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教えるは教えられる
2025 / 08 / 31 21:10

28日のお不動さん、お参りは盆供に重ねての方々。ありがとうございますm(__)m
重ねて足をお運びくださったので、今回はちょっと特別なお話にしよう、と。
盆供にした話(前回掲載分、書かなかった部分もありますが)に絡めて、地蔵と不動の深みというか。これを知らずに成仏などありえない、という肝になる話。
ただ、言葉で説明しきれない範疇を含むので、ソコを如何にかみ砕くか・・話の流れは一通り考えていたものの、やはり禅問答みたいな言い方でしか説明しようがない部分が・・;
出来るだけ易しくのつもりも、何言ってるか分からなかった部分がお在りだったかとm(__)m
でありますが、理解できずともその理を耳にしていただいた、それだけでも理体としていつか六道に自身を救うに力となる、と思います。
ご清聴の皆様には難しかったかな、と反省ですが、拙僧自身は自分が喋った話で更なる深奥に気づいてテンションが上がってしまい、自受法楽みたいな状態・・一番得たモノがあったのは私自身かも(^^;
それにつけても梵字というのは、本当に奥が深いと改めて思わされ。大師は「一字に千里を含み」と申されましたが、経文の理解実践など高すぎるハードルと化した末世極悪劣慧に「仏道への突破口」とされるのはむべなるかな、であります。
副住職は悉曇阿闍梨でもありますし、機縁が調うならば、梵字教室でもやりたいね~