寺ブログ by副住職
願わくは幻化の有情を化し、
数日前に目にした記事。
トランプ大統領は、イランへの攻撃を諫言する保守論客に「結局、我々は皆死ぬ」と言い放ったという。
ところで、弘法大師のお言葉の中にこういう一節があります。私的に好きなフレーズ。
【願わくは、我この幻化の身業を以って、
願わくは、我この幻化の真言を誦じ、
願わくは、我この幻化の有情を化し、
願わくは、我この幻化の菩提を証せん】
現代語訳、(我々は本来全てであって生じるも滅するも得るも失うもない存在であるのだが※1)願わくは、私はこの仮に得た身体による行ないによって、仮に得た仏の音声によって、本来成仏の仏となろう、
願わくは、我と同様に仮に得た身体で存在して迷える生きとし生けるもの達を、教えさとして悟りへいざなおう、
願わくは、(※1)我も仮の身体で迷いの巷にさまよう存在であるが、この仮の身体に明かされる仏智慧を通して、衆生と共に悟りの本質に至ろう。
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この文言は※1と記した「本不生」という境地を下敷きにしているのでその理解が無いと話半端なのですが、この本不生という概念は理屈で理解できるモノでは無いし私の拙文では論外なので、解説は省略デス。
トランプ氏の言う通り、我々はいずれ死ぬ、儚い存在に過ぎない。確かにそうです。それを大師も「幻化の」と繰り返されている。
でも、だからと言って、どうせ死んじまうんだから早いか遅いかだけだろ⁉、は違いますよね。
悠久の時の流れからしたら、一瞬にも満たない生まれては死ぬという存在として、どうして生み出されたのか。
それを問いつつ、与えられたかりそめの時間を自他の利益で満たしていこう、としたのが人類の歴史で、人が生きるということなんじゃないの?
胃の中に行けばみんな同じなのに、わざわざ料理を手間ひまかけて彩り頂くのも、そういうある種の生きる意味なんじゃないの?
ニヒリズムを語る人間が指導者である、というのは心底恐ろしい話です。人が生きる意味を勘案しない人間が指導者であるとは、国家にとってこれ以上の不幸は無い、のは皆さんもご存じの通り。そしてそういう人間に限って自分の命は惜しいもの失笑
願わくは、我この幻化の有情を化し、願わくは我この幻化の菩提を証せん
我々生きとし生けるものは夢幻のような存在に過ぎないけれども、誰しもが教え導かれ向上し満たされる価値があるのだ、この人間という儚きかりそめの有り様を通じてこそ、共に至高にいたろうではないか!
真に大衆の指導者たる資質があって、大衆を幸せに導ける者とは、このように生きる意味を志し語れる人間こそでしょう。
上は大統領や首相から下は議員や役人まで、こういう志を持っている指導者・公僕は世界に果たしてどれほど居ますやら・・


