寺ブログ by副住職
縁結びの究極!
明日まで、高野山で結縁潅頂が行われています。※画像は高野山サイトから拝借
コレは、言うなれば【在家の人にとっては、仏様との縁結びの究極儀式】。
老若男女も善人悪人も信心不信心も問わずに、誰でも曼荼羅に引き入れて仏様との縁を結ばせるもので、弘法大師の時代から行なわれ、江戸時代には皇族武家からエタヒニンと蔑まれた最下層の人々まで差別なく入壇させたという、完全無差別にして至高の厳儀です。
※この点だけでも真言宗が貴族仏教だったという教科書記述など、偏見で嘘だと知れますね。
その功徳は【密教の最高厳儀】である伝法潅頂を「在家向けに極略化しただけ」ですから、単純に仏に向き合って念仏や題目を唱える功徳などとは比にならぬ大功徳です。この身で直に曼荼羅に入るのですから、成仏への妙術です。ゆえに少なからぬ不思議の霊験談も伝わっています。
そこで、江戸時代に将軍の護持僧でありながら、幾度となく結縁潅頂を開壇して十数万人を入壇させた浄厳律師のお弟子さんが記述した【結縁潅頂の霊験談】から奇瑞をご紹介しましょう。長いので2つばかり。
※原文は長いので要約します/現代語訳です
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①天和3年3月に伊予の国の人、お伊勢参りに十数人で難波の港に来たが、病気発症したのでそこに留まり、2人を看病に残して他の人は伊勢に出かけた。看病続けたが4日目に死亡。
看病の2人は他の仲間にも亡骸を見せねばと入棺だけして待ち。戻って来た仲間らが涙が流しながら棺を開けると、生きてるが如し。しばらくすると息をし出した。蘇ったぞ!と服を替えて薬を飲ませて落ち着かせて話を聞くと曰く、
荒野を歩いて行くと種々の地獄のようなものがあって、叫び声が響いていて恐ろしいったらありゃしない。奉行所のような所に着くと役人が並んでいて、一人が「お前は今までどんな功徳を為してきたか?」と聞くので「とりたてて何も無いです。ただ、今年の春に讃岐で結縁潅頂があると聞いて有り難く入って来ました。その他は何も無いです」言った。
するとその役人曰く「まことに善きことだ、お前は如来内証の境地に入ったのだ、長く悪趣の苦をのがれるが良い、お前には寿命を与えて人間に還らせよう、ますます真言を受持しなさい」と。
嬉しくて小躍りしながら来た道を戻ると、大きな池に10歳ばかりの子供がいた。よく見ると1年前に死んだ我が子ではないか!どうしたことよ!と聞くとその子は「僕はこの池の底にいます、苦しくて苦しくて。今たまたま休憩をもらったので、このことを伝えたく来ました。お父ちゃんは帰るのですね、僕はいつか人間に出れるのでしょうか?」と抱きつき嘆き悲しむも、池から「早よ帰ってこいや!」と声がして、息子は波の下に沈んでいった。
道を進むと牛頭馬頭が取り囲む火の車がやってきた。そこから叫び声が「我は某と言う、よこしまな事ばかりで百姓を苦しめた罪でこんな目に遭っている、帰ったら我が子に告げて追善をさせる様にしてくれ、お願いだ」と。誰だ?とよくよく考えれば、村のお役人様だ。可哀そうに、と歩まんとしたら目が覚めた。死んで三日も経つのに、と皆不思議の思いをした。
薬など飲んで体調が回復してお国に帰り、この話などし役所を訪ねると、かの役人は死んだという。聞くと日にちは自分が死んでる日と合致してるし。かの旨を子に伝えて供養をさせた所、その子はますます功徳を積んで善人になったと。この話は確かなる人の聞き伝えを善を勧めるために書き残したものである。
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②高松城下に晩年出家した見性という坊主がいた。出来は悪いのに頑なだったから、仏教の「空」思想を聞いて邪見に陥ってしまった。そして結縁潅頂の話を聞いて嘲り笑い、人々を惑わすだけの興行等と罵詈雑言をいうので、天和3年正月26日友人たちがムリヤリ結縁潅頂に入壇させた。
かの者は、内道場が他言無用とは子供だましに決まってる、オレが入壇したら大日のドテッパラをぶち抜いたるわ!と小便して手も洗わず入壇、道場を出てから心地悪く知人の家で横になる。翌27日朝、起きると狂ったように大声を上げ舞い踊り「大日打た、見さいな見さいな」と叫び続け、友人たちが「未曽有の珍事」と群がって来ると唾を吐き散らす。そして「小便せん小便せん」とばかり言い、「すればよかろう」と言われると唾を吐く。人々は「手も洗わず潅頂道場に入った罰や」とささやき合った。
乱心止まず手が付けられないので故郷へ送り返すことに。篭に担いで行くも大声を罵り続け、行き交う人々は奇異の目で行列をなした。こうして11日間飲食もせず、2月6日の朝「深き坑に堕ちるわ助けよ助けよ」と叫んで死んでしまった。
これは驕慢不信の故に現身に地獄に堕ちた事例。直に見聞きしたことなれば、書き留めておく。
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また、法相宗(薬師寺とか興福寺)を極めた真興さんという坊さんは、真言宗は仏教の常理に違しているから自分が破ってやる、その為には法門を伺わねばならぬ、と結縁潅頂に入ったところが執金剛神にけり倒され・・悶絶の内に懺悔して「我こそは密教を興隆すべし」と誓願されて、後に子嶋流という真言宗の一流を築き上げるに至りました。そういう人も居ます。
※真興さんは子嶋荒神の話などもあるように霊覚のある人だったようです/おまけに密教のとある潅頂はこの子嶋流で行なわれることにまでなっています。
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そして
悪心ある者は罰せられ、浄心ある者は無量の功徳を得ること、明白である。無量の悪業と地獄の因を他の教えは救えない。ただ、金剛界大曼荼羅のみ救い得ると説かれているではないか。
在家の人は結縁潅頂があると聞けば、どんな遠くでも足を運ぶべきだ。億の金が手に入ると聞けば、誰しも地の果てまででも行くであろう。だが金はあの世には持っていけない。あの世に持っていけるのは戒と布施と不放逸(仏教修行)の功徳のみだ。潅頂に遇う者は現世にも来世にも苦を離れて成仏にいたるもの。距離を理由に行かざる者は信心の浅さを恥じるべきだ、
と記されています。
かくも大功徳の大霊威でありますが、その執行は非常に大がかりで、大道場と、膨大な什器と、大人数の阿闍梨が必要なため、容易に行なえるものではありません。
ですが高野山(東京別院も)では毎年2回、春秋に行なっております。コロナ禍で休みでしたが今年は復活しております。
東京別院でのご案内をLINE配信しました所、締め切り日だったにも関わらず数名様が入壇されたそうで、いたく感動したと報告を頂きました。何よりでございます。
高野山は明日が最終日。こちらは予約なしでもいけるようです。こちらからは飛行機+電車と非常に遠方ですが・・都合がつく方は飛んで、または秋の機会にでもぜひどうぞ。
しかし、なかなか叶わない・・という人への話もありますが、いい加減長文なので稿を改めて。