寺ブログ by副住職
百鬼夜行かよ⁉
あまりに障りの数が多すぎた・・
三斎月の一である五月、常とは趣を少し変えて愛染明王の鳴動護摩を行じることに。
しかし今回の鳴り護摩は、、初っ端から音がヘンだ・・今まで何十だか何百回だか行じて来た中でも、異様な類の鳴り。
何と表現すればいいか、極端にうねり続けるような、というか。私だけじゃなく、住職もこの鳴りは何?と感じていたようだ。
途中で参拝者のお加持に回ると、その理由が判明。
釜鳴りが止まる人ばかり・・なんじゃコリャ、今日は一体なに⁉(@_@;)
お葬式に関わってまだ日が浅いとか、ご家族に生死の際があったなど当山も事情を存じている方は已む無しだね~で、そういう人達は祓いをかけたら解消したのでいいのだが、祓いをかけても解消しない人達よ・・何をやらかしてんだか。
それにつけても、あまりに障りのある人達が多すぎた、それが釜鳴りの異音の原因だ、おそらく。
そんな状況だったので、祈祷したお米を下供にさし上げる事は止めた。
不可抗力の不祥事態に関わるのは仕方のないことだが、かたや自身の不始末の障りを自覚もせずにいるのは由々しき事態じゃないか? 前者の障りはおおかた即座の加持で祓えるが、後者はそう容易くいかない・・いかに本人が認めたくない信じたくなくても、鳴動はその障りを如実に見せてくれる。
一方で、我らが負う疲労も大きい。今朝は登壇しても頭のモヤツキが取れず、色々工夫して護摩を焚くもスッキリせぬまま下礼したが、時計を見ると2時間半超・・そんなに拝んでいたとは、如何に昨日が酷だったか。愛染さんにも相当な負荷をかけてしまったと詫びるしかない。
それにつけても、長年の信仰に一体何を学んでこられたのかと、情けなくも問い直さねばならぬような人よ・・人間の性格など変わるもんじゃないとは身に染みているが、拙僧の不甲斐なさ不徳の致すところか・・


