寺ブログ by副住職
あなたの知らない、けど知れちゃう世界~
夏といえば心霊番組、は今は昔のようですね・・
まあ、いかにも胡散臭いモノもありましたから、コンプラバカな今時にはムリなコンテンツになってしまったのも時代でしょうけれども。
でも、見えざる存在への畏敬というものを欠く、一端となっている気もしてそこは残念な気もします。見えないだけで、そういう影響まで失せるわけではないですから。
そこで盆月にそういう話をしないでしまうのも何ですから【見えざれど存在する実例】を、些かお話ししましょう。
当山では「鳴り護摩」という、修法も行ないます。経験されている方々はご承知の通り、祈祷で釜から音を鳴らすのですが、邪気や不浄がある場では音が止まる、祓うとまた鳴る。という、その場に参列している人にも不思議かつ目に見えるお祓い、です。
出張祈祷には基本コレを用います。すると時折、異様な事態に出くわします。
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ある家のお祓い、ハンガーにかかっている洋服で鳴りが止まる。そういうことは往々にありますが、この服なんか強いね、と。するとその人は何か気付いたように「コレもお願いできますか」と数着集めてきて。かけてみるとその全てが止まる。その他の服は鳴るのに(((;゚Д゚))
すると「この服、すべて同じ知人から頂いたモノなんです・・」まだタグが付いた未着服までこの有様。震え上がったこの人は、全部処分したそう。他にも止まるような服には、※※や※※という事情があったりする。
また、なかなか祓えない場所などは、その周囲にあるこだわりが窺える建具や置物などをお加持すると、祓えたりもあります。聞くと、旦那が中古屋で一目ぼれで買ってきたとか、親が執着するお気に入りだった、など・・
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お祓いを頼まれた中古物件、状態はとても良く立派、前住者の凄いコダワリが窺える邸宅。しかし至る所で釜が止まる。ほとんどが「特注と思しき建具」の場所。いずれもなかなか手強く難儀・・これらは全部捨てて替えた方がイイね、後は大丈夫でしょう、と。
リフォームの構築鑑定もされて、リフォーム後にもう一度お祓いをとのご依頼。前回撤去を指示した建具は全て入れ替え。果たして、まるでリゾートホテルの部屋のように改装なったそのお宅の鳴り護摩は、ズバッと爽快に全居に響きました。
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車をぶつけられた人、それ以来家族から見ても何か変だという。個別のお祓いをご依頼されたので、常にはお護摩ですが感じる所があって鳴り護摩で。
釜を車に入れると、助手席で完全に止まってしまった。通行人や信号待ちの車の衆目に晒されながら加持を行なうこと10分か20分か・・なんとか祓い切った。その後はご本人の様子も復調されたそう。
ぶつかった折に、何かが飛び込んできて、ずっと助手席に座っていたのでしょう・・
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仕事と場所柄、死霊が入り込んだね、の家。案の定、ソコは止まる。常の祓いではダメか、と思いつつも加持するがやはりダメ。
仕方がない、と※※を用いてみると立ちどころにソレは去り。施主さんはその有り様にお不動さんの威力を見せられた、と驚かれ。
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キリ無いのでこの位にしておきますが、言えることは【モノにも鬼霊は宿る】ということ。障りになってるということは、念を超えた鬼邪状態(((;゚Д゚)) また、やはりというか人形や鏡などは古来言い伝えるだけのことはあるな~、いつもと思わされます。
こういうのが身に染みてますから、個人的に私は古着や古美術など買いませんし基本、中古品屋にも行きません。他にも以前に※※業者の話なども聞いてますし~その仕事してるとアッ、これは;;と分かるそうで(◎_◎;)
せめて、中古品を用いるならふきとりで拭く位はしておくがイイですよ。中古品商売されてる人は今日はいませんけど時折、お祓いはしておかないとね。
それから、中古車や中古住宅は必ずお祓い必要ですよ。大きな買い物であり、身体や人生の一部であるも同然、残留するモノも強いものです。というか祓い切れないモノもありますから、そういうのは買う前に先ず鑑定。それが賢く災いを避けるやり方。
そして、鳴り護摩をしてつくづく気づかされることがあります。
それは【執着というものは、実体化して命を宿す】ということ。仏教がやりきり脱執着を説くのは、釈尊はコレを見抜いていたんだね~
また【生命というのは、あらゆる場所に、あらゆる形で存在している】ということ。
鋭い人はお気づきですね、そう、「三界万霊」なのです。盆供に参拝された人に話し、回向頂いた三界万霊とは、そういう存在も含んでのこと。陰に陽に吉に凶に蠢くそういうモノたちへの施し。然ればそれが廻って功徳力となる意は、なんとなくお分かりでしょう。
見えないものを侮っては、人生に大きな損失だ、というのはそういう訳です。参拝の皆様には自明でありますが。
しかし、他寺様の法会に手伝いにいっても子や孫を連れて来てる人などほぼ皆無、それが今時らしい。若い人が見えざる存在に触れる機会を、ジジババ大人が奪っている。それは、若い世代の生きざまに大きな損失となりましょう。盆供にお子さん同伴で参拝された方々は、賢明な御人ですヨ。
次の世代を案じるなら、盆や彼岸という機会にはどうか若い世代も伴なって、ご先祖さんも通して冥界という存在に触れさせて頂きたいものです。それは彼らの為だけでなく、ご自身の後生安堵の保険でもありますよ。
※8月28日の法話の部分掲載