寺ブログ by副住職
恩に報いずどころか⁉
その内容は『寺を追い出された/住職と総代らが突然来て荷物をまとめていつまでに出ていけと迫り、寺の役員から勝手に解任され、今後お前はこの寺と縁はない、檀家が葬儀にお前を所望した場合だけ、客僧(他の僧侶)として呼んでやる、と言われた/檀家や寺の縁者には、自分を誹謗中傷する嘘八百の文書が撒かれたようだ』との旨。
どうしてそんなことに?住職退任のお話に不安と寂しさを申し上げたのが思い出されます、と返信すると「今、あの時に貴方から頂いたメールを読み返しておりました、私の見る目がなかった、と言うしかないです」と返って来た。
この老僧、4年前に住職を譲って今は名誉住職。その後継に指名したのが赤の他人。大学の講師とか何とかで老僧は存じていたらしいが。
その時に、たしかお子さんがいたはずだが、なぜ寺に関係ない他人を?〇〇寺さんが遠くなる思いです、という旨をメールしていた。
それには、後継は確かな人ですから大丈夫ですよ、私も引き続き奥に居りますから気兼ねなく、とのお返事だったが、この顛末。
しばらくして、周囲に撒かれていたらしい、老僧を誹謗中傷する文面が添付されて来た。
あまりにヒドい、絶句する内容。老僧曰く、事実無根、歪曲、捏造のオンパレードだと。その文面を私はじめ関係各位に見せて来たということは、まったく中傷でしかない証しだろう。
それにしても、名誉住職など隠居身分で寺の一役員に過ぎず、運営采配など出来ない。おまけに身体障害も抱えておられる。何が出来るわけではない立場なのは一目瞭然。
何よりも、今の住職にとっては「縁のない歴史由緒ある名刹の住職に引き立ててくれた」という、何にも代えがたい大恩ある相手だ。どうすれば、そんな惨い仕打ちが出来るのか?サイコパスか?
法人規則に違反する手続きがなされた、とのことで、裁判所ならびに本山に訴えられてはどうか、とお話しした。他の方々からもそのように勧められているので検討しているが、とも後ほど、訴えることはしないと結論した、とのメッセージ。
この老僧の先代さまに、私は大変お世話になった。この方に出会っていなければ、教師兼業で坊さんをしていたはずで、仏道行の深みなど体験することもなかっただろう。
この老僧にではないが〇〇寺にはそういうご恩があるので、こうお困りになられている時に何か出来ることがあれば、恩返し出来るならば、と考えた。
いうても、遥か東北にある田舎の骨山の若僧ごときがやれるとすれば、悪意よって寺を追われた老僧がいる、とネットに書いてご縁ある些かの方々に知ってもらう程度か・・その点、老僧はすでにフェイスブックで2000名以上のオトモダチがある様なのでやる気なら、メールで寄こした内容を晒してUPしたなら、位も高僧で本山布教師でもあるし、その影響力は私が案じる比でないはず。
だが、フェイスブックにもその事実は書いてないようだし、訴えない、とされたなら、外部の人間として何もしてあげられることはない。
であるがそれからこの老僧は、宗団機関誌に立て続けに投稿をされるようになった。
「恩に報いぬ者は人に非ず」「虚言癖の人間がいる」「報恩の心を持ちましょう」・・おそらく今まで20回以上は投稿されていると思うが、その内容はこの3点の繰り返しだ。
しかし、どういう文脈で言っているのか、には一切言及されない。私のように事情を知っている人達なら譲った住職への当てつけね、と分かるが、知らない大勢の方々には、何を執拗に言っているのだろう?と思うに違いない。
も、これほど寄稿を繰り返してもまだ腹の虫が治まらなかったと見えて、先日の寄稿にはこう記述が・・
『恩を仇で返すは指弾されるべき/人の道に外れた言動/飼い犬に手を噛まれる/報恩は当たり前、亡恩は仏教徒に非ず/~は〇〇寺の法灯を継ぐ者で行じられる/(ご自身)に渡る〇〇寺の法灯は/嘘やごまかしは人として忌避されるべき/名刹とは長年の~住職の努力で得られた/(曾祖父)から(自身)3代百年の/是非を悔い改めて、』etc・・
今回も大半の読者にとっては、また同じこと言ってるねえ~何がどうしたのよ?だろう。
いっそ、ご自身が蒙った事実を、どれほどの誹謗中傷悪意がなされて寺を追われたか、そのままブチまけたらいいのに、と思う。
何を言われようと、事実を言うだけなのだから。もはや失うものもないお立場でもある。虚言を罷らせながら遠まわしの言いでは、今後も寄稿を繰り返したところで、はらわたの煮えくり返りは治まらないのでは。
これまでのメールで、現住職はこれまで〇市から通っていた、と。便の不便な町の山上の寺だ、その市からは少なくとも1時間以上かかるはず・・また独自の修験組織をも持っていたほどなのに、これで真っ当な勤めなど出来ていたのだろうか・・?
ともあれ、このお寺様とは私も縁が切れたことになる。先代さんが亡くなって1~2年後にお参りした際に「(先代)の弟子だと盛んに名乗る者は沢山いたが、死んでしまえば拝みにも来もしませんわ」とぼやかれていたのを思い出すが、この老僧は先代さんとのお墓にも入れなくなってしまったのか・・・どうしてこんな事に。
先代の葬儀時にとある状況があった、と修行友人から聞いた。まさか~と言ったが本当だ、と。それがひょっとして?と勝手に想ったり。
言いたいことをぼやかしては何度寄稿しようとも、ご自身スッキリされないに違いない。もうお歳もお歳なのに、と案じるが・・
なぜ今頃になって、こんな記事を書いたのか。
先日の寄稿が、ここにきてブリ返しか全然治まっていないなァ、が窺える文面であったのと、今月来たメール。
(メールで配信した文章を勝手に)『私の文章として雑誌に投稿したり、適当に組み合わせて私の文章として雑誌に発表するのはお止めください/某雑誌に私の署名入りの文章が掲載されてると知り、違和感を禁じえない/正直、怒りの気持ち、そんなことまでして記事がほしいのか』と・・
⁉・・こんな狼藉を平気でする人間がいることに驚いた。悪意の嫌がらせを蒙るのは当山も幾度も経験はあるが、またしてもあり得ない様な目に合わされる老僧はお気の毒だ・・
老僧からのメールは、知己の人だけが対象だろう。私は「メルアド教えて」と言われてお教えしたので。
言うなれば、信の置ける人達だけのはずが、こういう常軌を逸した行為を平然とする人間がその中にもいた、と。
人間の質がおかしくなってきているのは、この記事をお読みの皆さまもきっとお感じと思うが・・
いや、大半は常識人なのだと思う。だがそれは、サイレントマジョリティだ。こんな閉塞世情なのに先の選挙投票率54%がそれを言う。まあ、選択肢の無さと諦めはわかるが。
しかし「言った者勝ち」の頭オカシイ世の中だから、虚言や悪意の輩も跋扈する。それを煽って騒ぐのもホントは少数に過ぎない。イカレた少数を目立たせてさも騒ぎに思わせるのはマスコミの罪であり、もの言わぬ大多数の常識人たちの罪ですらあろう。
マトモなほとんどが沈黙者であることをイイことに撒かれる嘘や悪意めいた情報の氾濫、皆疑ってかかるしかない。
そしてマトモな人こそは、声を上げていかねばなるまい。声を上げなかった報いは、その身に返るのだ。
私達一人一人が賢明になる、賢明であるように意識するしかない時代になった、と哀しく思う。
そして、義理は大切にとしてきたが《お互いさま》の気持ちすら無い者にまで心するなんてバカみたい、と思えるこの頃・・