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同行二人!
3月21日、弘法大師の正御影供法会を行ない、現世の救いと過去精霊の追福を大師にお祈りしました。
いわゆる宗祖の命日に、祈願や供養を込めるのはちょっと違うと思われるかもしれません。しかし、真言宗は違います。
なぜなら、弘法大師は【後の世に生まれ来る人々に加持力を施さん】として、2年半に及ぶ肉体改造と瞑想を行なって定に入られておりますから。老衰や病死である他宗の祖師方とは一線を画し、肉体を失った後に如何に菩薩行を行じるかまで計算し実践された、常軌を逸した神人であります。
今に至るまで四国遍路の道中はもとより、同行二人を信じ頼む人のもとに往々に「大師が姿を現した」という霊験に遑ないのは、大師の普賢行願が今も息づいている証でしょう。
ですからこの日は、大師の大誓願に祈るにはもっともふさわしい日、でもあります。
祈願の方には願いに大師の加持力を蒙りますように、回向された精霊には卒塔婆を作り大師の冥護を頂くように、廻る功徳で施主には安穏富貴を祈願しました。なお、早期受け付け精霊は彼岸の入り18日から回向を行ないました。施主各位には重ねて御礼を申し上げます。
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弘法大師の言葉 ※21日に話したのとは別ですけれど
【信じ修すれば則ちその人なり もし信じ修することあれば 男女を論ぜずして皆その人なり】
・・正しい教えを信じ行動するなら、無条件にその人は悟りを得る器であるのです・・
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大師は仏教の視点で説かれていますが、世俗に引き寄せても核心をつく言葉です。
成し遂げようと思うことは、【そこに向かう道を信じ/自分を信じ、ソコに向けたアクションを起こす】に如くはないのです。
ところが、希望はあっても「そこに至る術(すべ)を聞いても信じない」それどころか「実は自分自身のことすら信じてない」挙句に「結局、行動しない」そうなっているのが、往々の私達です。望みながら、自己否定してしまってる。
WBCでも偉業を成し遂げた大谷選手に関する記事を読むと、彼は【自分の力量を信じ、そこに至る道を計算して身を投じ、やれることをやりつくす】と、【信じ修すれば則ちその人なり】を体現していたことが知れます。ただ才能があった、だけではなかったのです。
それぞれに分相応という差異はあります。誰しも大谷翔平に成れる器量がある訳ではありません。それでも、人それぞれに【信じ修すれば、得られる偉大なモノ】がある、ことに変わりはない、と言うのです。
己を信じ、道を信じ、然るべき行動を為す、それが貴方を変える。新年度、切り替えてみませんか。
ついでに、結構な人にありがちな合掌して拝んでますの口先だけじゃ、ご自身も先祖も何も得ないでしょうね。修するを欠いてちゃ。
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※ちなみに大師はこれに続けて「貴賤を簡(えら)ばず、悉くこれその器(うつわ)なり」と記している。この当時の仏教では、法華経に龍女成仏の話が載って女性成仏の可能性が僅かに示唆された程度だったが、そんな点を持ち出すまでもなく、もうとっくに弘法大師は至る所で【男女を論ぜず】と断言している。
曼荼羅を見るだけでも罪業が除かれるという、差別なき救済論が真言密教であるから当然の発言だが【貴賤など関係ない】まで踏み込んだのは、当時は相当な反発も受けたであろう、と学者の知見があった。鎌倉仏教が登場する350年以上も前に「誰でも救われ得る」どころか「その心と修行をすれば誰でも悟れる」と大師は言っていたことを知り置かれたい。