お知らせ
- 2025-05(5)
- 2025-04(2)
- 2025-03(3)
- 2025-02(4)
- 2025-01(5)
- 2024-12(6)
- 2024-11(2)
- 2024-10(2)
- 2024-09(3)
- 2024-08(3)
- 2024-07(4)
- 2024-06(2)
- 2024-05(3)
- 2024-04(4)
- 2024-03(5)
- 2024-02(5)
- 2024-01(5)
- 2023-12(4)
- 2023-11(1)
- 2023-10(2)
- 2023-09(6)
- 2023-08(5)
- 2023-07(4)
- 2023-06(5)
- 2023-05(4)
- 2023-04(3)
- 2023-03(4)
- 2023-02(2)
- 2023-01(7)
- 2022-12(3)
- 2022-11(4)
- 2022-10(1)
- 2022-09(9)
- 2022-08(6)
- 2022-07(4)
- 2022-04(1)
- 2022-03(4)
- 2022-02(5)
- 2022-01(7)
- 2021-12(7)
- 2021-11(1)
- 2021-10(3)
- 2021-09(1)
- 2021-08(3)
- 2021-05(1)
- 2021-03(1)
- 2021-02(1)
- 2021-01(4)
- 2020-12(1)
- 2020-09(4)
- 2020-08(3)
- 2020-07(1)
- 2020-06(1)
- 2020-05(2)
- 2020-04(5)
- 2020-03(3)
- 2020-02(4)
- 2020-01(7)
- 2019-12(4)
- 2019-11(2)
- 2019-10(5)
- 2019-09(5)
- 2019-08(7)
- 2019-07(5)
- 2019-06(1)
知らずに積まれる功徳♪

大般若理趣分経、匿名様からご奉納を頂きました!ありがとうございます!
参拝の方にはお加持に用いておりますのでお馴染みのお経本。ですが、長年の使用にボロボロヨレヨレ・・
買い替えるにも、職人不足&金高騰とかで以前の倍の価格( ;∀;) 中の傷みは修理不能とのことで表紙だけ付け替えましたが、金額デカいし限界近いな~と寺報に書きましたところ、
匿名様から「奉納させて欲しい」とのお申し出が!当山では仏具も衣も常に自前購入、寄進したいと申される殊勝な人など稀であり、感謝に堪えませんm(__)m
新旧こうやって並べてみると、如何に拝み込んで来たかがクッキリ(^^;
16~17年ほど用いたかな。日々の護摩行にも転読し、お加持した人は延べ数千人か数万人か⁉ 理趣分さまお疲れ様でした~有り難う、です。
これからはピカピカの理趣分経で、皆様のご祈祷を行なってまいります>▽<ノ
経本には奉納された匿名様のご芳名を記し、末永く使わせて頂きます。
ふと、思い出した言葉があります。
「道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし」
天台宗の開祖、最澄上人の言葉です。生活や俗事を優先しながらの求道などありえない、行者なら求道を専らとせよ、さればそこに生活の糧も得られよう、という意でしょう。祈りに関わる以外の収入で食おうなど考えたら、坊さんとしてはアウトや、と。
私(副住職)も似たような言葉を言われまして。某大僧正さまから「祈祷寺は二足の草鞋じゃ務まらんぞ」と。それで教員兼業は諦めて行者一本で今に至る訳ですが・・でも祈祷寺なんて葬式寺の数十分の一の収入しかないのですけど;ま、余裕はないながらも、祈り込んで来ただけの験と深みは見せて与えて貰っていますので、まあ良し(^^;
で、この理趣分経は毎日の護摩祈祷にも転読してますし、信徒さんのご祈祷にも用います。
つまり、ご祈祷の度に、ご寄進された匿名様の功徳にもなるわけです。たとえ他者の祈願であっても。
匿名様は「いつもお世話になっている御礼で」との、報恩の思いだけで奉納されました。我欲など毛頭無い。
正に「道心」の思いだけで寄進された功徳は、ご本人は図らずとも「衣食=俗事=ご利益」にも繋がるものである、ということ。ましてや、日々の祈祷に用いる法具ですから、耳にする他寺で年に一度しか着ない百万の御衣寄付よりも生む功徳は大きいに違いありません。
己の願いが叶っても御礼参りすらしない人も多いですが、「道心の中に衣食あり」我欲に終始しない祈りを為す人は、本人が知らぬ所からも救いが巡らされるものだ、と知っておかれるとご自身を更に利すると思いますヨ。