寺ブログ by副住職
霊系
なんじゃコリャ?
辰年だから龍とお不動さん合体させてみました~~ってことらしいが。
あくまで【オブジェやアクセサリーです】ならば何を作ろうといいのですが、ここでは【厄除け/守り/護摩祈祷済】と言っている。
それは、いただけませんね~この祈祷した寺も分かってないね。というのは。
密教では【儀軌=インド伝来の仏尊のテキスト=に無い仏】は【仏本体として拝めない】ことになっています。
というかその気になれば、キリストだろうとマリアだろうと天照大神だろうと、一尊法を作って拝めちゃうのが密教の行法。
逆をいえば、仏ならざるモノまで仏本体として扱いかねないリスクの方がデカい。末世愚鈍の輩がやりかねないそういう事態を予見してのストッパーが「儀軌外は無し」なのかもですが。
でも~という想定対応に、御本地供というものがあります。インド由来じゃない=儀軌の無い神仏を拝む時に、その本地=本体の仏を設定して、その本体仏の法を用いるというやり方です。教科書でも習った両部神道というのはその根拠として発達するのですが、異国神や日本の神様を拝む時のみならず、日本人であるお大師さんを拝む時も同じ。
私ら真言行者がお大師さんを拝む時に、修法では中壇弥勒とか宝珠法などを用いるのですが、直にお大師さんじゃなく、そういう回りくどいやり方をするのも、インド伝来の「仏の在り様/扱いよう」を極めて尊重するがゆえ。
決して霊異相承や感得などによる佛神を否定するつもりなど毛頭ありませんが、【儀軌にない仏を作ってみました】なんて、少なくとも密教に関わる人間ならば認めて受け入れてはならないのが常識。
辰年だから竜を絡めたいにしても、そもそも、不動明王にはバトルモードとしての【倶利伽羅竜王】という龍身が存在しています。
サイト内記事には何度か書いていますし、太元堂では出現もしていますのでご存じの方もおられるはず。
↑倶利伽羅竜王(花巻)
↑お護摩に出現した倶利伽羅龍王(太元堂)
なのにあえて何故、お不動さんの頭を龍にして作って販売する必要があるのか。だいたい、辰年の守り本尊は普賢菩薩ってなってるだろうに、脈絡もない。こんなモノに祈祷を施すなど分かっていない寺だ、とはそういうことです。
霊系に全く根拠も繋がりもないこんな創作物に、どんな仏神が何の力を貸すというのでしょう?
経や儀軌を含め、インドから真っ当に受け継がれてきた仏の法には、俗な言い方をするなら「霊系」なるものが存在します。
正しく継承する者が伝え、正しく授かる所にこそ法に秘められた力は開封され、護法神も付き従う。だから密教は伝授を重視する。
日本を代表する書の達人「三筆」に挙げられ、筆の製法も伝え、日本初の字典まで作った文字の達人・弘法大師にして
「文はこれ糟粕、文はこれ瓦礫、糟粕と瓦礫を受くれば、則ち粋実と至実とを失う。真を棄てて偽を拾うは愚人の法なり」と申されている。
そこには、文字づらだけでは決して受け継ぐことのできない「仏の力を開封する系譜」の在り方がある、のです。
ネットや本なんかで見聞きした真言や経など真似てみた所で、その霊系に繋がる(=仏に感応する)わけなど無いし、晒した方も真似した方も越三昧耶という成仏の妨げとなる法罰を蒙りかねない。私がネット上に真言を記さないのも、youtubeに理趣経をフルで垂れ流さないのも、そういうワケ。
宗派流派によって若干、真言の読みなどが異なったりする場合があります。例えば発音の違いは、真言系は中インド、天台系は南インドの系統の差などと言われます。が、どちらが間違いという訳ではない。
仏教の正統なる系譜から正しく自分が教えられたものならそれで正解。他と違っていようとも霊系の力は働くものです。
正しく受法の機縁に恵まれた人は、それを持しているだけで仏法冥護に遇っていることを喜び自覚し、適う生き様を意識されるべきでありましょう。得体の知れぬ仏像なんぞに惹かれている場合じゃありませんよ。
話が脱線してしまいました(^^;