寺ブログ by副住職
自然に還さぬ顛末
「本当に後々の事まで考えてるのかなァ?こんなもの建てやがって!と後世の住職から恨まれるような気がしますけどねエ・・」と何年か前に他寺様と話をしましたが、コトはその懸念を先取りした問題もあるようで。
納骨堂。ここ10~20年くらいやたらと増えているようです。最近は、カードをかざすと骨を収納棚からエレベータ方式で運んでくる近未来型も普及しているらしく、いわゆるお墓の持っていた陰気な概念や空気を打ち破るような存在感で建設されているみたい。まあ、寺も檀家もそれで納得ならいいのでしょう。
ただ、どうしても私的には【違和感】をぬぐい切れないものがあります。それは【土に返さないで、いつまで残しておくつもりなの⁉】
遺骨はいつまでも現世に晒しておくべきではない。この辺りの論考は書き出すと長くなるので端折りますが、日本においては伝統的にも、拙寺の霊的経験的にもそれは言えます。速やかに埋葬、自然に還されるべきと。まあ、そういう踏み込んだ視点はひとまず横に置いておくとしても、
【建物は必ず老朽化し、取り壊さなければならない時期が来るのです】
「永代供養で預かります」という触れ込みで、受け入れ時には大金を頂き、年間の管理料も入るから、運営には困らない、と考えるのでしょう。
しかし、如何に大金な納骨料とて膨大な建設費の前にはみな消えてしまうでしょうし、微々たる管理費など建物の修繕維持で利益にならないはず。毎年の火災保険料だけだってバカにならないでしょう。運営という立場の方々からしたら常識的なことですが、人や物が集う建物を維持するには、外からは見え難いですが大変なお金がかかります。それは年数が経過すればするほどに。
でも「その時お金を出せば後は管理費のみ」というような、広告をいくつも見ました。未来を想定していないのかなあ、と。
建物がもう持ちません、要解体となった時、どうするんだろう。
永代と言った手前、引き続き預かるのは当然として、改めて納骨料は請求できないでしょ。でも、ソレないと再建などできないよね。
身寄りのない人達のは死人に口なしで墓に合祀してしまう手はあるか。しかし道義としてどうよ?
檀家に頭を下げて引き取ってもらうのか。信用は憎しみになるだろうし、先祖代々の遺骨を多量に引き取れと渡されても檀家はパニックになるわ。
そして大金を投じたはずの祖霊は、居場所を喪失。
ついでに、建物を建てる時に忘れられがちですが、昔と違って解体にもかなりの費用がかかります。今後も高騰していくでしょう。寺に解体するだけの予算が残っているならまだ幸い、なければ大借金か手放すか朽ちるにまかせるか。供養どころかお寺の存亡にまでなりかねない。
で、檀家とその祖霊を路頭に迷わすだけでなく、冒頭の、後世のお寺の後継者にとんでもないツケを負わせることになるのではないか、という話。
しかし、このニュースの納骨堂は「建物の耐久年数」以前に、運営法人が借金のカタに手放したそうで・・将来の維持以前に建築費すら払えなかったと。ココを買い取った法人に「持って帰れ」といわれたお骨も遺族もサンザンですが、【土に還すべき】という日本の死生観に適ったごく自然な感覚を忘れたツケと言えば、そうなのかもしれません。
しかし、その状況は今回のニュース当事者だけではなく、今後数十年かけて全国で溢れ出して来るのではないかと、懸念するわけです。
死生観も地域や時代と共に変化していくのは自然なことでしょうけれど、【お骨の扱い】という非日常は、ぶっ飛んだ今時思考の扱い方にしてしまっては、寺も祖霊も檀家も後悔する三方損になるような気がします。人ごとではありません。皆さんも今一度冷静にお考えされてみては。