google-site-verification: google03647e12badb45de.html あなたの知らない、月とスッポン - 遍照院 へんじょういん  お護摩と占い鑑定【公式】

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お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

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2023-06-20 21:10:00

あなたの知らない、月とスッポン

難病になって口を開けば「死にたい」とばかり言っていた子供が、供養してからそう言わなくなったんですよ!と御礼参りの人。

 

鑑定時に「お宅に水死のホトケあるね?」と住職が尋ねると、お祖父さんがそうだと。山から材木を切り出し川で運搬する仕事中に堕ちて、とのお話。この人の鎮めがなってないのがまず問題だね、と当山で供養されました。

 

供養法要の後、お話をさせてもらっていると施主さん、唐突にこんな話を「私、小さい時からいっつも同じ変な夢見るんですよ。水の中で泣いている竜とか、切株のところに一杯ローソクが立っているとか、寂しい夢ばかりで、なんでこんな夢みるんでしょうか?」

 

って今、供養したお祖父さんの死に様そのままじゃないですか!と言うと、そこで本人も初めて気づかれてビックリされて。亡くなって数十年、浮かばれずに孫である施主さんに見せ続けてきていた、のでした。

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この施主さんも勿論菩提寺があり、葬式から供養も滞りなくされているはず、でした。しかし、数十年経っても鎮まらぬホトケがあるという事態。

 

それが鎮まらずに障りになっていたことは、当山で供養されて障りが治まった、というのが証拠です。

 

菩提寺の供養と、当山の供養、何が違うんでしょうね。

 

それは、その祈りの作法=供養の法が亡者に届くものであるかどうか、です。

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わが真言宗には「水死者の供養作法」というものがあります。水死者と言うのは末期の苦しみ甚だしく、得脱は容易ではないとして、ある特殊な作法も用いるのです。

 

 ※沿岸部に行って来てから調子が変とか不審事に遭遇など、12年経って未だにあるのも無理ない話・・

 

思いますに、仏教では煩悩や苦悩や業や障りを病に例えます。それに準じますなら、人の数だけ病は異なりますし、同じ人にいくつもの病を抱えているのもごくある事でしょう。

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では、それら病を治すに一種の薬で全ての病に通じますか?

 

風邪やスリ傷程度の人から手術が要る人まで、同じ治療法で済みますか?

 

様々な病気を抱えているけど、一人の個体だから一つの薬で治りますか?

 

んなわけないわww、と失笑しますわな。

 

 

で、どんな人でも「念仏/題目だけ唱えてりゃ浮かばれる」と思ってるアナタ。

 

人間の差異/病の差異を考えもせずに一つで用足りる、というのは、今あなたが失笑した「一種の薬で全ての病はOK」と同じ思考ですよ(笑

 

 

仏教は八万四千の法門といいます。人それぞれ志向も負ったもの苦しみも異なっているのですから。真言密教は数多の障りの有り様に向き合ってきた教えですから、対峙するに様々な仏があり法があり、種々の陀羅尼がある。1種で足りるなど非現実な事は言わない。

 

ですから当山では、特別な供養には、この亡者には何が必要なのか/何が適切なのかを占断して、様々な加持法や陀羅尼を組み込んだ供養法で鎮めを行ないます。でなければ、ならないのです

 

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それは、経を読んで念仏するだけの供養なら、菩提寺でずっとされて来た

 

それでも障るというのは、菩提寺で積んできたはずの、経を読んで念仏するだけの供養など全く役に立っていない、という証

 

同じような供養を繰り返したってムダ、って話です。

 

その故人に特化した「薬と手術」を施さねばならぬのです。それが真の供養というもの。

 

 

私が教えを受けたある僧正さまは「供養とは、言うなれば死者の祈祷であるから、祈祷の出来ぬ坊主に供養など出来るわけがない」と申されました。

 

しかし、世間の認識は全く違いますね。「仏教など、どこも皆同じ」と思っている歴史や由緒があるのが有り難いと思っている。そんなのが目の前の問題解決に何の役に立つ?念仏や題目唱えればどんな死者も救われると思ってる・・てかそれで済むなら、自分でやったらいい。寺も坊主も仏教も不要でしょ? 内科医が出す薬とおなじ市販薬で骨折も痴呆も癌も心臓病も皮膚病もお産もみんなOK、と言うようにね。

 

 

普通に考えればオカシイ有りさま・・お気づきされたでしょうか。

 

医者だってピンキリなように、寺だって坊さんだって用いる法だって、ピンキリなのです。

 

不可能を可能にするスーパードクターも居れば、治らずひたすら通わせるとか診立て違いで死なせるヤブ医者もいる

患者と向き合いベストを計算する医者も居れば、患者をお金としか見ていない医者もいる

最先端技術を導入している病院もあれば古びたお決まり処置だけな病院もある

看板や歴史など、そこの腕とは関係ない話

 

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寺だって同じです。傍目は同じことのようにしか見えないかもしれませんが、

中身や質は【月とスッポン】。

 

病院や老健施設の占断をしていますと、【どこを選ぶか?】は本当に深刻な選択だ、と感じさせられる事が多々あります。ここはマズいよ、と申し上げた所に行って、悪化したり亡くなったりした事例も見てますから。寺だって同じこと。

 

檀家制という半強制な縛りがありますので、日本人多くが仏教に関しては【井の中の蛙】。止む無きでもあります。ですが、外の世界や他の選択肢を知らぬというのは、多大なる損失です。祈りに関して言えば、ご自身そして先祖そして家族にとっても不幸でしかない。幸せに死ねる人ばかりではないのですから。ついでに、難病には先祖が関連していることが多いですが、対処にすらその供養を想う人は少ないですね。愚。

 

貴方のそのお寺のその拝みは、本当に先祖を救っているのでしょうか。それは貴方自身も救われているのでしょうか。ましてや障りを認識しながら「拝んでます/供養してます」など笑止千万

 

医者は選ぶべきモノ。寺だって同じです。

先祖もろとも井の中で「腐ったカエル」のまま朽ち果ててしまわぬように。

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上述の施主さんは「秋頃になったら余裕が出来ると思うので、その頃にまた別のホトケさんの供養をお願いしたいと思います」と。こういう気持ちがある人には、先祖さん方もなんとかしてあげよう!と思うに違いありません。

井の中から抜け出して先祖ともに救われた人のお話を紹介しました。