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遍照院 へんじょういん 
お護摩と占い鑑定【公式】

寺ブログ by副住職

Welcome to "Henjouin temple"
お祈りごとも、お祓いも、
占いも、迷いごとの相談鑑定も、
丁寧な供養や鎮魂も
宗派が違っても、
檀家じゃなくても、頼りに出来るお寺
遍照院へようこそ。
2022-12-21 21:28:00

出会う、と、出会えぬとの距離

急ぎ、鑑定の人。住職の占には、異様なほどに【ホトケの障り】の暗示ばかりが並ぶ。

 

先祖さん、粗末なことになっているんじゃない?と尋ねると、首をかしげてしばらくされて「あっ、そう言えば!」

それは、普通ではちょっとありえない扱いがあった話。そういう真似をする程なら、家を出たこの人には分からずとも、どういう状況があったかなど推して知れようというもの。

 

この人が急遽の鑑定を求められたのは、LINEキッカケ

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当山LINE登録者にサービスしているプレゼント護摩木。お申し込みを頂いて書き、添付用写真を撮るのだが・・何度撮ってもブレる。7~8回目でやっと撮り、やれやれと護摩を焚くと、今度はその人の護摩木だけ最後までくすぶる・・このサービス護摩木でこんな事態は初めて。

 

なので、祈願しましたよ、の通知に「こういう事があったので身辺一寸注意してほしい」と添えた所が、体調も良くなく鑑定してもらいたいと思っていた、とのことでご来山。

 

顧みるに、この方の護摩木に見えた異変は、この人の負ったタダではない程のホトケの重さだったのだと思う。たまたま、何の気なしに無料サービスで拙寺に縁を結ばれたことで、この人が負ってきた苦難の背景にある浮かばれぬホトケ達が、ソレを知らしめる機会を得たのだろう。

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手相は良くても、酷な目に遭い続けてきた。原因が見えれば、対処の道筋は見えて来る拙寺に縁を結ばねば、己の負っている障碍の大きさに気づくことも無かっただろう。この人はプレゼント護摩木1本で、人生の転機のキッカケを得たと思う。

 

ふと、想う言葉がある。【冒地の得難きに非ず、この法に遇うことの易からざるなり】大唐の恵果阿闍梨が弘法大師に話した金言。

【今や仏教は、悟りなど輪廻を繰り返した果ての理想というが、悟りを得るなど難しいことではない。悟りへの近道の方法を持つこの真言密教に出会うことの方が、容易ではないのだよ】と。

 

この法に遇うことの易からざる】だ。【優れた縁に出会うか、出会えぬか】は、人生の分かれ道でもある。広告業では【知られていないのは存在しないのと同じ】らしいが、【勝縁】はたとえ隣にあっても、自ら出会いにいく事が無ければ、存在しないに等しい。難病でもスーパードクターに出会えれば治るも可能だ。落ちこぼれ状態でもスーパー講師に出会えれば難関校突破だって現実となる。善き縁に出会うことが如何に大切であるか。

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こうして感じるのは、仏事や神事へますます遠ざかる現代人の危うさだ。まともな信仰をしてきた人なら普通にあろう「神仏や祖霊が発する微細なメッセージ」など、受け止めれなくなって当たり前だ。

 

危機を感じれず、不幸へ転がっていることに歯止めもかけられない。仏事にすら子供/孫を連れて行かぬ今時の人達は、その子たちから「自身を護る霊性を育む機会を奪っている」と思うべきだ。それの果てが、イカレた教義の新興宗教などに魅せられる。もっとも、ナムナム念仏唱えればコトが足りると思っている寺ではそれ以前の話だが。

 

正に【この法に遇うことの易からざる】である。出会えた人は幸いだ。先の御人は、困った占断ばかりの中【もう足元は崩壊寸前だが、今ならまだ間に合う】占を得た。その人の異常事態を示した拙寺に、すぐに対処に足を運ばれたゆえに、易もこういう救いを見せたのだろう。

 

ついでに弘法大師曰く【顕薬塵を払い、真言は庫を開く】・・密教以外の仏教は宝蔵の埃を払う教えであって、密教はその宝の庫を開く教えである、と。当山が鑑定を行なって指針を示し、祈祷や供養で道を切り開く祈りが出来るのは【遇うこと易からざる法】を奉じているからである。

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当山にご縁があった人は【得難きを得る】も往々にある。ご縁はどうか活かされたい。

2022-12-11 18:30:00

開運できぬ人あるある~

開運出来ない人には「あるある」があります!

 

簡単にまとめるなら、

①「価値を見出す、その価値に投資する」発想が無い

②「金が無い」が口癖

③「他人の時間」を大切に考えない

かな~。

 

 

以前にこういう電話。

「相談したいんですけれど、お金が無いんです。本当に大変でお祓いもしてもらいたいです。でもお金が無いんです。〇日だったら行けるんです、その日じゃないと都合悪いんです。お護摩されているんですよね、鑑定とお護摩祈祷を合わせて5000円でしてもらいたいです」

こう返しました「アナタね、バカじゃないの?五千円じゃ、お護摩の材料費にも足りませんよ

 

こういう問い合わせも。「お金ないので鑑定料まけて欲しい」

先日はこういうグチも。「金運御守り欲しいが、高いので買えない。お金が無い人が買えないのは矛盾している」

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こういう話には一切、迎合しません。何故ならこういう人達は、開運できなくて然るべき人たちですから。

 

分不相応

自力ではどうにもならないことを知ろうとする、動かそうとする、人生の転換を図ろうとする、のですよね? そこに対し、誰でもコンビニで数時間バイトすれば稼げる程度のお金を、無いの、高いの、と口にする。物事に対して即物的視点だけ。価値という認識が欠如している。

 

世間を成り立たせているのは【価値】に過ぎません。生きることが肉体が死滅するまでの時間つぶしなら、ただ食って寝て排泄するだけなら、人なんて正に釈尊の申された【糞袋】に他ならない。ただ生存だけではないことに価値を見出し、お互いがお互いの持てるモノ、生み出すモノに価値を見出すことで、人は「動物」を超えて「人間」へ進化し世界を造って来た、のです。【価値】こそが世界を縁で繋ぎ、構成する要素

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だから価値には過度の対価が認められていますでしょう? 診察一分でも、医者は健保まで含んで数千円得ることが保障され、弁護士は話だけで30分5000円、取り掛かるだけで十数万円~が普通とされていますね。不動産業者は仲介だけで「売買価格×3%+6万円」の手数料が認められていますし、コンサルなども講師によっては、1時間数十~百万円の上もあると聞きました。

 

自身の手に負えぬことは、【やれるプロ】という【価値】に投資して、ソレを我がモノとする。持たざる者が可能性に縁を得て、自身を切り開くには自身外の【価値】と繋がるしかないのです。その対価に不満をつけるなら所詮、ソレを手にする資格など貴方には無い、ということ。何としても!と思う人は、努力して金を作ってまでその【価値】に投資しますし、成功者と呼ばれる人は大概、そうした人々です。お金は所詮、手段でしかないのですから

 

スマホを持ってネットするお金はあっても、コンビニバイトで半日経たずに稼げるような額すら己の為に投資できぬ、と公言するような人には、日の目など見れるはずもないでしょう。

  

口から出たマコト

二言目には「金が無い」という人。聞きもしないのに「金が無い」話をする人。こう言う人に一切同情などしません。かつて住職はそんな人にはサービスしていましたが、結果は悉く人間の卑しさを見るだけでしたから。

 

もはや癖なのでしょう。でも、こういう発言をしていると本当に、いつまでたってもその貧苦から抜け出せないものです。貧しさ自慢みたいに話す人もいますが、住職も私もドン底経験してますから、そんな話など大したことない笑。貧困話は成功者になったなら昔話として語れっての。

 

【金ない】を繰り返していると、自己洗脳みたいになってますホント、何をしたって何を祈ったって、運など開けませんよ。

 

また、実際は裕福な収入とか困らないレベルなのに【金ない】が口癖の人もいますが、こういう人は、本当に手にしたい、肝心なコトなどに限ってつかみ損ねる、ものです。お前、貧乏なんだからそんなモノ要らないよな?と止められるみたいに。

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だいたい、【金が無い】口癖の人となんて、付き合いたいと思いますか? 金持ちは絶対に距離を置くでしょう、貧乏神を自称する人間なんて。世の中は縁次第ですよ。自ら吉縁を遠ざけるなど、愚の骨頂。

 

ご縁の破壊

こういう人はだいたい、一方的に自分の言い分や都合ばかりを長々&ダラダラ、電話でもメールでも。【相手の時間を自分が奪っている】という認識がない。そもそも社会人としてどうよ?

 

1分毎200円とか1文字何円という今時商売なら上得意サマにもなるでしょうけれど、応対する相手を慮れない人など、世間は相手にしない。オマケに指摘を批判と捉えて僻んだりする。要するに【切り変わるに必要な縁】を、自ら遠ざけている

 

人と同様に、神仏に対しても同じですよ。寺報にも書きましたが、貴方が神仏の立場ならば、自分のことなのに出し惜しんだり、ケチつけるような人を助けてやりたいと思います?

 ☆☆☆☆☆☆☆

 

これはやっておいた方がイイという提案を全てされ、大事を成された人からは【こんなにトラブルが無かった年は覚えがありません、自分の力では為し得ないことばかりでした、深く感謝しております】とメッセージを頂きました。

 

難しい大手術が要るし、いつ急変しても不思議はない、と言われた人。生活は苦しいはずですが、お参りされると1万円供えていかれる。こういう人には寺としても見える/見えない両面でサービス&祈祷していたところが・・急遽、スーパードクターのオペを受けられることになり難手術も成功、様態も安定、と報告がありました。※「〇〇さん、ラッキーでしたね~」と看護師から言われたそうです(^^;

 

こんなご時世ですもの、本当に苦しい思いで生活をしている人の方が日本の大半なはず。それでもほとんどが【金が無いんです!】などと他者に声高にアピールなどせず、やれることを頑張り、祈り挑み、光明をつかみ取ろうとしている。この困難を超えて、次のステージを切り開くのはそういう人達。人情としても援けてあげたくなるものだし、神仏とて、そういう気概を持ち、礼を弁えている人には力を添えてくれるもの。

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【天は自ら扶ける者を援く】のです。拗ねてゴネているような者になど、誰も、神仏もかまっている余裕などありません。

 

殊に祈りの場とは、とかくその人の本性がむき出しになりやすいものです。運を開きたいと望むなら、上述の心当たりは貴方の闇。即、トドメを刺して自身の出直しを図るべきと思います。

 

ちなみに、百貨店などでは【たか~ッ!】と声に出ることもありますがw、本当に惹かれる物なら売り込み店員さんには【今ちょっと厳しいので、頑張って稼いだらまた来ますね~】と言います。すると、本当に買える向きになるものです。

2022-12-08 20:43:00

成道と地の神

12月8日はお釈迦さまの成道した日、となっている。

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それはそうと、信徒さんには何度もお話し申し上げている話だが、釈尊の成道を証明したのは【地天】=地の神であった。

 

日本では【土地】という場には、その地その地に神(精霊)が宿っている、と考える。だから寺院には鎮守が祀られるし、密教の地鎮祭(土公供)は実際に供物を地面に埋めるという丁寧を尽くすし、密教の伝授にはご法楽として必ず【南無当所(当山)鎮守】とお唱えする。

 

「日本では」と言ったが、釈尊の故事に鑑みれば、それは日本的思考に限らぬ普遍的な精霊、と言うが正しいのだろう。

 

またそれは【悟りを証明した神】なのだから、想う以上に大力の尊だ。大地の仏の地蔵ともリンクしてくるが、冥界にも福財にも関わってくる。

 

日本でいう塔は、釈迦の遺骨埋葬に始まるストゥーパが変化したものだが、このもともとは土饅頭の形であった。塔が【弔い】と【功徳出生】の両義に用いられる意も、何となく察せられよう。

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在家の方が意識して拝まれる機会はほとんど無いと思うが、動土や地鎮などの機会には心して接して頂きたい神、と思う。

 

ちなみに、施餓鬼の対象には【広野鬼神衆】という部類もあり、ここには地神の眷属類も供養対象として含まれている。施餓鬼の功徳力の一端でもある。

 

ついでに、12月8日は真珠湾攻撃で戦争の火ぶたを切った日でもある。当時は国家神道というカルトのもと、仏教を蔑ろにしていたにしても、尊い日に何ということを・・こちらも忘れてはなるまい。

2022-12-05 22:38:00

甘露なり・・!

年納めにはちょっと早い感じですが昨日、盛岡別院の本年の納め法要を行ないました。※といいましても別院居る時は常に護摩焚いていますけれども。

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五黄の寅とは言ったものの、想像以上にあらゆることが激しく変わり過ぎる年だった、とお感じの方が多いのではないでしょうか。

 

無事息災に過ごせた、ということは、それだけでも感謝しなきゃないですね。

 

それでもこの年に、祈祷されて人生の一大事を成し遂げられたある御人からは【こんなにトラブルが無かった年は記憶にありません、自分の力では為し得ない事ばかりでした、深く感謝しております!】と嬉しいメッセージをいただきました。

  

酷な世の中でも、仏神の力を頼みつつやるべきをやる人は、荒波ですらもサーフィンしてしまう感です(^^;

 

一年の報恩にお参りされた皆さまには、お授けした、簡単ながら古来より験を伝える某お経も日用に加えて、残り一か月を息災かつ有利に向くよう、お過ごし頂きたく願います。

 

 

そういえば、修法中に【鎫は甘露なり】と響きが・・

 

そうか、字輪の向き癖で別観にばかり行きがちだったが、そうだよなァ。と、どういうことなんだろう?、と思っていたことまでが一気にほどけた!

 

【恐ろしい仏】の偏見で見られがちだが、やはり違うんだよね。祈る者に、参拝者に甘露を降らせていたんだ。・・この日は神棚とミニ仏壇の開眼もあったが、この写真にも【その甘露】の一端が見える気がする。こういう加持を受けた神棚や仏壇は【福聚】と成ろう。

 

太元帥明王は【闘神】のイメージしかないようだが、拙僧は折々に深みを気づかせてもらっている。ご縁を頂いているというのは有り難いことです。

 

2022-12-04 21:50:00

今の流れが・・⁉

信徒さんにはお話ししていることだが、翌年の運気には、どうやらこの【年末近くの流れ】が影響している

 

年末と言っても、秋10~11月くらいから年内いっぱい

 

この時期がツイているとか忙しいと、翌年もそういう感じに向くものだし、逆にこの時期が苦しいとか落ち込んでくると、翌年も難しかったりしがちなもの。皆さんも振り返ってみられるといい。【そう言われてみれば、】と心当たりは、きっとあるはず。

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今の時期がどういう状況か】は、【来年を占う大きな要因】の一つと考える。

 

秋から調子が上がって来たゾ、という人は、その流れを大切に育むようにしたら、きっと新年もいい

 

逆に、秋から調子が落ちてきたとかツイていない感じのある人は、早めに手を打って、年内に状況改善を図っておきたい所だ。それをせずに、新年になれば何かが変わると対処せずなら、きっと新年も下降線の延長となる

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「今年の汚れ、今年の内に♪」というCMがあったが、今の時期の不調はナメてかかると来年1年、泣く種となる。祓いは新年になってからでは遅い。年越し前に状況改善の努力はしておきたい。払うべきは祓い、供養すべきは供養しておくべきだろう。

 

またそういう点からも、今の時期は徳を積むにはお得シーズンとも思える。信徒さん向けに今年も始行した年末施餓鬼もその一端だ。

 

以前にも記したが、釈尊は【私ほど功徳を求める者はいないだろうよ】と申されたという。現代人は、欲は深く、幸せ探しと聞くと余念が無いが、その【私】を構成し取り巻く【縁や運】は功徳力による、その徳力を育む易行の最たるは施行による、とは思いも至らないようだが。

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今回の施主様方には、自宅でもお勤めをしてもらう。せわしい時だからこそ、目先にただ流されるだけでない善行と時間で功徳を志す

 

釈尊が求めて止まぬと申された功徳力、志ある施主様方には必ずや、その生き様の根っこを洗い、強化してくれる冥護功徳を得られるであろう。

 

 翌年をアゲアゲにするには、12月の今、時の流れのままでなく何をしておくか、今をアゲアゲに向けることも肝心