寺ブログ by副住職
約束
3~4か月ぶりくらいでお参りされた人。
どうなってました?と聞くと、
願掛け祈祷していた案件は一旦、叶った状態になったという。が、その後しばらくして元の木阿弥に、と。
そして急に発症した病は、病院に通っているが治るどころかますます酷い有様に。
この人は、とある祈願をしていました。キツい祈祷なので貴方自身も月に一度はお参りをするように、と約束しての願掛け。
難しい案件でしたが、話によると、思いがけない外部の働きかけで事態が急にその向きに展開。
そして念願叶った、としばらく安堵していた所が、徐々に不穏な感じが戻ってきて元の木阿弥に。
こういう話を聞くと、月参りの約束破って罰が当たったとか、嘘ついた咎めを受けた、と考える人が多いでしょう。
でも、それは違うと思うのです。
何のことは無い。約束を破ったから、仏の加護から除外されてしまった。
祈願や供養に対する約束事を破ったところで、当山ではそれを一々咎めることなどしません。
所詮その程度の人なのね~と認識するだけ。
ですが【祈願供養に関わる約束事】とは、私ら寺の者との約束以上に【当山の仏さん方との約束】なのです。
ソコを忘れちゃならない。
本尊となる仏さまは、そういう人間の業に一々左右されることなどありません。
ですが、本尊は大将であって現場で動くのは眷属。験力の実働部隊は諸天や鬼神の類です。
人に近い感情を持つ眷属らが、祈願者のそういう身勝手を許すかどうかは、別問題。
寺の者が何も言わないから、と忘れた振りをしても、貴方の為に働いた仏の眷属衆は、その約束を忘れなどしませんよ。
願掛けとはそういう事。そして願解き=お礼参りが要るのもそういうワケ。自身がその働いた眷属の立場だったら、と考えたら、祈りのかけっぱなしなんて出来ないはずですけどね~
この人の場合、仏の加護から除外されたことは露骨でした。
叶ったはずの願いは失われ/原因不明な疾病を患って悪化進行中/買った中古車のお祓いを求められましたが、どう占断しても事故車、すぐに買い替えるように、と。願いが形となった途端に願解き(お礼参り)もせず、月参りも止めた3~4か月の内にこの有り様・・
普段、いかに護られていたか、という事です。
無事息災に過ごせているということは、当たり前なことではない。
殊に、障りに関わってしまっている人には、神仏の加護があっての生活、という人もあるに違いありません。
楽しい事ばかりじゃない、苦しい事も少なくない日々であっても、その日々を有り難いと思えているか。
見えなくとも、貴方を取り巻く存在に感謝できているか、ケジメはつけているか。
そういう感覚は、仏神の加護や運を左右する原点、ですねと再認識でした。
ついでに、その病は花巻に来たついでに〇〇クリニックに行け、と当山帰りに受診した所、今処方されている薬を全て止めて様子を見ろ、と言われて、それで快癒したそう。しばらくぶりのお祓いも功を奏したかもね。