこと易からざる法】を奉じているからである。
当山にご縁があった人は【得難きを得る】も往々にある。ご縁はどうか活かされたい。