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新年祈祷のご案内!

来たる新年の除災と繁栄を祈祷する
【新年大祈祷】
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本年の年頭に申しましたように、2023→2024→に続く【時代の大転換期】の仕上げとなるのが、来たる2025年です。
見え難い時流の荒波を切り裂いて、進取の知恵と好機を掴むことが出来るように、悪しき旧態や障礙を断つことが出来るように、一年の計にどなたさまも【波切不動尊の大護摩】に、加護とお力添えをぜひ、お求めください!
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正三ケ日新年大祈祷祭
御札祈願のお申し込み、承り中です。締切は12月27日。
☆祈祷種別
・護摩祈祷/1万円/御札1尺5寸(約45cm)※画像右 祈願意2つ・家内安全/交通安全 等
・大護摩祈祷/2万円/御札2尺(約60cm)※画像左 祈願意4つ・上記+厄難消滅/営業繁盛 等
・特別祈祷
・太元堂 後七日祈祷(増益祈祷につき、花巻の新年祈祷申し込み者限定)
※祈願意は変更可 ※御札サイズは小さく変更可 ※御札は郵送可(送料別)
☆お申し込み希望者には、詳しい案内状を送付します(12月15日終了)。祈祷お申し込みや案内状請求はこちらのフォームからどうぞ。
※新年祈祷は、お申し込み毎に御札を奉製して、12月21日から正月3日の新年大祭まで連日、祈祷を重ねます。※御札のお渡しは1月3日以降です。
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【御守】
新年の御守/歳神は、12月上旬より祈祷を行ない、21日納め大師より授与を開始します。
webに掲載していない御守もございます。お参りにてご覧ください。
転禍為福の術、

【転禍為福の術、この尊を崇むるにあり、】
真言行者なら必ずとなえた経験があり、不動信者さんにはお馴染みのこの文言は、不動明王の表白に出てきます。
禍(わざわい)を転じて福となす、この言葉を嫌いな人はいないでしょう。
ですが現実は、そうするように行動できる人というのは、そう多くない気がします。
災いがあっても、そのまんま。
出くわした災いは放っておけない、何かしの手を打たねばッ!と考えないのか、考えても行動まではしないのか・・
楽しく思うがままに生きたいとは誰しも願うところですが、人の生き様の現実は思うようにならないばかりか、望まずとも不穏な目には遭う。痛い、辛い、苦しい、悲しい思いをする。そこは誰一人、例外なしに。
お釈迦さまが喝破した、生きるということは苦=不如意で溢れている、とはある意味、苦に苛まれるのが生きるのと不可分な常識=それは人間にとって普通なこと、なのでしょうね。
でも、その苦しみ災いを、ステップアップの糧/レベルアップの起爆剤へと変える事が出来るのも、人です。いや、災いがあるからこそ生物は進化を遂げてきた、のはご存じの通り。
あの困難があったから今がある、あの地獄を乗り越えたから飛躍した、と思える経験は、誰にでもお有りのはず。失敗は成功の父、なんても言いますね。辛酸を舐めずに新たな人生のステージを得た人など、いないはず。
苦しみもがくのは普通のこと。それを如何に転換するか、そこが肝心。
災いはそのままにしたら、ただの苦しみで終わり。人生の辛かった記憶で終わってしまいます。何の価値も無い。
でも、そこに留まらずに何らかの形に展開して、少しでもプラスを得ることが出来たなら、それは正に「災いを福の種にできた」ことになる。
そこには、思考の割きりの良さと行動力が要りますね。勇気がいることでもありますが、転換をやった人だけが「福の種を得る/新展開へのチケットを得る」。
そして自己努力ではどうにもならない点は、お不動さんに頼んだらいい。
【禍を転じて福となすの術、この尊を崇むるにあり】と古来、言い伝えているのですから。
それはまた、不動明王を信仰する人は【禍を転じて福となす】の気概を持たねばならないこと。
不動尊信者は義務として、何としても【災いは転じて昇華しなければならない】、災いを災いで終わらせてはならない、と思うのです。そこは少しでもプラスに出来たならいい、成功。
【 艱難、汝を玉にす】とは、その気概があってこそ、のもの!黙っていて、そうなるもんじゃない。それどころか、災いが次の災いを引き寄せることだって往々にある。
不動尊は「行者の守護神」というのがもともとの性格です。泣いてメソメソして終わりの愚などに用は無い。
弘法大師曰く、もろもろの事は【愚に於いては毒となり、智においては薬となる】。
この苦しみ、何としても福に変えたる!と努め励む者には背中を押してくださる、それが「この尊を崇むるにあり」です。
今年も早、残り2か月となってしまいました。時間が過ぎるのはあっという間。「このままでは終わらない!終わらせない!」気概で、限られている時間を自身にプラス転換しましょう>o<ノ
※図ったわけではないのですが、先月はやたらとこの話をさせてもらう事案の方々が多かったので、ここにも述べておきますね。
ネットに書くぞ!→どうぞww

ブログにかと思いましたが、お知らせに!
お参りはちょっと時間が取れない、と申し上げた夫婦。アポなし急に来て、ホトケにお花を上げてくれ、と。
それを受け取り、お参りされる気持ちがお有りなら、盆やお彼岸にご供養されてはいかがですか、とお話しした。
「供養は三年前にしてもらってます!」と返って来た。それは承知している。この人は以前「供養など一回やればいいって(誰かに)言われた」発言があったので、「では、供養の意味をご存じですか」と聞いた。
知りません!と言う。そこで「供養とは養いのもとを与えること、盆彼岸なら一万円で供養できますから、ホトケさんへのお気持ちがあるならただお参りだけじゃなく、一年に一度、そういう丁寧なお参りの仕方もいいと思いますよ」と話した。
すると「金もって来なきゃダメってか!、ネットに書くぞ!」とダンナ発言。
金持って来いなんて言ってませんでしょ?お参りする気持ちがおありなら、供養を考えられてもどうですか、と提案しただけでしょ?
ネットに書くぞ!→どうぞ、と返す。すると「人を馬鹿にした態度をとりやがって!」と。
ご供養の提案に、供養は一度やれば完了というモノではない、コトをお伝えしたく、では供養とはどういう意味で言ってるのか、尋ねただけでしょう。
「供養はする気はありません!」という。それでしたら結構です、で終わり。
も、「お参りだけなのに時間がとれないって!」に「用事が立て込んでいるから仕方ない」と伝え、
「お寺を運営しなきゃないから、タダのお参りの方よりも寺の収入になる方の方を優先させていただくことになる、先の参拝予約をとってもそういう予約が入れば、お参りだけの方は遠慮してもらうことになるので、足をお運び頂いてもご迷惑をおかけすることになるから」とお話ししたが。
きっと歪曲されて書かれると知りながらあえてこんな言い方をしたわけは、 賢明な信徒さんにはお察し頂けるでしょう。
「金持って来いってことか!」「バカにされて傷ついた!」「謝る気もねえのか!謝れ!」
あとは何を言ってもこの繰り返し・・住職が出てきて話すも、私(副住職)を指さして「この人を何とかしてください!」だと。
「マウントな態度で傷ついたのに、謝る気もねえのか!エライ仕事やってんなら人を傷つけて謝るのは常識だとわかってんだろ!」に「何も傷つけるような話をしてないでしょ」と返すと、「こっちが不快な思いをしたんだから傷つけたことだ!」なんだと。
夫婦そろってどんなに怒鳴り散らしても、私が平然としている事に怒り心頭だったのでしょう。
忙しい時にもう埒が明かないので、「それは失礼しました、申し訳ないですね」と返した。
まだグチグチあったが、ドアを叩きつけるようにバタン!と閉めてお帰りになった。
これが「ネットに書くぞ!」の顛末の実際。玄関先は常時録画してますから。
カスハラが社会問題になって久しいですが、こういう言いがかりの難点を思い知りましたね。
「供養という方法もいいのでは」としか言ってないのに「金持ってこないとダメだと言った」とか、
「お供えある人優先だがら、お参りだけの方はキャンセルお願いして迷惑をおかけすることがある」を「金もってこないのは来るなってことか」と、
言ってもいない事を、自分有利の嘘に替えて主張する。寺だから金の事ばかりと言えば、ダメージでかいだろ、ってイメージ作戦がミエミエ。
「供養はしてもらった」から十分、との考えに、供養とは一度やれば終わりというモノではない、コトをお伝えしようと話をしただけなのに、「バカにしやがった、マウント取りやがって、エラそうな態度はなんだ!」と、言葉尻だけをとらえて自分は可哀そう、傷ついた;と勝手にブチ切れる。舌打ちしたのって、こんなのに付き合わされたら誰でもそうなるわ。
以前に「口コミなんか信用しない、する人間がバカ」と記しましたが、文句を書き込む人など自分のことは棚に上げ、事実を捻じ曲げて書く。
現場では己がどれ程の悪態をつき、言いがかりをつけたか、など無かったかのように、ひたすら自分は被害者だと。鬼のような形相は他ならぬアナタ方であったろうに。門前払い?アポなしで来て騒いで「じゃあ、上がってください」と当方が言ったのを「もう結構です!」と拒否したどの口が言ってるの?
ついでに、これも昔から話しているが「私は傷ついた!」と声高に言う人間など、信用しない。
こういう人は往々に、自分が人を傷つけることには平気だから。
忙しい時に、玄関先で夫婦そろって何分も暴言を怒鳴り散らし、喋ってない発言を捏造しあげつらい「ネットに書くぞ!」「謝れ!」挙句に口コミ投稿。
まさしく、>こういう人は往々に、自分が人を傷つけることには平気、でしょ?
「アルソックの通報ボタン押したらいいのかと思った~」との住職言が、この一部始終の全てです。
ついでに、「ネットに書くぞ!」「謝れ!」と言われましたがこの言いは、今問題になってる典型的な脅迫カスハラ発言ですよね?
対応した時間もこれ書くのも、忙しい時にムダ時間だが、口コミにも上述を返信したし記事ネタになったと思えばよし、か。
それはそうと、医師団によるgoogleの口コミ集団訴訟、勝って欲しいですわ。本名を名乗らずに悪意歪曲を書き散らかせるなど不公平の極みですから。
追記 かの口コミへすぐ返信するも反映されず、googleに問い合わせても「待ってみてください」と。嘘偽りはすぐ掲載しても反論はコレ。googleポリシーって何なんでしょうね(# ゚Д゚)