寺ブログ by副住職
彼岸の話② 美は正義だ!
②【妙色身如来】
餓鬼の姿は、仏教に触れた事のある人ならどこかで目にしたことがあるんじゃないかな、と思います・・が、お世辞にも普通に受け止められる姿じゃありません;
Ⓒ画像は記載のサイトから拝借
やせ細り骨と皮同然も腹だけは膨れ、喉は針の如く細く通らず、食おうとすると口から火が燃えてしまう。半端なく卑しく醜く、ひねくれている・・
①の仏により満ちる境地を知りて、仏へのステップを歩み出す・・も、普通に考えてこんな姿では仏には相応しくない;
そこで、仏に至るに相応しい姿形を与える。それがこの妙色身如来。
仏には、ふさわしい姿形が存在します。古くは32相80種好と呼ばれる体の特徴があげられ(これは常軌を逸しているのが多いですが、ここからも多様の仏が展開する一因)、大乗では種々の仏が登場してその姿も数多となりますが、そこには必ずどこか気品と慈愛と鋭さを持ち合わせます。
明王のような裸で暴悪相なる仏も黄金の瓔珞を身にまとい宝石や蓮華を座としますし、変化観音のような異形も化仏を戴いて仏変化であることを示しています。恐ろしく異様な姿でも、そこには仏たる証明が形としても、ある。
※それ言うなら、胎蔵曼荼羅最外院に死鬼衆が画かれているがそれも仏だろうとか、草木國土悉皆成仏って動植物や石ころだって仏なんでしょ?という人もいるかもしれませんが、それらは「仏種が含まれている」というだけであって、業によってそういう姿に展開しているモノを仏と呼べると言うには非ず、です。
仏になるには、器としての然るべき形が必要なのです。
と、ここで「ウチの先祖さんはふさわしい形してるのかな?」と思えた貴方は素晴らしい!
信徒さんには常々お話しているのですが、仏に成れないお位牌がやたらと多いようです・・それは白木のまま。
白木の位牌とは、仮位牌です。49日までは白木の位牌を用いる約束からも明白(今は白木にすら書かずに、紙を貼るようですが;)
どうして?・・49日までは早い話が浮遊霊扱いだから。ゆえに粗末な白木として、仏壇にも入れない。
そして49日を過ぎると、仏になったという扱いにします、実際はどうあれ(^^;
なので白木位牌から替えて、塗板に金で名前を刻んだ本位牌にする。
【塗板に金で名前を刻んだ本位牌】これで、仏にふさわしい身体、となる訳です。
ところが、その事が分かっていないだろうな~というお寺や人々が多すぎます・・塗板に作り直してから俄然仏壇を拝むようになったとか、家の流れが変わったという人も少なくありません。ご先祖がみすぼらしい格好をしているのに自分達を見守れなんて、都合良すぎな話;
気持ちだけで届いてる通じてるなんて嘘です。形ある世界に生きる私達には、形も重要なファクターなのです。
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以前読んだ、米国で仲良しグループを刑務官と囚人の2グループに分け、それぞれに刑務官と囚人の衣類と環境と位置づけを与えて人の行動の変化を見る、という心理学か何かの実験の話。
最初はふざけ合っていた彼らはだんだんと変化し、刑務官役は横柄に暴力を平然と振るうようになり、囚人役は怯え精神疾患を発症するようになり、実験は中止された、との旨でした。
中身にふさわしい器が要る。逆もまた然りで、器に見合ったように中身も変化するのです。弘法大師が、心と境(外見とか環境という器)はリンクし双方向に影響しあうものだ、と言う如くに。
だから、餓鬼の姿に仏は顕現出来ないのです。美しい魂を盛るには、美しい器が要るのです。
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また、大師の双方向リンクの言のように、逆もまた然り。
私は昭和男児ですから女性の感覚は知れませんが、バシッと化粧が決まった日は一日気持ちイイそうですね。上手くいった化粧やオシャレな服を着た時には、自分であって自分でない感覚ともなるそう。役者さんの記事などには、メイクをすると役に入り込むとか。
外見という器を操作することで、その彩った存在に我が魂を変化させることも出来るのが人間。一見過剰wwとも思えるオシャレをしている美容師や講師など、カリスマを目指すならその位は当たり前な心掛けなのかもしれません。そういう平凡を超えた美なるスタイルは他者を刺激し、自身をも変え、関わる世界が変わる。人格を陶冶するに美は欠かせないのです。
近頃はミスコンなど差別、ナチュラルでみんないい、美醜を取り上げるなんてハラスメント的な風潮が強いようですが・・ ネットでは詐欺メイクと呼ばれる、整形手術並みのメイク動画が賑わしているようですが、爆笑から~最後は感嘆してしまうレベル・・あれじゃ人生変わりますわな(笑。美しいものは美しい、作り上げたものだろうとイイじゃんね、と思えます。好嫌の感覚は別としてね。
生活に追われていますと、なりふり構わず目の前の事で一杯です。ですがそれじゃ、業に流されるま者の生き方から抜けられない。私の人生はこんなもんじゃ済まさない!と思うなら、手っ取り早いのは、成りたい美しい器を自身に作るコト。
ここは女性だったらメイクですぐ出来る! また、華やかな服を着る!
また、自分は似合うと思っていても、他人から見たらトンチンカンということも多分にあるものですww
ですから、カワトクの化粧品売り場でメイクしてもらう!
センスのいい、ちょっと冒険してくれる美容院に行く!自分で髪を切るとか論外!
服屋に行ったら「自分にどれ似合いますかね?」と聞く!
自分に嫉妬しない他人の意見、ってのは、新しい自分を展開するのに欠かせませんよ。
そうやって、美しい器に飛び込む!美しい環境に飛び込んでいく。
お客さんの中には、ちゃんとお化粧すればスゴい綺麗になるでしょうに~/ビシッと決めれば人目を引くでしょうに~と思う人も少なくありません、埋もれてる必要ないのにね、勿体ない・・
美しい身姿を意識し努めるのはなにも恥ずかしい事ではないヨ、それは今までを乗り越える生き方へのステップでもあるよ、格好をなめんなよ、理想に寄せていけ!と妙色身如来は気づかせてくれる気がします。
とか偉そうなこと書きながら、オシャレ美容に全く無頓着で来た自身はどうだ_| ̄|○・・中年オヤジ今更から転換できる⁉