寺ブログ by副住職
出来すぎな転生⁉
6月15日はお大師さんの誕生日。
お母さんの玉依御前が、【天竺(インド)のお坊さんが懐に入る夢を見て】懐妊したと伝えます。
であるから生まれた時から【貴物とうともの】と呼ばれていたそうで。マジか~
聖者が生まれる時には、洋の東西を問わずに奇瑞がありますね~ 生まれてからも数々の奇瑞、伝説になってますね。
さてご存じの通り、海を渡った大師は大唐帝国の密教を率いる恵果和尚のお目に適い、
【汝を待つこと久し、来ること何ぞ遅かりつる、生期まさに終えなんとす、早く受けよ】
《汝をずっと待っていた、来るの遅すぎやで!ワシにはもう寿命がないんじゃ、早く我が教えを受けよ》
と告げられ、瞬く間にその全てを受け継ぐことになります。
※格調高い文章に触れて頂きたく、大師の原文を【】に記します。続く《》の、品の無い現代語訳は私訳;漢字は現代語。
そしてその年の12月、恵果和尚は大師に対し
【わずかに汝が来れるを見て、命の足らざらんことを恐る。今則ち法の在るとし有るを授く。経像の功も畢ぬ。早く郷国に帰り、以って国家に奉り天下に流布して蒼生の福を増せ。然れば即ち四海泰く、万人楽しまん、(中略) 汝は其れ行矣く之を東国に伝えよ、努めよ努めよ】
《汝が来て、我が余命が間に合うか心配したが、密教の全てを授けることが出来た。汝に持たせる経や仏像仏具も出来上がった。かくなる上はすぐに日本に帰り、この教えを朝廷に奉っては天下に広めて、衆生の福益を大いに増せ。されば天下は穏やかに、全ての民衆は生きるに喜び楽しみを得るであろう/ それ行け!早く日本に伝え、広めよ!》
と告げ、入滅してしまいます。
大師が出会ってからわずか半年。今やって来たばかりの異国の若僧に、己の死期を察しながら和尚自ら死力を振り絞って全てを託した思いは、一方ならぬものがあったでしょう。
それは恵果和尚の入滅の日、大師が蒙った以下の告げにも伺えます。
※境界(=三昧)の中に告げて、とありますが、入滅当日は泣き腫らしているに加えて寺内慌しく、瞑想や睡眠など不能かと思しきより【夢うつつに告げられた】と読むのが宜しきかと。
【汝未だ知らずや、我と汝と宿契の深きことを。多生の中に相い共に誓願して密蔵を弘演す。彼此代わるがわる師資となること只一両度のみに非ず。この故に汝が遠渉を勧めて我が深法を授く。受法云に畢ぬ。我が願いも足んぬ。汝は西土にて我が足を接す。我は東生して汝が室に入らん。久しく遅留すること莫れ。我、前に在って去なん、と】
《お前はまだ気づかぬか、私とお前には過去世の約束があることを。輪廻転生を繰り返す中で、互いに誓って密教を広めて来たのだ。お互いに師となり弟子となるのは今回限りではない。だからお前を遠き国まで引っ張って我が法を授けたのだ。法をお前に託し、我が願いは達成された。お前は唐に来て我が弟子となった。我は日本に生まれ変わってお前の弟子となろう。この地に留まっていてはならぬ。我は先に行っておるぞ》
いかにも不可思議な告げとは言え、我が事であるから公にするには大師も躊躇ったようです。しかし「最勝王経」の妙幢菩薩の夢見金鼓故事のように仏教は不可思議を認めているに引き寄せて、同門の人々に示そうと考えた、とあります。
ところで、この告げには壮大なプロローグがありました。
恵果和尚の師である不空三蔵(真言第6祖/大唐3代の国師と称された/日本の全宗派で唱える舎利礼文の作者)は、唐の代宗大暦9年6月15日に入滅しています。
※この時皇帝は喪に服す為3日政務を休んだという(◎o◎;)
ん・・この日は日本では宝亀5年6月15日⁉
そうです、不空三蔵の命日に大師が生まれているのです!
大師の誕生日を聞いた恵果和尚は、おそらく驚愕したに違いありません。オマケに、噂に違わぬ非凡なる才を備えている。この者は、わが師不空の生まれ変わりに違いない、と。
であるからこそ千人の弟子をさておいて、大師に【東国で密教を】託したのでしょう。恵果の慧眼に狂いはなく、大師は日本史上屈指の偉人となり、真言密教は日本においてこそ命脈を保っているのであります。この告げは、大師の夢うつつでは済まない真、でありました。
ついでに、不空三蔵は南インドの生まれ、と見られています。(中東生まれ説もあり/父は北インドのバラモン、母はソグド人と云々)
さて、大師懐妊の際、大師の母はどんな夢を見ましたっけ?
・・天竺(インド)のお坊さんが懐に入って来た、でしたね。そう、こんなところまで符合しているのです!なんとまあ~
仏教における輪廻や解脱の話を持ち出すと長くなるので止めますが、密教にいたってはこの【済世利人の仏法】を世に留め広める為、普賢行願の一術として、濁世の目指す所にあえて転生してくると言う次元まで、悟りが深化しているのであります。
袖触れ合うも他生の縁、という言葉があります。鑑みますと、同じ時代の環境に生まれてくると言うのは、知れずの共業に引き寄せられてくるものもありましょうし、一切は縁によって形作られるという観点からも、近しい関係に生じるとは前世で何らかの繋がりがあったのでしょうね。
ことに、存在の深み(魂)や神仏など「時空を超越した」絡みの縁とは、恵果-大師の「相誓願して」には到底及ばずとも、過去世に何かそういう縁があったと思うが自然でしょう。
さすれば、本日お参り頂いている皆さま方と私も、前世では何かしの縁がきっとあったのでしょうし、お大師さんはもとより、愛染さんや太元帥明王という珍しい仏さんとも今今に限らぬ、過去世でも多分出会っているのだろう、と思います。
だからどうこう、ではないのですけれど(^^;それはそれで終わり。ただ、そういう知り得ぬ不思議な縁もある、という事。ソレを知った風に言う奴とかソウルメイトだのと言うのは大体、イカレた向きですけど(笑
でも、目の前の仏縁が前世でも出会っている神仏ならば、自身に秘められている仏神とのパイプは他の人以上に大きいはずです。
ご縁があることに感謝し、足を運ばれてその縁を祈られますなら、貴方と仏を繋ぐパイプはより強く太く、そしてそれ自体が己自身を救い得る柱にまでなるでしょう。
また、【この故に汝が遠渉を勧めて我が深法を授く】この言葉を受けて大師はこう記しています。
【進退我が能くする所にあらず】
《唐に来たのも帰るのも、私の意思に似て私の意思ではなく、恵果和尚の計らいに過ぎなかったのだ》と。我を引き寄せ引き戻すは、大いなる力によるものだったのだ、と。
仏縁とは、そういう一面もあるものなのでしょう。現に、太元帥明王に関しては非常にソレを感じる所が多分にございました。
お参りされます時は、願いも結構ですけれども、自身の持っている仏縁もお考えされて、ヒョっとしたら前世から頂いてる縁かも、私がじゃなく、仏さんが私を引っ張り寄せた縁かも、と思案もされてみて、お大師さん仏さんとのパイプを太く、生死を超えた支えとまで大きくしていただきたいなと思います。
※6月11日別院法話の整理掲載
恵果和尚の臨終に、大師の原文を載せました(私の駄訳は不要だったかも;)。格調高き文筆を味わって頂きたいに加えて、今際まで己が使命と後世の為に死力を尽くした「恵果和尚」の生き姿に、老いてなお案じるは目先のみとか後生すら考えぬ今時の老いの様を憂い、読まれる縁があった人には生き様への一刺激となれば、と記しました。