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涅槃会&年頭言~
2025 / 02 / 16 22:07

お釈迦さま涅槃の15日。
涅槃図に関わるお話は、毎年の方にはお馴染みな部分が多い・・そっか、舎利の話をすればいいか、とふと思ったのが涅槃図片付けながらの今日(^^;
ならここに書くか、と思いましたが、さすがにもう文章書くのは一寸休ませて~~のこの頃;
来年の涅槃会に、ではなく気力が戻ったら書くか~
にしても、釈迦涅槃に付される様々な事象を葬式に取り入れて死者を釈迦になぞらえ、俗人にもかかわらず死者を「ホトケ」と呼んで、取り急ぎ死者に「仏の体裁」をあたえて、行なわれるべき修行は「追善供養」として後から整えていく、という死者=つまりは人間に対する尊厳を、この国を担ってきた古人達は大切にしてきましたが、それがコロナ禍もあったここ数年で、一気に蔑ろ化が進んでしまったようですね・・面倒だから、金がかかるから、って。
釈尊は「我が遺骨は塔にして祀れ、さればそれを見た人は【如来が居ました証】を知り、浄心を起こすことになる」と申されたそうですが、人一人が生きて来たという尊厳すら省みずに「活きボトケの方が大事だ」と自分の欲ばかり、という風潮は、後世に浄心を起こさせるどころか、ひいては己の尊厳すら踏みにじらせる事になるという、巡り廻っての因果にすら思いが至らぬのか・・と釈迦入滅とはまた異質の哀しみも涅槃図を紐解きながら感じたシーズンでした・・
それと遅くなりましたが、今年の正月にお話しした年頭言をようやくUPしております!