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大精霊流し!
20日、お盆の締めくくりとなる当山伝統の盂蘭盆大法会を修行しました。
法会に先立って、光明真言秘密薫習法にて土砂の加持を行ないます。
法会は光明真言護摩にて精霊の回向と加持土砂を修します。業苦を除き場を浄めるという加持土砂は施主授与品として、お墓に散じたり御守りとします。
13日からのお盆に回向を重ねてきたお塔婆で、大施餓鬼。
各位のお申し込みされた一々の霊名を唱え挙げる中、施主皆様も作法を行ない、ご自身自らも供養の手向けをされます。
法会が終わると、最後に川へ移動して地蔵流し。
花巻予報33℃~飲み物やアイスをお出ししていてもこの炎天下は危ない・・と、道中行列は止めて車で移動、体調不安の方には参列をご遠慮頂くことに・・この熱天じゃ已む無い(;'∀')
船に各々の精霊塔婆を乗せて。
読経と共に、盆中からずっと供養を施してきた諸精霊を送ります。
地蔵さんと火天に導かれて、精霊は浄土へ還ります。
酷なる物価高で庶民の生活は疲弊しきっている今日、そのような中にかくなる供養への志を為された施主皆様には、その功徳も例年にも増して大いなるに違いありません。回向された精霊・施主ともに平等利益に浴されることを切にお祈りし、法会御礼を申し上げます。
※不参拝の施主には21日、授与品等発送しました。到着までお待ちくださいませ。
※当日法話は後ほどUP予定 ※法会の動画は施主限定で近日配信します、希望者はご連絡を。
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※東日本大震災/能登地震慰霊の施主各位には有難うございました。一口ごとにミニ塔婆を作り有縁無縁の隔てなくご回向しました。心ある施主様の功徳をお祈りします。また回向料32口は当山拠出分と合算して常のように、あしなが育英会東日本大震災遺児募金に10000円、未来の福島子供基金に10000円として全額を寄付したことを報告します。
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盆法会ついでに先日、こんな新聞の切れ端が出てきました・・
年代は不明ですが、昭和30年代頃か?その昔は卒塔婆をそのまま川に流していたそうで(◎o◎;) 何ともおおらか過ぎる時代があったようです・・(^^;
下の写真は昭和60年頃。卒塔婆が船での焚き上げになっていますが、焚き上げ専任者らが船を焼きながら川下まで引っ張っていく、という、まさに見送るスタイルでした。河川敷の地形が変わり、法会場所を変更せざるを得なくなった平成中頃以降、現行の形になっています。
地形が変わり、法令規制がやかましくなり、信仰心も薄くなり、仕事を休んでお参りなど容易でなくなり、伝統は衰退するばかり・・法要も古き良き右肩上がりの昭和とは比較にならぬ息苦しい時代でありますが、他では鎮められぬ浮かばれぬ精霊をも鎮めるという当山の伝統は、この記事当時に劣らず、精進し磨きをかけて行じております。
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書くのもどうかですが一寸ザンネンな・・「去年は塔婆におにぎり付いたのに、今年は付かないの?」と話していた人がいたそうで;10時半に配達されるのにねぇ(;^_^ 施餓鬼という施す場に来ながらそんな欲、どんだけイヤシイんだ・・悲しくなります。
仏事の場とはその人の本性が現れる場だ、とは重ね重ね言っておりますが、その人は他に供養すべき餓鬼がいるのか、はたまたその人が餓鬼なのか・・折角の積善行が( ;∀;)つどに話をしブログにも書いて、分かって頂けるようにフィードバックして貰えるようにと努めてるつもりですが・・いくら言っても分からない/治らない性格の人というのも確かに居ますが・・私の無能というか不徳というか情けなさも身につまされです(-_-;)