寺ブログ by副住職
想いは伝えなきゃ
職場のパワハラが解消して働きやすくなった、とメッセージを頂いた。
酷いパワハラの話で星供に祈願されて、こういう展開は何よりだったが、意外だったのは【youtubeの太元帥真言が災いを払ってくれるので心強く】とも記されていたこと。この人は太元堂にはまだお参りされたことは無いが、動画はこまめに見てくださっているらしい。
太元堂にいつもお参りされている人。任された新入社員のせいで毎晩深夜まで過労を強いられていた。語らずに来たようだがその事を住職に相談後、事態が急展開して今月末で問題解決に。
先日の震災慰霊は太元帥法で拝んだが、太元明王は【悲】(ひ)の仏さんだな、と深く感じさせられた。お不動さんが【大慈】とすれば、太元さんは【大悲】という感。
もっとも、明王の憤怒には大悲が込められているからそれは自然だが、太元帥は抜けて深いと思った。やはり天下国家を対象にするだけはあるし、ゆえに、些細な願いや悩み程度は自分で片付けろ、と突き放す感があるのもそこか。
しかし、祈りの縁をつないで、深刻な苦悩に向き合っている人の【抜苦】には、力を貸してくださっているようだ。太元帥の祈祷は篤信者のみ対象にしているが、youtube動画を見るだけでも、そこに祈りがあれば届いているらしい。そういえば、他の方々からも「いつも見て元気をもらっています」といくつかお声を頂戴してるな・・
ただ、思う所が1つある。先の方々はご自身の苦悩を【声に出して】祈祷/相談されている、と言うこと。後の人はお参りや祈祷はされていたが、その苦悩を口にすることは無かった。やっと口に出したことで、ガラガラと状況が変化したのだ。
言わずとも分かってくれるだろう、などと思っているうちは届かない。神仏は全てお見通しかもしれないが、己が意を訴えぬ者に何とかしてやろうまでは気遣いしない。祈ることが恥ずかしいと思ってる輩も少なからずいるらしいが、先のブログにも書いたように、そんな者こそ海外では人として恥ずかしいのだ。
力を頂きたいなら、礼を尽くして思いを言葉にして頼むに限る。人に頼むのと同じことだ。恥ずかしいだの金を使いたくないだのとくだらぬ理由で抱え込んで損するのは、自身だ。
易経に曰く「乃ち乱れ、乃ち萃(あつま)る、若し号(さけ)べば、一握笑いと為らん」
明日は年度末のお不動さん!