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お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

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2025-04-30 23:58:00

我(が)に覆弊せらる典型

節分星祭に焼け残った護摩木。あれほどの火炎の中にあって願主名はハッキリ読み取れる状態。その願主には気を付けて、と連絡をして、次の日のお護摩で焚き上げ。

 

も半分焼けているのに、バチバチと凄まじい音を出してすんなり燃えない・・その願主さんに再連絡すると、へこみましたがクヨクヨせずに気を付けます、との先の返信から転じて、実は気がかりがあるので伺います、とお出でになられた。

 

その話を聞いて驚くというか呆れるというか、、仕事帰りに何かついてくる音が続いていた、から、元日に菩提寺の御札がお墓でうっかり燃えてしまった、それは塩をかけてゴミに捨てた、当山の御歳神を画鋲で貼っていた(←コレだけでもアウト)が知らずに落ちていた云々・・どおりで、過日はこの人だけ鳴り釜が止まったワケだ。

 

あからさまに不審な出来事がそれ程続いている、それをどうして何かがオカシイ危ないかも、と感じられないのだろう?御札が焼けただけでも警戒事態なのに、尋ねもせずをゴミに捨てるとは、どういう感覚なのだろう?不思議でならない。 question_head_gakuzen_boy.png

住職によると先代の時代に、この方のお祖母さんはとても信仰心の厚い方で、当山に頻繁にお参りされていたという。だが、このお祖母さんの供養を当山でお受けした記憶はない。

 

何年なります?に、昨年33回忌をされたとのお話・・年忌が終わったばかりにこんな不祥が相次ぐとは、異常だと思いませんか、と話した。

 

お寺で年忌は拝んで来ました、それは結構である。が、信仰というのは生死を貫くものであるから、信心の厚かった人ほど、供養も生前に信仰を寄せた所でかつ手厚いものとしなければ届き難い。当山での祈祷供養にお参りをされていた人なら、ナムナム程度の一寸読経しただけの供養などに納得できないのは自明だろう。 enmadaiou.png

ホトケを喜ばす年忌という宴の後にこんなだとは、お祖母さんの意を汲んでないこともあるかもね、である。

 

後日、別案件でご相談になられたが、あからさまに相手は貴方をハメようとしてるよね?だった。こんなに不祥が多発しているのに、ウマい話などあるわけがない、そんな典型。

 

霊的にそんなメチャクチャ状態、それでも当山に参拝に来たからお不動さんは鳴り護摩で警鐘し、星供で再度警鐘した。自省すべき事があろう、危いぞ、と。「へこみましたがクヨクヨせずに気を付けます」、そんなもんでは済まされない状況だろう、と。

 

もっとも、祈祷供養には布施が要ることだから、やるやらぬは当人任せ。ご依頼されない以上は出来ることは無い。

 

それにつけても、何かしの予兆とか不審がせっかく示されていてもソレを軽んじて何もせず、トラブった後に「実は・・」という人の未だに多いことよ。
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信徒さんには、仏事で不明があったら分かる範囲でお教えするから聞いてくれ、と言ってるのに、尋ねもせずに非礼失態をやらかしていたり・・何かオカシイとか思ったらご相談ください、早いほど解決も軽くなるのですからと言っているのに、深刻な事態になってから「実は以前から、」と慌てふためいたり・・

 

お参りされながらそういう人もあるってのは、何度も話してるのに通じてないな~と哀しい。聞いても読んでも、自分の事として考えられないなら、いくら話そうと書こうと私の独りよがりか~LINEにUPしてる占いも、作るのバカくさくなるわ(*´□)

 

 

孤独死したご兄弟の葬式はしたが「これは遍照院で拝んでもらわないとダメだ」とご依頼の方、こちらも都合があるから待ってくれ、とそのうちにやってもらうことを伝えて、お待たせしたが供養。何度か相談にお出でになられあまりに顔色が悪い状態続きだったが、供養日には別人みたいに顔色も良く、法会自体もしばらく無い位の善き供養となった。伝えた対処は皆された後で、タイミングも適切だった。

 

かねてより、この方は「拝んでもらった方がいいのでしょうか」などと祈る選択を問うようなゲスな真似はされない。お不動さんに助けてもらわなきゃ、それだけ。状況を聞くに容易にいかぬ供養と身構えたが、始めから純真に仏頼みの施主さんには、仏さんもホトケさんも障りなくお受け止めくださったようだ。 hotoke_fudou_myouou.png

何かの予兆とか不審感など、程度差はあれ人の本能としても備わっているようだし、信仰されている人には神仏が教えることもある。どう受け止めるかは勝手だが、折角のソレを身勝手な我欲で図って扱うなら、純真に受け止めて対処した人とは、障りも損益も結果も違うのは当たり前だ。

 

まず息災あってこその増益で敬愛でしょ?とも言ってきたが・・変調や不吉が起きているのにヤバいと感じられないとか、認めたくない疑いたくないのなら、どうしようもないが・・弘法大師曰く「昇墜は他の意に非ず、衰栄は我が是非なり」。

 

当山にご信仰されている方には、幾度となく話している「転ばぬ先の杖」まで含んでの加護であられたいが・・素直とは簡単なようで難儀ですな。