寺ブログ by副住職
ホトケの許されざるって⁉
お墓に建てる塔婆や合同法要での塔婆は真言宗の定型で作りますが、個別供養の塔婆には、そのホトケに適切な偈文や陀羅尼ほかを占筮して用いています。
先日の供養にもそのように占筮したのですが、「それは可」という占を全く得ない・・不可ばっかり。
「適」という卦をなかなか得ず、塔婆書き前に占筮で疲れてしまうホトケは偶にありますが・・三十分占っても否定オンリーはちょっと無い。
もう定型でいいや~と諦めかけて、それじゃ鎮まんないかァ;と、祈祷方面でも占ってみると、遂に「最適解でしょ!」と易神(^▽^;)
方向を変えても占じても「これで行け!」良かった~
この「正解」は〇〇〇の法に付随して授けられた△△△の法。密教と言うより修験の法で私的には常用ですが、供養には使った事がなく。
しかし何故これが⁉ですが、このホトケさんの事情を鑑みるに、ある意味納得。
難儀な死に方や悪鬼と化したような大変なホトケも、今までもさんざん供養して鎮めて来たので、ちょっとやそっとじゃ驚きません。が、このホトケは今頃になって【ソレは許されないわ;】事が発覚、死去から数十年経った今、傍系なのに偶然目の当たりにした施主さんが筋違いで苦しむ羽目に・・
このホトケが【供養に与ることを許されない】状況であって、ゆえに常の供養では届かない・・このホトケの【許されざる】を何とかすることが先、だとしたら△△△の法が「正解」、というのは筋が通ります。
そんなこんなで構えて臨みましたが、供養はとても善く仕上がり、施主さんも安堵された旨、良かった(^^;
それにつけても今回思い知りましたのは【仏とて、許さぬ罪がある】あるいは【供養を受け取ることを許さない罪がある】ということ。
阿弥陀仏が【五逆罪を犯した者は救わない】と言ってるのは有名ですが、その弥陀も救わない悪趣をも破るという陀羅尼ですら「そういうことじゃない!」とは・・死してなお許されぬ罪、仏がソッポを向いたのか、と思うしかないというか。
供養が口に入る前に燃えてしまう、とは餓鬼道の姿ですから、【供養を受け取ることを許さない罪】は餓鬼ともいえるかもですが・・それにしても、△△△の法を用いねばならぬとは、私が今までの供養で知る餓鬼道というレベルではない気がします。
死してなお、許されざる罪がある。今回は供養を志した施主さんが縁者に居られかつ、当山にご縁があったので供養が成ったものの、そうでなければ体裁供養で成仏したとされる一方で、いつまでも餓鬼浮遊霊悪鬼として障り続けるだけ、であったでしょう。
そして思いますのは、やはり「懴悔」とは大切だな、と。己が為している身口意の是非、折々に省みてちょこちょこ修正していくのは、本当に大切なことだな、と。
今件はあまりに特異な事例でしたが、人は死んで終わりだと思ったら大間違い。法的とか倫理的とかいう問題じゃなく、【あ゛~ソレは神仏は許さんでしょうね】なマネだけはしないように、感情の赴くままで取り返しのつかぬ事をヤラかさないように、気を付けたいものです(;'∀')
※7月の太元堂月例法話の部分です。