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2024-12-11 22:19:00

ソレ、餓鬼畜生道まっしぐら・・

挨拶はムダ、合理的じゃないから必要ない、仲の良い友達の間だけでイイ、という風潮が小学生の間で広まっている、とラジオ番組で聴いた。対するパーソナリティのコメントは肝心なコトには触れないでしまったと思う。「挨拶は人間関係の潤滑油だ」ということに。aisatsu_kodomo_otona.png

先の寺報に【感情論バカ】の話を書いた。感情論に終始する愚かな世情が、この息苦しく薄気味悪い空気感だ、合理性を声高に言う者がやってる行ないこそ、とことん感情論じゃないか、と。

 

挨拶は、動物から進化した人間が、社会的コミュニケーションを円滑にする術として手にした、簡易にして偉大なるアクションであろう。それだけで、他者との接触は一気にソフトランディングになる。社会を構築する動物として、極めて合理的かつ高度な智恵だ。

 

それを非合理だという。物事の分別もつかないような幼童がそんな言質を出来る訳もないから、その黒幕は親達だ。挨拶という行為が合理性の塊と言うことすら理解できない、感情と権利だけが絶対信者のスピーカー、それがかの小学生界隈なのだろう。

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そうして他者との接触が常にハードランディングとなるように仕向けられた子供たちの将来は、どんなものになるのだろう。礼節を欠いた彼らの未来は、どれほどその才能と引き立てを貶めることになるのだろう。その狭い校区の中で一生を過ごすなら別にいいだろうが。

 

そういえば、おはよう/行ってきます/ただいま/おやすみ、程度の挨拶すら無い家庭があるとは聞くが、各々がスマホを持ち、家に居ながらも外部と繋がる方が易く多ければ、家族というシステム自体が崩壊するのは、今騒いでいる法律の制定を待たずとも明らかだ。

 

既に命のよりどころとなる先祖も墓もいらん、葬式も要らん、という。時代の趨勢だろうが、切り離された個々が勝手に生きていけ、という時代は、人間にどういう在り様を示すのだろうか。

 

寺報には、不満だ面白くないという感情の赴くまま怒り争い→ただ本能の求める快不快を生きる基軸とし→満たされぬをひたすら他人に求めるばかり、という感情論世情の有り様は、修羅道→畜生道→餓鬼道と、六道の人界から堕ち往く過程、そのままではないか、と書いた。人品卑しくなるは動物への退化だったのね、と。school_gakkyu_houkai.png散骨が急激に流行って来ている、という。肉体が終われば全て終わり、終わらせたい、とは、生活と寿命に疲れた現代人の感覚、というのは分からないでもない。が、あなた方が感情論で放棄させた受け継がれ来た生きる為の合理性、それを欠かせるとは後世まで退化させる気か。

 

ちなみに、墓も要らん葬式も要らんとスマートぶって全てを終わらせた気になっても、全ては終わらないのをご存じか。釈迦の直弟子らが目指したのはいわゆる魂まで全てを滅する「灰身滅智」の境地。ここに至るには「修行して解脱」しなければならない、そうでなければ、身が滅んだ所でまた何かに生まれ変わって、再び苦を味わうのだ、と。monogatari_okikusan.png

弘法大師の曰く「死に死に死に死んで死の終わりに冥し」。幾度も輪廻を繰り返し、死を繰り返しているにも関わらず、性懲りもせずまた暗愚のまま輪廻の闇に堕ちいく愚かな我らよ・・

 

感情論で己の作る業も知らず、未来を担う者達の人品を貶め、自身の身勝手に先祖まで巻き込んで蔑ろにする・・感情論のその生き方は餓鬼畜生にも劣るのではないか、と言われているようではないか。

 

挨拶は言葉にすれば一瞬だが、人が人たる尊厳としての「愛情と敬意」が、いかんなく込められている。そのただ一言に、人はどれほど安心を得、安心を与えているか。aisatsu_sayounara.png

以前、ブログに施餓鬼の離怖畏仏について書いた。https://henjoin.info/diary/74903 恐れこそが餓鬼道の最大の足枷だ、と。挨拶や返事一つも離怖畏となる、相手を自身を有益たらしめるのだ、と。このページの閲覧数は結構なものの、全然理解されていないなァ~のメールやLINEにつけ、容易いようでさすが餓鬼道の最大障壁、と思いを新たにする・・

 

愛情の反対は無関心、とは夙に言う所だが、ロクな挨拶も返事もしないばかりかその無用を主張する大人たちは、子供に「あんたの事など無関心だ」と言っているようなモノだ。そういう環境の子供がどういう精神疾患を引き起こすかは、既に知られる通り。己が無関心扱いされるは自業自得だろうが、巻き込んだ後世への責任はタダでは済まない業となると思うが。bluebird_baka.png

「死んで死の終わりに冥し」手のひらのSNSで毎時他人の動向チェックに人生の時間を浪費しながら、かたや怖れを増長する現代、大師の嘆きは大概の人に当てはまるに違いない。せめて当山にご縁のあった方々の人生はこうあって欲しくないと拙くも話してきたつもりだが、果たしてどれだけ・・