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お盆&理趣経のこと
お盆。当山の盆大法要にお申し込み頂いた精霊は、一霊ごとに卒塔婆を作成して、13日から回向を始めております。
地蔵護摩を行じ、数種の大陀羅尼と諸真言を用い、朝夕に霊名を読み上げて懇ろにご回向し、本法要は20日ですが既に布施以上の供養となっております。ご安心ください。
供養につきましては、知っていただきたいことは当サイト内の各所に記しておりますが、
お盆という今の時期に特に知っておいていただきたい、
【供養には必ず必要な卒塔婆】について、それぞれのリンク先に記しております。ご一読いただけると幸いです。
※卒塔婆はコラム内「NASAを超えていけ!/JAXAも超えていけ!」記事
それと、盆供施主で希望者には、盆中にご自宅でお聞きいただけるように「理趣経」を配信しております。
youtubeで期間限定なしにして欲しいとか、一般公開にしたら視聴数稼げると思います等、有り難い感想も頂いていますが、これは安易に垂れ流し出来ないお経ですから・・
理趣経はいわゆる秘経扱いなんです。他の数多のお経群と何が違う?ってあれこれありますけど、端的に言えば【菩薩にだけ向けて説かれているお経】であること。
他のお経は、経典の最初に説かれるように釈迦の弟子や菩薩や天人から俗人や鬼神などまで、それこそ釈迦涅槃図に描かれるようなありとあらゆる存在が説法の対象になっているものです。
しかし、理趣経は説法の対象は「八大菩薩を筆頭とする80億の菩薩衆」に限られているのです。
何故か・・理趣経は「悟りの内容」を説いたものであるから。
ほとんどの経典の、悟りへのいざないや仏の説明とか極楽の風景じゃないンです。
そして内容も、「仏が説いた教えを聴衆が聞く」だけではありません。
仏が説いた教えを、改めて菩薩がその真実を説き示すという、言うなれば、既に悟っている仏と菩薩同士がその悟りを楽しみ合う、というような。
教え教えられるのではなく、相互供養というか、専門的には自受法楽とか仏仏加持という在り方。※1
だから、世間の言語理解で文字ずらを追う解釈だと甚だ見当違いなことになる。
ですから秘経扱い、です。
故に、この経を読む為に私の時は「理趣経加行」という修行がありました。今は高野山もユルユルとか聞きますのでやってるか不明ですが。
そして、講伝を受けてなければこの経を解説することは許されません。それほど、厳重なお経です。ただ見て読んでいいものではない経です。一般に許すとされる部分は百字の偈だけ。
当山の動画で、理趣経をフル公開していないのは、そういう点に配慮してのことです。誰彼と相手を限らずに垂れ流してイイものではない。
たしかに検索しますと、理趣経をフル公開しているものもあるようですが正直、上述したことを弁えていない坊さんなのね、と思います。仏教には越三昧耶という越法罪、修行者なら最大に畏れる悪業があるのですけれどもね。
こういう深さを有しますので、その功徳は経典の最後に【日々早朝にこの教えを読誦し或いは聴聞するものは、安楽と喜悦と悉地を得、現世に十六大菩薩生を経て如来の覚位に至るであろう】と記されているように偉大であります。
ゆえに真言宗では、祈祷にも供養にも、喜びにも悲しみにもこの経を常用とします。
【日々早朝にこの教えを読誦し或いは聴聞するものは】ですから、一般の方に触れて頂くのも必要な事であるとは思います。
しかし先述のように、世間的理解で捉えてはならぬ経ですから、やはり仏教に触れて信仰をもち尚且つ仏道に能動的な人でなければ、聴聞衆として堪えないのではないか、と考えます。
なにせ、理趣経を聞く位置にあるというのは「菩薩でなきゃならない」というのですから。
自らは労せず、求めもせぬ者に、秘を与えるなど、筋が違うというもの。
よって今回、「回向を申し込まれた施主」かつ「希望者」という条件を付して、限定公開しました。
希望された各位には、我が身は菩薩たるとの心意を以って聴聞されて、ご先祖ともに自身の修養そして功徳に利して頂ければ幸いです。
※1 ちなみに般若心経も、通用の小本では分かりませんが大本では「釈尊が三昧において観自在と舎利子に対告させる=どちらも悟りながら釈迦の操作で言い手/聞き手を演じる」ことが説かれており、ホントは仏仏加持・自受法楽のお経。心経が霊験が強いというのには、こういう性質の点もあるかもです。