google-site-verification: google03647e12badb45de.html 大悲の雷震 - 遍照院 へんじょういん  お護摩と占い鑑定【公式】

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2022-12-29 20:45:00

大悲の雷震

久しくご無沙汰を失礼して手紙を書いていて、優しくもあり厳しい人でもあった、と想い出す、師僧のご母堂さま。

 

我が師僧は現代的な感覚をお持ちで、古い老僧的な御方ではないが、その御母堂様は折々にビシッとキビシさのある御人だった。

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私が居た高野山の師僧寺は宿坊で、接客から配膳や掃除などの大概はご母堂の指示を仰いで教わるものだった。何度叱られ、諭されたことか。また、師僧寺は寺族と寺生を差別することは一切なかったので、毎日一緒に食事をいただきながら、私の知らぬ話をどれほど教えて頂いたことか。

 

そうして教わった一々は、今も戒めや常識として心得ているつもりなので、私が坊さんとしてある根っこの部分は、このご母堂様と同じ時間を共に過ごさせて頂いたお陰と思っている。とかく厳しく諭されたこと、というのは忘れないものだ。

 

と書きながら思ったのは、今の人達の【打たれ弱いこと】よ。些細なことに傷ついたのと大騒ぎし、かたや目を背けていられぬ大事には見て見ぬふりをする、のは教育現場に限らぬ今時の傾向らしいが・・理趣経に引き寄せれば【小瞋に過熱して大瞋を失う愚】とでも言うべきか。

 

こういう仕事のせいもあろうが個人的にはご機嫌を取るような真似はしない。寄せられるメッセージや尋ねに対しても、問われたことやその考え方に対しては、私個人意見として遠慮なく言う。考え方がズレているとかマナーがなっていない者には、その点も指摘する。

 

すると、怒ったり愚痴を連ねたり、一方的にLINEをブロックする者もいる。別に痛くもかゆくもないが。一方的にグチを書き、意見を訊ねながら己のブザマを指摘されるとキレる、ってのは人間が出来てなさ過ぎだろう。そこを省みて自戒とするなら、逆に己の未来の損を減らす契機ともなろうに。

 

キビシくされて傷ついた!とはメデタイ野郎だwと失笑している。仏教で現世利益をつかさどる明王がなぜ忿怒尊なのか、考えてみよ。

 

観音経にも【慈悲体の戒めは雷震のごとし】とあるではないか。お優しく見える十一面観音の後ろの顔は【暴悪大笑面】である。

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キビシい経験を経るからこそ、進化し強くなり適応できるようになる、それが生物の生きるという事ではないか。かといって、山中鹿介のように【我に七難八苦を与え給え】とは決して願うことは無いが;純粋培養に慣れて保護ケースの中が当たり前となった日本人、本当にヤバいことには目をつぶり、生き抜く未来などあるのだろうか。

 

と、話が壮大になり過ぎた(;'∀')

 

今の歳となっては人からは住職に叱られる程度の私だが、仏さんや易神からはいつも叱られている気はする。やり方の悪さや見立ての甘さなど何がだよ⁉と、凹む事もしばしばもある。だが、めげずに向き合い続けていれば新たな扉は開かせてもらえるものだ。

 

今年もそういう意味でも厳しかったことは多々あった、が、年末は微笑みかけてもらうことが多分な気がする。叱られ試行錯誤し自分なりに一歩でも二歩でも進化している?ご褒美か。

 

生き物にとって、厳しさとはその者の未来の為に必要な事だと考える。叱られる内は花、でもあると思う。AIチャットみたいな対応や無視で応じられた時は、きっと、自分を見限られた時それこそ恐れるべき事態だろう。

 

このご母堂さまは御年卒寿近くになられるが、今もお寺の仕事をされておられるらしい。ご健康を祈る。