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D.バースデー♪

2024 / 06 / 15  22:49
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お大師さんのバースデー。

9日の別院月例では、昨年の誕生所善通寺での誕生1250年法会で行なった誕生講式の声明をチョットだけ加えて、前倒しに祝祷(そういえば高野山でも青葉祭りは9日にやったそうで?)

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ですが今日6月15日が誕生日。本日は大師法でお護摩をお勤めしました。

 

それにしても、大師の開いた高野山は観光客年間140万人だそうで・・弟子の修行&自身の入定の地として深山幽谷の高野山を選んだ大師としては、この現状はきっと不本意だよね(~_~;)

 

とは思うのですが、1200年後にもそれ程の人々を引き付けて止まない地を開創した、というのはどれほど先見の明があった人なのか、と改めて驚愕するばかりです・・そういう智慧の眼の一端にでも本当にあやかりたい(^^;

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で、こういう日ですので、お大師さんの言葉をご紹介。

【近くして見難きは我が心なり】

 

他人のこととなりますと、余計な程に見えるものですし、見えているつもりになります。ですが、自分のこととなると?・・思う以上に見えない、見たくないもの(;'∀')

 

鏡に写してこそ自分の顔姿を知ることが出来るように、仏の教えに照らしてこそ自分の心は見えて来るもの、であります。※鏡の例えは仏教の深い所で重要なキーワードになります。ちなみに神道でも鏡は大切なアイテムですね。

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祈りの場とは【その人の本性が現れる場所だ】と何度も申し上げていますが、祈りに向き合う場面とは、何気ない参拝でも知らずに自分の気品や気高さから浅ましさやゲスっぷりまで、さらけ出すものです。怖いですね~

 

祈りとは「仏の教えに照らして、見難き我が心を見据えようとすること」これがスタートです。そこに写し出される自分は、仏から見られているのみならず、他者から「そういう人」と見られている貴方自身、ということでもある。

 

叱られるとすぐパワハラだのと憤慨するバカ傾向の世ですが、指摘注意されるうちが、期待され見込まれているという花ですよ(^^; 仏前でのその態度、叱られなくなった年代こそ人生に損していないかな~自戒自戒です。