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年頭言【新年の法話】
これは令和3年正三日法要のお話を加筆修正したものです。
年頭言
【心暗きときは即ち遭う所悉く禍なり 眼明らかなれば途に触れて皆寶なり】弘法大師
あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いします。
今年は干支で見ますと辛丑の歳。辛(かのと)は植物が枯れる状態。そして新しい息吹が生まれようとする意。丑(うし)は種の中の芽生えが未だ殻を破らざる姿。十干十二支の要点はこういう意味を持つようです。
それを受けての本年は、氣の廻りから言うと【切り替えて耐えるべき年】であります。去年は「これまでのやり方が崩壊する年」でした。今までのシステムが通用しなくなる時代の転機だと申し上げました。が、まさかコロナに端を発する世界が大変革を強いられる年になるとまでは・・語りながら想像していませんでした。去年の大転換を引きずっての今年は厳しい年になりそうです。
干支解説から察せられますように、「新たに誕生したもの」は「未だ殻を破ること能わず」ですし、旧来のものは「枯れてしまう」ですから。昨年に「新たなるスタイルへ挑戦」した人は、産みの苦しみを超えたと思ったら、成長する為の壁=殻を破る戦いと向き合わねばならぬようです。一方で去年に変化を拒絶した人は幕引きの始まり、寂し苦しの人生始め、そんな年になりそう。
もっとも、丑にはじっくり粘り強くの意があるようですので(ここから牛繋がりらしい)、今年は何事も時間がかかる、かけるべき時と意識しておくと失敗は少なさそうです。
ところで丑は糸偏をつけると・・紐ですね(※こちらが原義という説もある)。繋がりや繋ぐことへの示唆もあります。ここから、単独行動より連携が有利とか、一点集中よりは幅広い縁繋がりに旨味があるとも読めます。そして息吹や芽生えの意も忘れてはなりません。苦しい時ほど古いものを打ち破る力も生じるもの。辛は金性ですので、新たな技術革新などは期待できる年でもありそうです。
総じて、思うようになりがたい。でも挑まねばならない。忍耐と挑戦の時と読めます。暗く陰鬱とした世情ですが、未来に後悔せぬ為には、「変わる変える」ことから逃げてはならぬタイミング。こんな今年の年頭言に、弘法大師の言葉を紹介します。
【心暗きときは即ち遭うところ悉く禍なり 眼(まなこ)明らかなれば即ち途(みち)に触れて皆、宝なり】
今まで何度もお話した言葉ですのでご存じの方も多いかもしれません。しかし「禍」とは皆さん今まで使うことが無かったはずです。でも去年、一気に人口に膾炙しました。そう、コロナ禍の「禍」です。災いです。世の中や他人に振り回されて、自分の心を暗く汚していては、出会うものが全て「災いの種」になってしまう、と。
例えば、イライラしている時に人に接しては、自分の印象も台無しにしてしまいますね。寝ぼけ半分で仕事をしては大事の代償を迫られることにもなりかねません。ここの「眼」とは「認識すること=智慧」の意味です。大師は別本で、雑草には薬草、石ころには貴石がある、見つけ出せぬのは「あなたのその眼のせい」と喝破しました。
思えば年末年始にお笑い番組でアハアハ笑い、本を読み、ゲームを楽しみ、映画を見て感動できるのは「日本語が分かるから」です。外国にいったら多くの人はテレビも雑誌もネットも意味不明で絶望するでしょう。「日本語」という智慧が身についているから、日常の享楽を楽しめるのです。享楽も智慧があってこそ。日本語という一つをとってもコレです。
そう、智慧が無ければ、楽しみも尊厳も生きがいも得られない。しかし、私達がそれを得る=知っている世界など本当は極めて狭い。拙僧もこの歳になりながら気付くのは「世の中知らん事ばっかりだ」です。世界は個人には知りえないことだらけ。
逆にその知らぬ領域の知恵を身につければ、貴方の世界、愉しみ、尊厳はそれだけ広がる。【途】=知らぬ世界、に触れて皆宝なり、即ち「智慧があれば面白い事だらけだ」だから枠を広げる智慧を磨け、という。
女優の芦田愛菜チャンは紡ぎ出す言葉で随分大人を驚愕させているようですが、それは年間百冊は読むという読書量に裏付けされたものでしょう。触れるモノによって人は磨かれる、と改めて思わされます。PC作業など素人が何時間やっても解決しないことを、プロはあっという間にやってしまいますね。「知る」と「知らぬ」は天地ほどの差があるのです。よく考えると衝撃。そこを大師は「人生もったいね~」と突くのです。
暗い世相ですから、そこに引きずられていてはご自身の「世界」も災いを生みかねない。こんな時だからこそ、新たな世界にチャレンジすべきです。世界が未知の方向へ舵を切り始めたついでに、ご自身も知らなかった、興味もなかった世界に触れてみるのはいかが。
先ほど「紐」の意から、幅広い縁からヒョットするかもという話もしましたが、今までの枠を超えた所から、現在を打破するキッカケがある可能性が大いにある年でもあります。先日、スマホデビューしたという信徒のお婆ちゃんからLINE登録の仕方を尋ねられましたが大いにほほえましい!年だの性別だの関係なく、そこから自分も知らぬ可能性は開けるのですから。
年回り的には苦しい時代の予感ですが、これは世界全体にいえること。それでも申し上げたことを思い出してみますと、勝機はありそうです。個人プレイより連携プレイ、新規チャレンジ、枠から出る。技術の革新。皆さま個々には【眼明らかなれば途に触れて皆宝なり】の言葉を胸に置いて、希望は大きく膨らませ過ぎないように、でも諦めない。旧い要らぬ関係や引っ込み思考は捨てる、自分の枠を広げる、新しい方向へのシフトに挑む。結果はじっくり待つ。もちろん計算は必要ですよ。辛の金と殻を破らねばの意もイメージの発想で何かに使えそうです。
やれるだけをやったら、あとはお不動さんを頼んでください。それが為の祈りです。眼を更に明らかにする努力に祈りを重ねるなら、お大師さんだって放っておかないはずです。
拙僧も去年は試行錯誤で挑戦の年でした。寺でも一昨年まで考えなかったシステムにも取り組みました。でも性情柄・・ズバッと出来ずじまい;しかし世の中、開き直る悪人ほど罷り通っていますネ。見習うとは言いませんが(笑)今年は照れずに吹っ切るくらいの腹据えをしたいところです。
皆さまにも2021という年は、今まで通りでいいとはされて欲しくない。それではジリ貧になりそうな時勢です。最悪去年と同じもしくは数歩上昇くらいでもいい。少しでも良き方に向けて変わる、挑む。新たな眼を得て自分の周りは宝だらけだと見出せるような、そんな年にしていただきたく願います。