寺ブログ by副住職
本当の御朱印
先日、弘法大師誕生所である香川の善通寺に於いて、大師誕生1250年慶讃法会に出仕、無事お勤めさせていただきました。
法会の報告は、後程改めてさせて頂きます。
50年に一度の機会という稀なる法会に出仕、という勝縁を頂いたので、当山信徒さんにも結縁していただきたく、善通寺に写経納経を勧募したところが多くの皆様からお申し込みを頂き、ありがたいことでありました。
お預かりした写経は副住職が善通寺に持参して、善通寺のメイン堂宇となる御影堂に納経料を添えて、しかと納めてきました。施主各位にはご安心ください。なお納経は、どうやら翌日の朝勤行の折に壇上に供え、導師が加持を行なった上で納められるようです。
また、御朱印も希望された各位には頂いて参りまして、郵送しました。
さて御朱印。昨今は何気にブームらしく、あちこちを巡り歩いて集めるコレクターや、寺社も特別や限定の名のもとに多種類とか高額朱印も販売し、モノによってはネットで高額取引されるという、ちょっと筋がずれた向きになってきているようで・・今やスタンプラリーと見られていますが、それは大間違い。
御朱印は本当は何というかご存じですか?
え?御朱印じゃないの?・・というあなたも、分かっちゃいない。
正確には【納経印】なのです。お遍路さんした方には常識ですけどね。
だからハンコを押してもらうのは、正確には【納経帳】という。
ここで「なぜ納経と言うの?」と気づかれたなら鋭い。
納経とは冒頭に記しましたね。写経を寺に納めることです。
そうです、この御朱印とは【寺にお経を収めた証】としていただくもの、が本来なのです。
ただ【ハンコください】といって、貰えるようなものではなかったのです。
ただ、写経自体が時間もかかるし、札所巡りには先ずその納める分量を書くことから始めねば、と手間が凄まじい。それじゃなかなか困難、写経じゃなく読経でも納めたことになろう、というような流れで、現代に至ったらしい。
ですから、お遍路さんには本堂と大師堂で必ず心経読経が課せられています。それは乃ち納経の代わり、遍路は廻りの証に朱印を頂くことが必須ですから、読経は端折ってはならないんです。
ところが巷では、ただ来ただけで【御朱印ください】という人があります。が、上述の観点から拙寺では【最低限、本堂でお参りをされないと御朱印は差し上げられない】とお話しています。経を本尊に納めてこそ、御朱印にも功徳が宿るというものです。スタンプじゃ功徳など無い。
そういう点からも今回、善通寺のご朱印を頂いた皆様は【本当の意味での納経印を頂いた】ことになります。大師の勝縁年にまことの積善を為されたことをお慶びしますと共に、吉祥をお祈りします。
※神社でも御朱印をしていますが、牛黄宝印など古来より有している社以外は、寺の朱印に寄せて近年行われるようになったもので、経はそもそも関係ないし、どのような根拠づけをしてるのでしょう?もっとも、私は神社でも心経や立義分などあげて参拝しますけれどネ。